痩せた月
禅問答のような不思議な会話を経て赤髪の北さんは、千紗さんに挨拶を終えると帰り際にパネルを中指で弾いた。
「お父さん怒ると思うな」
千種はそう詰る風でもなく呟く。
まっどっちにしても早名の一族(言うなれば行朝さんと千紗さん、娘の千種に遠縁の葉姉ちゃんに俺に配偶者の遊佐晶さん)と、晶さんの盟友依田日向と元?恋人の北玲さんとはまさに赤の他人…と言う訳で。
年上の人たちの過去の恋愛に興味を持てるはずもない。
………俺だけだった。甘かった。
児島姉妹をはじめとした10代半ばの女子にとっては、水泳界のスターと野球界のスターの過去である。
普段はクールビューティ風の橋本まで料理を食べる間を惜しんで、北さんの言葉に耳を傾けている。
なんだかねぇ…と一人飯をかっ込んでいて、ふと気がつく。千種と美樹がいない。
大杉美樹は普段からもの静かのうえ、社交的でもなく大柄の印象の割には存在感が薄い。
賑やかな場をそっと離れて庭に出てみると、千種と美樹は縁側に腰を下ろして夜空を見上げていた。
今夜は痩せた月。
二人は黙ってそこにいた。俺もなんとなく千種の横に座る。特に話題を振る必要を感じなかった。
「光太郎くんは?」
「母のところ」
「そか」
10分以上いて交わされたのはそれだけだった。俺もまた言葉を発しなかった。費やす時間は静かになにかの養分として降り積もっていく…そんな感覚がした。夜は怖い。
ふと美樹は俺を見ながら千種に聞いた。
「もう………したの?」
「二人で………ってこと?」
一息吐いて美樹は見上げたまま呟く。
「うらやましいとか思わないくらい家族みたいなんだもの」
苦笑する千種。
「幸平のお姉さんからね、男に振り回されない自信がついたら、その時考えなさいって」
美樹は意外そうに俺を見る。
「まだなの…」
気まずさから堪らず俺は言う。
「好きなものは最後にとっておくタイプなんだ」
千種はすぐに一言。
「嘘つき」
堪えきれずに美樹は笑う。
「私にもいたらなあ」
「ゆなみたいなこと言わないで」
千種は真面目に続ける。
「旦那ちょうだいとかほんと困る」
「橋本さんは…」
美樹は、言い淀んだあと珍しく断定するように続けた。
「本気になったらすごく強敵だよ」
「そう…だよね」
「怖くないの?」
「たぶん一番の友達だから」
「いいの?それで」
千種は考えながら言葉を紡ぐ。
「あたしは選べないな」
「早名くんに任せるの?」
「分からないけど…とりあえず一人前の男にしなきゃ」
俺?
「そうは分かってるんだけど」
千種は笑いながら
「嫉妬しちゃうんだなあ」
「まるで正妻だね」
千種はいまだ美樹を大杉さんと呼ぶけど、その後初めて
「美樹って呼んでいい?」
「うん、私も千種って呼ぶ」
「友達になろ」
「私で良かったら」
「あの丘で大きな木を見たとき」
千種2回目の豹変の時か。
「何があったの」
「いつかちゃんと説明するよ」
「そか…うん…」
それきり無言の二人。
この二人はどんな距離感を持って、どんな風に互いが映っているんだろう。
それを考えながら空を見上げる。およそ考えが及ばない。
そんな夜。
見上げると痩せた月はまだ空にあった。




