前夜と前刻、そして全国
結局コーチは夜遅くと言うか朝早くホテルを発った。ギリギリまで僕の決勝が終わるまではと言ってくれてたのだけど、僕は辞退した。そしてそれぞれにコーチは僕の前地元、僕は新しい土地へと向かうことになる。
明後日から僕は隣の県の高校に通う。小学校卒業まで住んだ県から中学入学で東隣の県、高校はさらに東隣となる。
二晩続けてのホテルのロビーで、コーチと決勝までの過ごし方、アップ方法を再確認していた。
「緊張するなら思いっきり緊張していいから。万が一にも幸平には必要ないだろうけどな。普段してることをひとつ、同じようにすればいいよ」
「好きな曲を聴けばリラックスできますかね?」
「いいと思うぞ。俺は彼女に優勝報告することを想像していたし」
それを聞いてしばらく無口になって明日を思っていると、今日曲を聴くのを忘れていたことに気付く。やっぱりいつもとは違っていたんだろな。
「そろそろ寝ないとな。起きたらしばらくお別れだ。そしてありがとう」
コーチは深々と頭を下げた。真摯を姿にすると今のコーチみたくなるんだろうか。その意味が理解できるようになったら、またコーチに会いに行こうと心に決めた。なるべく決まりごとを作らないようにしてるけど、大事なことはちゃんと胸の真ん中に。
「娘さんの写真見せてくださいね」
「おう。幸平も決勝の結果、それと帰り…じゃなくて新しい家までの電車に乗ったとき、家に着いたときに必ず連絡くれな」
「コーチ、家に帰るまでが」
「ああ」
「「決勝」だ」
翌日。
ぼうっとするような穏やかな晴れの下、競技場に着くと昨日と同じ場所に陣をとる。しばし待つとKさんがやって来た。相原コーチの知り合いで、やはり付き添いで来ている他県のコーチだ。貴重品類を預けルーチンのアップを招集時間に合わせる。
調子はいい。もしかすると昨日よりいいかもしれない。
気持ちも落ち着いている。イヤホンに頼ることもその時までなかった。だからこそイヤホンを今回持ってこなかったことを気付いたのが、招集時間の少し前だった。すがるんじゃなくて、ポジティブな活用。
わずかに欠けたピースを誰かがイヤホンを届けてくれることで埋まった感じがした。
今からの競技よりも、現在見ている周りの風景や雑音、この瞬間を生涯忘れないようにしよう。
そう決めるとすっと心が軽くなった。
終わったら結果を一番に誰に伝えようか。