あなたのことはあたししか分からない
放課後沢村に断ってからプールに向かう。
千種に宣戦布告するためだ。
千種に会いに行くとき以外、プール立入禁止とかふざけんなって…あれ…俺それ以外で行く用事あるか?
橋本だって、みささんだって特に会う必要ないもんな。
…あー、もしかして…俺やっちまった?
なんか久しぶりに頭に血がのぼって、判断をミスってしまったような。
さあて…。
「ん。いいよ」
あっさりと千種は認めた。
もう白旗を掲げて練習前の千種に説明する。なんとなく業腹だけど、こういうミスは早く訂正しないともっと惨事になりかねない。
「あたしも間違ってたし」
「だろ?」
ギロって睨むのはやめて。シンプルに怖い。
「プールならあたしの目が届くしね」
「先生に断ってくる」
「あなた…ほんとは気になるんじゃないの?」
「だから他の人に目をやるつもりなんて…」
「そうじゃなくて。マリー先生に教わったらまだ伸びるタイムが気になるんじゃ?」
そんなこと。
気になってた…わけ…。
北玲の高み。
個の高み。
知らない世界は諦めていた世界だったか?
なあ千種。
「ん?」
おまえは選手として喜びを感じたいとか思ったことないのか?つまり自分が当事者として、感情のたかまりだとか、爆発だとか。
「んー…たぶんない」
そうか。お盆のとき晴さんと陸上で競っても、競技には関心ないって言ってたもんな。
「でもね、みんなが喜ぶ姿を見るのが好き。あなたが準決勝で最後の回に登板して、最後の人を打ち取ったとき、あたし泣けて仕方なかった」
あのときか。
「あたしの旦那だ…って気持ちは…もちろんあったけど、グラウンドのみんなも、応援してるみんなのことも嬉しかったり満足できたり」
千種は心優しい女だった。
「それとね、最後の回のとき沢村くんマウンドにいたでしょ?」
あーいたな。
「何を話したの?」
いや大した話はしてねーぞ。
「でも、ライトに走っていく沢村くんに『ありがとな』って言ってたよね」
声に出したっけな?つーかあの距離でおまえだけに聞こえるわけが…。
不思議な話だが、千種なら聞こえても不思議でもないような気がする。
なんなんだろうな、この感覚。
「あなたのことはあたししか分からない」
他の人なら傲慢に聞こえるぞ、その言葉。俺は理解できるけど。
「それでいいでしょ?」
…まあ、そうだな。
「あたしは嫁」
「俺は…旦那か…」
「なにか不都合ある?」
否定する気は全然ないし、他の誰かが千種に代わるわけでもない。
千種は俺の右腕を抱き、なんだか俺は久しぶりの安心感に包まれる。
「それにしても先生になんて言おう」
「野球と水泳で最強の助っ人目指しますって言ったら?」
ああ。それが望んだ答えなのかもしれない。
初の夫婦喧嘩の幕切れです。この章最終話とさせていただきます。




