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高良フェノミナン/phenomenon〜キイロバナのまわりに咲く  作者: ライターとキャメル
第1章:最弱選手権者

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15歳が早口で語る薄っぺらい半生

 長らくオリンピックアイコンだったNが現役引退を発表したのが2年前のこと。いくつものメダルを獲得して、触発されてか複数の選手が自己ベストの形で表彰台に上がって、当時は「お家芸」「水泳ニッポン」と持て囃された。


 協会内部の派閥争いがパンデミックと絡み合い、時を同じくして複数の有力選手が一昨年のオリンピックを機に一線を退いたことが理由で、日本選手権は半年以上開催が遅れた。そしてよりにもよって四月上旬に始まった。


 就職、進学なんかはもちろん、気忙しい季節に開催する理由を協会は「心機一転」と表現したけど、そもそも冠の令和○年度が去年。


「選手より己のが身なのよ、関係者の誰もが」と最近姉は解説してくれたけど、正直興味のもてる話じゃないからその時もいつもみたいに聞き流した。主催者の自己都合は山に住む者にとっての遠い海風のように些細なものだ。


 中学入学を機会に僕は一人で隣の県の叔父さん一家と生活するようになった。小学生の時は野球することが多くて、スイミングは週一で通うくらいだったのが、姉の勧め(と言うかかなり強引に)で叔父さん宅に近いスクールに通うことになった。

 たまたま全国的にも有名なスクールで、主に担当してくれたコーチとも相性が良かったのか、タイムを一足飛びに縮めていった僕は、その県の中学記録を出して大きな大会にも出られるようになった。

 テレビのローカルニュースで期待の星と取材とかされることもあったけど、努力した年数もかなり短いし、あまり水泳と向き合っていなかったから、まともな受け答えなんかできるはずもない。

 なにより叔父さんの家庭を含む学校内外の日常的関係、そしてスイミングスクールに毎日通うことだけで、心のスタミナは使い切ってしまっていた。


 あまり苦手な種目のなかった僕は個人メドレーを主戦場にしていた。だけど得意な種目も実はなかった。身体成長が中学3年の時に終わりかけていると実感した僕は(身長が止まりかけるのがどんなにショックだったか)、姉にいつもみたいにそのことを相談したら、あっさり「水泳は諦めなさい。他のことを見つけようよ。ただ周りの人がどんな支え方をしてくれたか、練習が苦しかったのならどうしてだったかをちゃんと覚えていなさい」と正面から説教をされた。その言葉だけは聞き流していない、と今でも思ってる。


 それから不思議なことに練習頻度を減らしてできた時間を筋トレにあてたからか(高校とかでスポーツをするかもしれないし)、なぜか50m自由形のタイムだけが伸びて、中3の夏思いも寄らず日本選手権の出場標準タイムを切ることになった。


 だから高校進学直前の最後のレースは「おかしな時期に開催される半年遅れの日本選手権」として思い出作りの記念大会になるはずだったんだけど…

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