大杉美樹の涙
やっと自分の今後を考える平和な時間ができたのに…と幸平は心の中で嘆いた。
野球の県大会準々決勝(金曜日)を明後日に控えた水曜日の夜、千種邸のリビングに見知った顔がいた。
一昨日はキントキさんと一緒に三馬鹿の話を盗み聞きし、昨日は昨日で千種が「幸平がまた悪いことしてる」などと冤罪を着せてくるのを火消しして、今日はなぜか監視するような三人娘の視線をはぐらかせて昼寝をして…。
何が起きている?
分かるわけないので、放課後野球愛好会に精を出して児島との連携に時間を費やした。最内の連中がこちらまで来て(環境はこっちが断然いいらしい)付け焼き刃ながら、合同練習をした。今週(しかも明日までって言う短期間)しかないのだけれど。
疲れて帰ってみれば、千紗さんと千種、薫さんにさくらさん、結菜姉妹、おまけに大杉美樹まで。
大人のあの二人混ぜて大丈夫なのかと怪訝な気持ちが俺を覆う。
「幸平くんが最後ね」
千紗さんはそう言って話を始めた。
「じゃあ始めるね。まずほんとは早名葉さんがここにいなきゃいけないのだけど、忙しいから私に任せるって許可をいただいています」
橋本姉妹や大杉は姉と面識がないはずだ。
「それと和田華さんからも」
叔母さんからも?
早名喜美子さんの関係か。俺にも関係することらしい。
「前のお宅を壊して、新しい建物を建てます」
あら…。
「でね。分かりやすく説明します。まず土地は遊佐葉さんのもの。そこにこちらにいる橋本薫さんがお金を出してビルを建てます」
へえ。
「1階はお店が入るように貸し部屋。2階から上はたぶん4階くらいかな、アパートにするつもりです」
ほうほう。
「1階は私がお店を出すつもり」
と薫さん。
「お話をいただいて即決しました。資金はギリギリ大丈夫です」
「いきなりでお母さん、ほんとに大丈夫なの?」
さくらさんが質問する。成人してるとは言えまだ二十歳にならない人だ。シンプルに問う。
「ええ。こういう時のために保険代わりに前のお店は緩めに条件をつけておいたの」
「アパート代二部屋分くらいの…って話?」
結菜が続けて質問する。
「そうね。いざとなれば今回投資するくらいの金額は元のお店からもらえるはずよ」
どんな条件なんだろうね。
「弁護士さんが入ってきちんとしてるからあなたたちに難しい話にはならないわ」
将来のために薫さんは次の手段も用意してたってことなんだ。
「でね。大杉さんには…元さんと美樹さんに事前にこれから話すことを許してもらってるのだけど」
自然とみなの視線は美樹に向く。正座をして固く手を握りかなり緊張した面持ちだ。
なら解せるようにとっておきの鉄板ジョークで…。
「いつもみたいにつまらない冗談言うつもりでしょう?」
嫌だな、そんなわけないだろ?
千種は少し強く俺の右腕を抱く。
「いま美樹さんは奨学金を生活費を含めてうけてるわね?」
同級生に経済的なことを把握されるのはやはり恥ずかしいかもしれない。少なくても俺はそういうタイプだ。だからきちんと考えてこの場に美樹はいるんだろう。
はい…と大杉は答えた。
「返済は大学を卒業して何十年もかかる予定で」
…それはその通りなんだろう。元さんや光太郎だって自分で背負う覚悟を持って。
「あなたと元さんには新しいアパートの管理をしていただきたいの」
千紗さんは続ける。
「このうちも将来は建て替えるのよ。アパートにするつもり。私は大学にそろそろ戻ろうと思うし」
は?
「夫はどこでも仕事できる作家だし、私は研究職がしたいから。また一から実績を積まないとダメだけど」
行朝さん作家だったのか…。通りでこの家に本が多いわけだ。行朝さんアクティブ過ぎて知らなかった。
「アパート二棟管理とかいろいろね。遊佐さんと葉さんのまわりのこともあるし…」
なかよし水泳会もね。
「あなたたちもふらふらしてないでしっかりしなさい」
なぜか薫さんが娘たちに言ってきかせる。
「あたしは水泳で…」
「勝手にアメリカに行って勝手に帰ってくるような人間がなにかできる?」
「うぅ…」
さくらさん撃沈。
「あたしはいい男見つけて…」
「一人で拗らせてたひねくれにいい男がみつかるとでも?」
結菜ぶった切り。
「結菜は一人でもなんとかできるでしょう。でも…さくら」
ビクッとして、さくらさん。
「あなたはしばらくここにいなさい。私がきちんと教えてあげる。付属の大学に行きたいのよね?」
玲先生もいるし、実は一番大変になるのはさくらさんかもしれない。
「でね、美樹さん」
再び千紗さんが美樹に話しかける。
「あなた将来経済学部とか商学部、できたら法学部がいいのだけど…目指さない?」
「私が…ですか?」
「人手は少ない方が取り分が多くなるわよ」
ぶっちゃけたな、千紗さん。
「光太郎くんはまだ分からないでしょ?だから幸平くんに任せて、あなたはまず自分の将来を考えなさい」
俺は光太郎担当…。まああの才能は確かに。
大杉美樹は一筋涙を流し、了承する言葉を伝えた。
千紗さんが心配していたのは娘より前のお宅の美樹さんでした。




