六条家
世の中が急に敵だらけなどと思えた学校から帰り、ダイニングで千種に慰められていた。
「結菜は許してあげて。分かるでしょ?それに幸平は野球好きだし」
…まあ、うん。
「それにしても美也子はなあ」
「なにを気にしてるの?」
「本人じゃなくて…」
うまく言葉にできない。
「みやこさんって六条美也子さんのこと?」
ふらりと千紗さんが入ってきた。このダイニングのお館様だから当たり前なんだけど。歴史好きでときどきお館様などとふざけている。
眉を顰めて千紗さんは少し視線を外した。
「私は外から来た人間だから聞いた話ばかりになっちゃうけど」
うん?
「このあたりに残っている古文書で一番古いものに早名と六条はもう登場してるらしいのよね」
ずいぶん昔からあるんだな、くらいの感想。
「早名はずーっと早名神社の氏子として他の人たちより優越した存在だったらしいわ」
母さんの。
「言い方が難しいけど高貴な存在…かな?」
千種は黙っている。
「でね。六条は他との外交とか秩序を守るとか…朝廷と幕府みたいな感じかしら」
この狭い地域でですか?
「人って三人集まるだけで上下関係を作り始めるものなのよ」
まあ…その通りだと思う。
「明治があけた大正時代の結構生々しい事件の記録を読んだことがあるわ」
…事件ですか?
「人が何人も殺されたのに犯人どころか事件にもならなかったのよ」
警察が動かなかったんですか?
「署長さんが六条さんだったの」
「私がここにお嫁にくるちょっと前に六条の当主さんが全部…をなしにするって決めて、それから何年かしてご長男を養子に出されて…」
依田…六条日向…さんか…。
「それくらいの固い決意だとまわりに示すためなのはみんな分かったでしょうね」
それって…
「まだ10年ちょっとくらい」
じゃあ美也子は…
「女の子は嫁に出すからってとりあえず高良から他県に…ね」
「六条さんちはね、国会議員とか県議会議員とかといろいろな噂が今もあるわ」
美也子のエキセントリックな性格も血筋かあるいは環境からの影響もあるかもしれない…と思った。
「一応まとまっていた力がほどけたらどうなると思う?幸平くん」
えーと…。嫌な考えしか浮かばない。
「自分の欲や利益のために勝手なことをし始める…ですか」
「そう。忖度したり足を引っ張ったり。いいことには使われない」
餓鬼の世、だ。
「氏子で言えば巫女の喜美子さんが老いてきて、喜美子さんの子供の清ちゃん…幸平くんのお母さんね、清ちゃんと華さんも結婚していなくなってしまったの。喜美子さんが強く望んで葉さんが来たけどやっぱりいなくなった。残ったのは…この子」
千種…か。
千紗さんは優しく千種を見る。千種はじっと動かない。
「葉さんは千種を助けたくて婚約を急がせたのよ。誰かに責を負わせて自分たちは無関心…そんな多集合の無責任に私の子供を捧げるつもりはないの」
「で…力の象徴になり得る美也子さんが戻ってくるって聞いたら、まわりは」
「利用したい人間が集まってくる…ってことですか?でも美也子のお父さんが許すはず」
「今年の春に…亡くなったのよ」
「それは…!」
「混沌ね」
あまりにも、あまりにも悪すぎる。
「しかも幸平くんと美也子さんはもう二年も面識があるって聞いたわ」
確かにそうだ。
「幸平くんと千種だけならまだ。巫女の最有力と前の巫女の孫。当事者にはかろうじてならないんだけど。もし…六条の当主候補が揃えば…なにかができるって考えて、利用しようとする人が出てきても不思議ではないわね」
「それよりも…私にとっては気持ちの悪い変な力が三人をここに集めたがっているように思えてね。もっと言えば大杉さんや橋本さんの病気ももしかしたら…。これ以上はもう言えないけど」
千紗さんは沈黙した。
ああ…。それを知っていて、それでも美也子の気持ちのあるままに千種は受け入れたのか。
結納の帰り冷たく震えた千種の手を忘れていない。
できることはあまりにも少ない。
俺は声を出す。
「野球…やるよ」
「ん」
一筋零した涙を拭い千種は笑みを咲かせた。




