初対面はプロポーズ
間違いなく人生で一番激動した日の夜、俺はシャワーを浴び、運びこまれた荷物から布団を引っ張り出し、明日朝一番で千種邸〜千種の家に挨拶に行くからと約束をして、千種は家に帰った。
さすがに送る距離ではないような。ちゃんと玄関に入るまでは見届けたけれど。
翌朝。ずいぶんと早くから目が覚めた。台所から物音がする。
千種9割、ばあちゃん9分、姉ちゃん9厘、美也子9糸と当たりをつける。闇バイトの物取りなら1糸、美也子がその9倍だ。あれ?意外に正確な気がしてきたぞ。
台所に入ると案の定千種が料理を作っていた。
「不法侵入は刑事罰だぞ」
「挨拶は?」
「愛してます」
「あたしも」
「「だから地獄で会おう」」
「あ、『キミヨリ』」
大ヒットしたアニメ映画の決め台詞だ。
「おはよう。料理できるんだ」
「おはよ。将来一人暮らししたいから覚えてる最中」
相変わらず言葉を省略しがちだけど、そこには昨夜からの流れで嫁になるぞと、変な圧力を感じるのは自惚れか。
「俺少し走ってくるから」
「優勝した次の日もトレーニングするんだ」
「習慣だから。水泳は引退するけど」
え、そうなのと俺に目をくれずに料理の手を休めずに言葉を続ける。
「後悔しないの?」
「引退初日にしては寂しくないかな」
「ふーん、さっさと帰ってきてよ。あたしの家にくるんだし、登校初日でしょ」
「口やかましいJKは貰い手ないぞ」
こっちを向き千種はべっと舌を出し「早く」と軽くいなした。
今日は家からまっすぐ1本だけ、軽く2、30分流して帰ると千種は制服に着替えて待っていた。
ありふれたブレザーにこの地方特産の花の色である山吹色のネクタイがアクセントだ。
「あ、うま」
「馬の餌とか言うな」
「おいしゅうございます」
「最近読んだ本の中に『泣ける遺書』があって」
「マラソン選手の?」
「ご存知か」
食べる前、食べながら、食後にそれぞれ千種に礼を伝える。
「そういうこころがけなら、一生作ってあげる」
「プロポーズみたいだよね」
「身支度できたら行くよ」
軽くいなされた。
(あ、挨拶考えてないや)
準備を終えて通学用のカバンを手に取ると、背中を押されて千種邸の玄関に立つ。
チャイムを押そうとすると、それより前に玄関の扉が開いた。背の高い男性と穏やかそうな女性、千種の両親がそこにいた。
「はじ…………
「千種さんを僕の嫁にください」
はあっ。そんな腹話術をならった覚えないけどなあ。
「千種!」
うわ、でかい声。
ほら、沈黙が始まったちゃったよ。
「……あなたが幸平くん?」
とりなすようにお母さんが尋ねる。
「はい、早名幸平です。早名喜美子の孫、早名葉の弟です。昨日から前の家に引っ越して来ました。高高の1年生です。これからお願いいたします」
「うん、早名行朝だ。妻の千紗。娘の…」
「千種でぇ~す」
ギャルもできるんだ。初対面なら騙されるぞ、ホント。
やっと会話が流れ始めて、世間話をしながらなんとかいい人たちだと安心した。
不穏分子な嫁はいるけど。