加奈子(回想6)
「あれ? 備前さんじゃないですか。ご無沙汰しています。今日はどうされたんです?」
福祉課の相談窓口に現れたCW、安岡は笑顔でふたりを迎えた。
「実は、この子の生活保護の相談をしたくてね」
「えっと……娘さんですか?」
「いやいや、たしかに歳は近いけど違うんだ。その辺で拾って保護した。ただの近隣住民だよ。どうやら親のDVから逃げて来たらしい」
「あ~。流石は備前さん。放っておけなかった感じですか」
「ま、動物愛護の精神でね」
「またまた。人を動物みたいに」
安岡は反応に困ったようで笑ってごまかした。
「しかし状況はわかりました。備前さんが連れてきたということは本当に生活保護が必要な方なんでしょう」
「申し訳ないね」
「いえいえ」
安岡は手を振って答えた。
「でも一応は聞くことは聞かないといけませんから……いいですか?」
「当然だよ。俺にもこの子にも、なんでも聞いてくれ」
「ありがとうございます。では早速」
安岡は改まってふたりに質問を開始した。
名前、住所等の個人情報に、どんな経緯で相談に来たか。収入や資産、負債の状況。保護前歴の有無。住居やライフライン等現況の確認。扶養義務者に係る家族の話などが尋ねられた。
加奈子は事前の打ち合わせどおり、大阪にいたことを伏せ、そのほかは正直に回答した。不足する部分はさりげなく備前がフォローしていく。
「なるほど。それで駅前にうずくまっていたところを、たまたま通りがかった備前さんに助けてもらった……と」
机の上でトントンと書類を整えながら安岡が言った。
「はい。間違いありません」
「でもどうしてI市にいたんです?」
「特に理由はないです。フラフラと辿り着いた結果としか言いようがなくて」
「でもご実家のあるK市ならI市よりも保護費が多く貰えますよ?」
「それだけは絶対に嫌です。両親に会ってしまうかも知れないし……」
「だけど何かあったときには頼れる親族がいないのは考えものじゃないかな」
そこへ備前が口を挟む。
「それなら俺も協力するよ、ご近所さんとしてね。もちろん彼女自身にも自立を目指し、こちらでも人脈を広げてもらうつもりさ」
「なるほど……備前さんがそう言うなら……」
安岡は一瞬、その先の追求に困った素振りを見せた。
「しかしまだお若いし、こう言ってはなんですが、自分勝手に家を飛び出しておきながら困ったら簡単に生活保護を頼るという姿勢はどうなんですか?」
備前に面と向かって言えない分、安岡は加奈子に向かって言った。
「それは……」
加奈子は口を閉ざす。
「例えばね。一時的には生活保護で凌いだとしても当福祉事務所としては自立相談支援事業専門の職員もおりますから、お仕事の紹介もできますし、もしそこでの給与が出るまでの間の生活に困るようでしたら社会福祉協議会への貸付へ繋ぐこともできますよ?」
「えっと……良く意味がわかりません」
「要は生活保護とは最後のセーフティネットですから。そこに至るまでに残された手段があるならば、まずはそれをしていただいてからというのが原則となります。笹石さんの場合は職を得ての自立が可能なのですから、まずは生活保護申請の前に……」
そこで備前がスッと手を上げた。
「俺がこの子と初めて会ったときのことなんだけど、この子、俺になんて言ったと思う?」
唐突な備前の言葉に安岡は首を傾げた。
「……わかりません」
「この子ね。自分を飼育しないかと持ちかけてきたんだ。初対面の俺に向かってね。俺は即座に尋常ではない精神状態だと思ったよ」
「たしかに……それはちょっと、ですね……」
「もちろんこのあとは精神科か心療内科に連れて行こうかとは思っているよ。でも流石に俺が身銭を切る訳にもいかないし、この子もお金を持っていない……とても働けるような状態だとは思えない」
「そうですか……」
安岡は困ったような素振りを見せた。
「働けず、お金もなく、親族も頼れない……生活保護が必要だと言う訳ですね」
「少なくとも俺はそう思ったから連れてきたんだ。ついでに言うと昨日賃貸借契約をしたばかりで一切の生活家電がなくてね。悪いんだけど家具什器費の支給もお願いしたいし、契約に際しての敷金も大家さんに待ってもらっていてね。入居一時金も支出できるだろう? なんなら他にも住宅維持費を検討してもらいたい部分もあるんだが……」
「さ、流石は備前さん……良くご存知でいらっしゃる」
「すまないね安岡君……でも、彼女には必要だと思ったものだから」
「ま、まぁ、必要であればやむを得ませんからね……」
「それに本当に申し訳ないが、彼女は本当に身ひとつだったものだから寝具を含めた被服費もお願いしたいし、これはダメ元だけど、可能なら就職もさせたいから就労活動促進費も検討してほしいな」
「ちょ、ちょ、ちょ! 備前さん、本気ですかっ?」
「こんなことは冗談では言わないよ安岡君。これも保護の早期脱却を目指してのことさ」
「そう言われてしまうと……ですが、流石に現状で就労活動促進費までは……」
「もちろん可能な限りで構わないよ?」
「わかりました……それにしても、てんこもりですね」
「それだけ大変な状況という訳なんだよ。あ、そうだ。ゆくゆくは精神科の方面から障害者加算もお願いすることになるかも知れない」
「うう……もう僕はおなかいっぱいです……」
「悪いね。では基本的な聞き取りも済んだろうから、早速、申請手続きに入ろうか」
「いやぁ……もう僕の手に負える気がしませんよ備前さんを相手に」
「ははは、まぁそう言わずに。不明点があればなんでも答えるからさ」
「お手柔らかにお願いしますよ~?」
加奈子の生活保護申請は終始備前の主導によって行われた。
生い立ち、通院暦、年金加入状況などの聞き取りも含め、申請書を含む何枚かの書類に加奈子本人が署名することで生活保護申請はつつがなく完了した。