老害頑固ジジィ(2)
珠慶覧の自宅は立派な門に広い庭のついた大きな家だった。
歴史を感じさせる瓦吹きの古民家で、経年劣化こそ著しい状態であったが、かつてこの辺りでは大きな影響力を持っていた家系であることが窺えるものだった。
そしてその広い玄関も驚くほど綺麗に整頓されている。
「うわー、意外にも綺麗にしてるんだねぇ」
「珠慶覧さん、そういうところだけはしっかりしてるから」
玄関の上がりはなに三人は腰掛け、珠慶覧がその奥に椅子を運んできて座っていた。
みんなは自己紹介を終えて改めて話を始める。
「立派なお宅ですね。地方の豪族といった感じでしょうか」
備前が珠慶覧をおだてるように言った。すると、珠慶覧は露骨に気分をよくした様子で胸を張った。
「そうだ。ウチは昔、この辺り一帯をしめていたんだ。それだけじゃない。ワシは昔からケンカじゃ誰にも負けなかったんだ」
「武勇伝とか今関係なさすぎワロタ」
加奈子は小さく小さな声でツッコんだ。
そんな加奈子のつぶやきを聞いて、芥附が呆れた顔で言う。
「またそんなこと言って。すごいのは奥さんの家で、珠慶覧さん婿入りじゃない」
「ワシは腕っぷし一つであいつをめとったんだ!」
「その腕っぷししかないから奥さん苦労したんでしょ?」
「なにをぉ……!?」
珠慶覧のこめかみに青筋が浮かんだ。
「まあまあ、お二人とも落ち着いて」
珠慶覧と芥附を備前がなだめる。
「珠慶覧さんの若い頃には男気も大切だったんでしょう。それより、もっと詳しく珠慶覧さんのお話を伺えませんか。支援させていただくにしろ、どういった生き方をされてきたのか教えていただかないといけませんから、まずはそちらを先に」
話がこじれる前にと備前が切り出すと、何を言われるまでもなく加奈子が話を聞き取る準備をする。
「そこの若いの。人生の先達から教えてやるが、女の前でヘイコラして顔色ばかり伺ったっていいことはねぇ」
「はは。とどめておくことにします」
備前は気にしたふうもなく軽く笑って流し、珠慶覧からだいぶ盛ったような武勇伝を含む必要事項を聞き出したのだった。
珠慶覧は一見して面倒そうなことを嫌う頑固者に見えるが、得意げに語らせてやればたやすく口を開いた。
そしてその概要は、自慢げに語る話とは裏腹にとても内容の薄いものだった。
地域でもバカ高校と揶揄される学校を卒業後、一度は就職するも人間関係を悪化させ退職。偶然にも当時付き合っていた妻が妊娠したため結婚することになったが、妻の両親に反対され、半ば二人で独立するように家を出る。
それでも妻の実家が裕福であったため広い敷地に家まで建ててもらったというわけだ。
当然、土地も家もすべて妻名義。二人いる息子たちはすでに他県に転出し、それぞれ世帯を持っている。そのせいもあってか息子たちはまったく実家に寄り付かないという。
「まったく奴ら。あいつが死んでからちっとも家に寄りつこうとしない。挙句の果てには、ワシに施設に入れただと!? あの親不孝者どもが」
そんな珠慶覧の言葉からその関係性は容易に推し量れる。
「まあまあ、息子の真維君たちもそれぞれ家族を養ってるんだし、いろいろ大変なんでしょ?」
芥附が珠慶覧をなだめるように言う。
「芥附さんは珠慶覧さんの息子さんを知っているのですか?」
「ええ。もともと家も近いし、同級生だったのよ」
「なるほど。では芥附さんは昔から珠慶覧さんを知っていたのですね」
「ええ。それはもう、いろいろと」
芥附はわざとらしく横目で珠慶覧を見た。まるで何か弱みでも握っているかのような態度であり、珠慶覧もまた芥附に対して強く出ることはなかった。
「フン」
「私の家も亡くなった奥さんにはだいぶお世話になったからどうも見放せずに面倒を見てるけど、私にだって、家族はいるし、年頃の子供たちにもお金がかかるから、なんでもしてあげられるわけじゃないんだけど……」
「そうするとさっきみたいにほかの家を恫喝しに行っちゃうってわけかぁ~」
「女子供は黙っとれ!」
「へいへーい」
加奈子に対しては露骨に厳しい態度を取る珠慶覧であったが、加奈子のほうもまるで相手にしていない。
「ほーら! 珠慶覧さん、あんまりそういう男尊女卑みたいなこと言わないの。今じゃ若い子にだって笑われちゃうのよ?」
「フン!」
「なんだったかしら。価値観のアップデート……? をしなきゃ!」
「あ。それもなんかツイフェミっぽいので、笑われちゃうかもです」
「あらそうだったの。いやぁね、私もすっかりオバチャンで」
芥附は闊達に笑った。
「でね? 大変だったのは奥さんのご両親がお仕事を引退したあとよ。いろいろあってお仕事は珠慶覧さん夫婦が継ぐことになったんだけど、それで自分が偉くなったみたいに気が大きくなっちゃったんだか、失敗が続いてねぇ……」
「失敗じゃない! あいつが、あいつが変な気さえ起こさなければ上手くいったんだ!」
「そのあいつとやらが、どこの誰かもわからないくらいに敵だらけになっちゃって。……すっごく大変だったって真維くんから聞いてるのよ?」
「また真維のやつか! 余計なことをベラベラと……!」
「先祖代々の土地も次々と売ることになっちゃって。今はもう、この家と土地しかないみたい」
「昔ぁこの辺り一帯、ワシの土地だったんだ!」
「珠慶覧さんのじゃなくて、奥さんの。でしょ?」
「同じことだ!」
「ほら。この調子だし、わかるでしょ? 腕っぷしだかなんだか知らないけど、こうやって失うばかりの人生だったみたい」
「現実はケンカ全敗でワロタ」
「ガキは黙れ!」
「ヘイヘェーイ」
「なんだそのなめた口の聞き方は! 小娘が目上の人間に向かって!」
「は? 誰もお前なんか目上だと思ってねえよ老害」
売り言葉に買い言葉とばかりに加奈子は珠慶覧を睨みつけた。
「なんだとぉ!?」
「おい小娘よせ。変に刺激すんな」
ブチきれる珠慶覧に、加奈子を手で制そうとする備前。
だが加奈子はそこで引かなかった。
「目上とかなんとか言って、あんたがアタシより先に生まれたのはただの事象だから! あんたが偉いわけじゃねーだろ。大体あんた、その年まで生きてきて何も積み上げてねぇんだろ? 価値がねぇどころかマイナス物件だって自覚しろよコラ」
「こんのガキがぁ!」
「うわっ!」
加奈子の口調にとうとう限界がきた珠慶覧は突然立ち上がって拳を振るった。
しかしその拳を横から止めたのは備前だった。
備前はしっかり手のひらで拳を受け止め、掴んでいる。
「この小娘が挑発をした件については私から詫びます……が、ウチの娘に手を上げるのは控えていただきましょう」
そうドスの効いた声と鋭い目、そして握った手の力を強めると珠慶覧は逃げるようにサッと拳を引いた。
「フン! ワシがもう少し若けりゃあ、お前らなんかブン殴ってやったんだ……!」
そう言って珠慶覧は再び椅子に腰を下ろした。
備前はそれを見て安堵してから加奈子を軽く小突く。
「小娘も変に挑発するな。申請サポートに差し障るだろ」
「はぁい……」
加奈子も反省したように小さくなった。
「申請……?」
しかし珠慶覧もまた同時に備前の言葉にいぶかしげな反応を示していた。
「何のことだ? ワシは何も申請などせんぞ」
珠慶覧の反応を受けて、備前と加奈子は芥附を見た。
芥附は少し苦笑いをして答える。
「実は前に一度、市役所に生活保護の相談に連れていったことがあるんですよ。でもそしたら珠慶覧さん、ワシは生活保護なんか申請しないと意地になっちゃって……」
「ワシはそこまで落ちぶれとらんわ!」
珠慶覧はすねるように言う。
「そりゃそうだ。だって生まれて一度も上がってねーんじゃ落ちようがないもんね~?」
加奈子は笑って煽る。
「なにぃ!?」
「まあまあ……」
備前が加奈子と珠慶覧の間に入って互いをなだめるなか、芥附が言葉を続ける。
「だけど私にも家族がいるし、個人で助けるにも限界はあるし……どうにもこうにもならないから今回相談させてもらったのだけど……やっぱり本人が拒んでいるんじゃあ難しいのかなぁ……」
芥附は二人を心配そうに見る。
「珠慶覧さん、年金も微々たるものだし、保護を受けなきゃやっていけないのを本当は本人もわかってるはずなんですが……」
「なるほど、プライドの問題ですね」
備前は納得したように頷くが、加奈子は吹き出す。
「いーや、近所に頭を下げ回ってるほうがダセェから」
「なにぃ!? 誰が頭なんか下げた!」
「まあまあ珠慶覧さん……ってほら、いっつもこんな感じなんです、この人」
芥附は呆れた。
「珠慶覧さん。そろそろ最後にしましょうよ。私ももう限界よ? 今回ここで申請しないなら、私もう面倒見ないわよ?」
「フン! 誰が面倒を見てくれだなんて頼んだ!」
「あらそう? じゃあもう私、お裾分け持ってくるのやめるから。近所にももう珠慶覧さんに何も渡さなくていいって言い回るし、警察を呼ぶように伝えるからね?」
「うるせえ! 警察なんて何度呼んでも同じだ!」
「ふーん。じゃあ警察に面倒を見てもらいましょうかね」
「望むところだ!」
売り言葉に買い言葉とばかりにヒートアップする珠慶覧と芥附。
「死んでも生活保護なんざゴメンだ! ワシをそんな奴らと一緒にするんじゃねぇ!」
「あっそ。じゃあもう好きにしたら? もう私のとこにも来ないでね?」
「当たり前だ!」
そしてついに珠慶覧と芥附は顔を背けてしまった。
ただそのあと芥附だけは申し訳なさそうに備前たちに言う。
「私から相談しておいて、勝手にこんな結果にしちゃってごめんなさいね。でも、もうこうなったらこんなん見捨てちゃっていいですから」
「いやぁ、そう言われましても……」
備前は苦笑した。
しかしそうすると今度は隣から加奈子も手を挙げる。
「そうしようよパパ。もう無理に関わることないって本人もそう言ってるんだから!」
女性二人の反応を受けて備前はため息を一つ。
「ったく、しょうがねえな……」
備前は呆れ顔で頭をかきながら一気にその表情とともに雰囲気を暗くした。
「こうなった以上、見捨てておさらばが一番いいのかもしれねえがな……乗りかかった船だ。せめて申請の妨げとなっているそのクソったれのプライドをへし折ってやるぐらいは試みてもいいだろう……」
「お! パパがとうとうやる気になったぞ?」
加奈子は途端に楽しそうな顔をした。
「俺がまず言っておきてぇのはジジィ。お前の今までの人生になんの価値があんのかってことだ。話を聞いた限り、小娘の言うとおり何も積み上げてねぇだろ」
「そんなことはねぇ! ワシゃあ、この辺り一帯を……」
「それはお前の功績じゃねぇ。お前は妻の実家の財産を食い潰してきただけのごくつぶしだ」
「うるせえ! 若造が生意気に! 出ていけ!」
「本当のことを言われてケンカができねぇからそうやって逃げんだろ? 腕力しかねぇんじゃ、昔から頭の悪さで負け続きだもんな?」
「なんだとぉ……!?」
「そういう態度が透けているから、子どもらにも見捨てられんだよ。二人いる息子のどちらにも面倒を見てもらえねぇってのがその証拠だろうが」
「それはあいつらが薄情者だからだ!」
「違うね、因果応報だ」
「なにぃ!?」
「どうせ昔から自由気ままに振る舞って、威張り散らかしてきたんだろ? いったい誰がそんな老害を引き取りたいと思うんだ? ろくな財産もねぇマイナス価値のゴミ物件を」
「財産ならこんな立派な家がまだあるだろうが! 知ったような口を聞くな!」
「だが、子どもたちはすでにそれぞれ家庭や家を持ってんだろ? 今さらこんな家をもらっても逆に迷惑だろ」
「そんなわけねぇ!」
「売って金になるならまだいいさ。だが、この辺りの空き家状況を見るに買い手はつかねぇんだろ? まさにお前の存在みてぇなマイナス不動産、ただの負債じゃねえか」
「黙れ若造が!」
「そっちこそ黙れしか言えねぇなら黙ってろ。そうすりゃ助けてやるっつってんだよ。バカは黙って賢い奴に頭を下げてろや。どうせこの家もお前の家じゃねぇんだ。とっとと諦めて生活保護になったらどうだ」
「うるせぇ! そんなもの死んでもなるかってんだ!」
「そんなムキになって守るような価値のあるプライドじゃねぇだろ。意地張ってんじゃねぇよ」
「こんなガキぁ……」
とうとうこめかみに青筋を浮かべた珠慶覧は拳を振り上げ、備前に迫った。
しかし衰えたその動きは鈍く、備前の手によって簡単に突き放されてしまった。
「おう。自慢の腕っぷしはどうしたよ? それが唯一のプライドなんだろ? 本当に何もなくなっちまうなぁ……?」
珠慶覧は怒りの矛先を探すように目元を引きつらせていたが、言葉が出てこない様子だった。
「何もなさねぇ。誰にも必要とされねぇ。それがお前だよ。なぁにが昔の栄光だ。そんなもんただの貰いもんじゃねーか。お前の人生、自分で作り上げたもんなんざ一つもねぇ。そんなゴミが偉そうに言葉を並べてんじゃねえよ」
「ワシだってなぁ……あそこであいつが裏切りさえしなけりゃ、人の親切を仇で返しやがって……」
「親切にしてやったなんて傲慢な言い方だな。優しさなんざ所詮は弱さの裏側なんだよ。なにが男気だ。不要なもんを切り捨てられねぇ愚かさだろ」
「息子どもにしたってそうだ! あんなに手をかけてやったのに……」
「何もなせなかった理由に子どもを使うなよ。情けねぇ男だなお前は」
珠慶覧の目は怒りに満ちていたが、とうとう何も言えなくなってしまった。
「腕っぷしが強かったってのは理解しておいてやろう……。だがな、そんなもんは今の時代、言葉の前には無力だったな」
備前は珠慶覧を傲岸に見下して告げる。
「資産家のツレを捕まえて、そこだけは上手く人生を渡ってきたんだろう。だが時代はお前を消費し尽くした。今のお前は腸からヒリ出されて、そのストマ、便袋に溜まったただのうんこだよ」
「くっさぁ~!」
備前の言葉に相槌を打つように加奈子は笑った。
そしてそんな加奈子を見て備前は力を抜くように笑みをこぼした。
「さて。言うだけ言ってスッキリしたところで俺は帰るぜ」
「自分勝手すぎワロタ」
「だがまあ、好き勝手を言っちまったぶんくれーは助けてやる気がないわけでもない。ただ、それはお前が自分の立場をわきまえて頭を下げてきたときだけだ。わかったな」
「誰がそんなことするか……!」
「なら死んどけクソジジイ」
備前は鼻で笑った。
「小娘。残念だがこの件はここまでだ。帰るぞ」
「アイアイサー!」
加奈子は嬉しそうに敬礼したが、そのあとすぐに芥附のほうへ気まずそうな視線を向ける。
「ごめんなさい芥附さん。アタシがかき回しちゃったせいか今回はどうも厳しいみたいで……」
「いえいえ、こちらこそご足労をかけてしまっただけで申し訳ありません」
頭を下げあう加奈子と芥附を見て備前は軽く微笑む。
「万が一、珠慶覧さんが頭を下げてくるのであらば、この家を残し、住み続けたまま生活保護を受けられるよう計らうこともできますので、よろしくご検討ください」
そんなふうに挨拶もそこそこに、備前と加奈子は珠慶覧宅をあとにした。
その帰り道で加奈子は舌を出すように備前に詫びた。
「パパごめーん。アタシ、あいつの態度にムカついちゃってさ~……せっかくパパが手を差し伸べようとしてたのに、台無しにしちゃったぁ……」
「まあいい。あの性格じゃあ、もともと養分には向いてねぇし先も短そうだ。こういうときはさっさと忘れるのが一番だ」
「そうだね。パパもけっこうがっつり言いたいことを言ってて面白かったよ?」
「老害は死んで、ただ消えゆけ、だな」
「芥附さんも、たまに死んだか確認に行くって言ってた」
「はは。腐ってゾンビ肉になる前に見つけてやらんとな」
「うげぇ……ねぇ? パパはそういうゾンビ肉にも立ち会ったことあるの?」
「あるぞ。真夏のクソ暑い日にな、安岡君が泣きながら訪問先から電話かけてきてな。あんまりパニックになってるんで心配になって行ってみれば、いい感じにデロッデロになった……」
「あーあー! やっぱいいや~!」
加奈子は耳を塞ぎながら備前の言葉を遮った。
「ああ見えて安岡さんも苦労してるんだなぁ……」
「CWなんて誰もがそんなもんさ」
備前は軽く笑った。
「とりま、今日は社会のゴミが一日も早くゾンビになることを祈ろう」
「うん。アタシも一生懸命祈るよ」
二人はすぐに気分を切り替えた様子で仲良く歩いて帰った。







