統失ツイフェミ女(6)
二階にあるカーテンが引き裂かれ、切り刻まれた布団から綿が散らかる部屋の中で、酒匂は布団に包まって震えていた。
「大丈夫……?」
加奈子はそっと声を掛ける。
「来ないで!」
すぐに叫び声が返ってくる。
「安心しなよ。アタシ、敵じゃねぇし」
すると酒匂はおそるおそる顔を見せる。
「アタシのこと覚えてる? こないだ食べ物持ってきた笹石加奈子だよ?」
すると酒匂は少し落ち着いた様子を見せた。
「怖かったら、布団に包まっててもいいよ。その代わりアタシとちょっとお話ししようよ」
「お話……?」
酒匂の口調はまだなにかに怯えているようであったが、少なくともそれは加奈子に対してではない様子だった。
「そう。アタシさ、酒匂さんの横にいる人に興味があるんだよね。アタシにも紹介してよ」
「見える?」
「ううん、正直言うと見えない。でも酒匂さんはその人とお話ししてるじゃん? ……もしかしてその人が息子さん?」
小さく頷く酒匂。
「イケメンなの?」
「あんまり……」
「いや、そこイケメンって言ってやんなよ息子なら! かわいそうじゃん!」
「あ、あはは……」
「何歳ぐらい?」
「あれ……? 今いくつだったかな……? 思い出せない。私、頭が悪くて……」
「そんなことないよ。たぶんアタシのほうがバカだし」
「そうなの……?」
「そ! だから今、一生懸命勉強してんの」
「偉い……」
「でしょ~? やっぱ人間、こーじょー心が大事だって気づいちゃったわけよ!」
加奈子は少し胸を張った。
「息子さんは学生さん?」
「えっと……」
酒匂は答えにくそうにしていた。
「名前は?」
「ハル……」
「父親はいないの?」
「えっと……言わなきゃダメ……?」
「ダメだよ~? だって女同士の恋バナじゃん! なに? もったいぶるなら、アタシから話そうか? って、なんかアタシにあったっけな~、恋バナ」
「恋バナ……」
加奈子が頭をひねると、酒匂が小さな声で呟く。
「笑わない?」
「笑わないよ! どうして笑うんさ?」
「今までの人はちゃんと聞いてくれなかった……親身になって聞いてくれるふりはするけど、私のいないところで笑ってるって……」
「それは息子さんが教えてくれるの?」
小さくうなずく酒匂。
「リモート調査してくるん? すげー息子さんだね。でもわかった。アタシ笑わないよ!」
「……じゃあ、話す」
酒匂は意を決したように口を開く。
「本当は、ハルは、産みたくて産んだ子じゃない……」
「マジか! もしかして恋バナとかのレベルじゃなかった?」
頷く酒匂。
「昔、化け物が部屋に侵入してきて、私を無理やり……」
「マジか……」
「私も必死に抵抗したけど……」
「も、もしかしてこの部屋の惨状って……」
「その化け物と戦ったときについた傷がまだ残ってるの……」
「すげー壮絶な戦いだったんだねぇ……いったいどんな化け物だったん?」
「ゴブリンみたいな……」
「マジか……倒したん?」
酒匂は力なく首を横に振る。
「私に乱暴したあと、スライムみたいに窓の隙間から擦り抜けてどこかに帰っていったの」
「すげーな、まさか新種のスライムゴブリンだったのか……」
「病院に行っても警察に行っても取り合ってくれなくて。気がついたら妊娠しちゃってた」
「もしかして息子さんって、ゴブリンだったりするん?」
頷く酒匂。
「だから、あんまりイケメンじゃないし、学校にも行けないの」
「かわいそう……」
「でも、私がお腹を痛めて産んだ子だから……」
「や、やっぱ出産は痛かったの?」
「あれ……? あんまり覚えてない……」
「そっか。でも、まあ結果的に息子さんも大きくなったならよかったじゃん」
「でも、私、この子のことが心配で……」
「なんで?」
「子どもがいるってわかったら、化け物が連れ戻しに来るかも……」
「マジ!? 化け物ってそんなに近くにいる感じ!? それって家の中にいてもヤバい?」
「ちょっとでも隙間があると身体をねじ込んでくるの……前は玄関の郵便受けの隙間からグニャってなって侵入してきた……」
「ああ……だからあんなにガチガチにガムテープで郵便受けを塞いでたんだね?」
頷く酒匂。
「あれ? でもそれじゃあ、さっき玄関のガラスが割れたの大丈夫なん?」
「ひっ!」
飛び上がるように慄いて布団に包まる酒匂。
「怖い。怖いぃ……。もうどうしたらいいのぉ……?」
「マジかよ……割れたガラスの隙間からモンスターが入ってくるのかよ……」
加奈子は愕然としたが、すぐに妙案とばかりに手を打った。
「じゃあさ、一時的にホーリーフィールドに避難するってのは、どう?」
「ホーリーフィールド……?」
「うん。酒匂さんみたいに、モンスターに狙われた人が避難するために強固な防壁で守られた場所があるんだよね」
「そ、そんなの知らなかった……」
「そりゃそうでしょ。本当はこの世界にモンスターがいますなんて、政府が大っぴらに言えるわけないじゃん」
「た、たしかに……」
「一般人には秘密にされてるんだ。政府が隠しているってこと」
「へ、へぇ~……」
「でも安心して! アタシもそこの病院……じゃなかった、ホーリーフィールドに行ったことがあっから!」
「本当に……?」
「じゃなかったら人に勧めないって! まあ、ちょっとは自由も制限されちゃうかもしれないけどさ。ここは息子さんを守るためにも決断すべきなんじゃないの~?」
「……うん」
酒匂は小さく頷く。
「よーし! そうなったら善は急げだ。アタシが酒匂さんを連れてくから、急いでホーリーフィールドに行くよ~!」
「……うん」
それでも酒匂は不安げにしていた。
「ほら、もっと元気出しなよ。行くよって言ったら、おおっ! って言うんだよ!」
「わ、わかった……」
「じゃあ気を取り直して、ホーリーフィールドに、ゴー!」
「おー!」
「ちょっと待って!? 今、ちゃんと息子さんもおおっ! て言ったの!?」
「……言ってない」
「ダメじゃん! これは息子さんを守るための聖戦なんでしょ!? ちゃんと言わせて! ほら、もう一度だよ? ホーリーフィードに、ゴー!」
「おー!」
酒匂は控えめながらも加奈子につられて手を挙げていた。
その後、家の外で待機していた安岡は加奈子が酒匂を伴って出てきたのを見て驚いた。
「ほら、安岡さん! 酒匂さんを連れてきたから早いとこ病……じゃなかった。ホーリーフィールドに行くよ~!」
「え? ホ、ホーリーフィールド……?」
「だから、もう隠す必要ないんだって、当初の予定どおりにホーリーフィールドに連れてくんだよ! 早く! ゴブリンが来る前に!」
「あ! あぁ、ホーリーフィールドですね……!?」
「もう! しっかりしてよ、安岡さん!」
「ご、ごめんなさい……」
バツが悪そうにする安岡を尻目に加奈子は酒匂を見やる。
「酒匂さんゴメンね~? アタシの部下、クソオスでさ~……ちょっと我慢してくれる?」
「う、うん……ちょっとの間だけなら……」
「え!? 俺、笹石さんの部下なの……?」
「ほれっ! さっさと車を運転せいや~っ!」
「は、はいぃ!」
首を傾げる安岡の尻を叩くように車を運転させ、加奈子は無事に酒匂を精神病院まで搬送したのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は少々信じられない主張がありますが……私自身がこういう人物を知ってるんですね。
ちなみに前書きには書きませんでしたが、政府が隠している機関ホーリーフィールドは、実は存在しないんです。
知ったら消されるかもしれないので、そういうことにしておきましょう(笑)







