統失ツイフェミ女(5)
当日、福祉事務所を訪れた加奈子は、安岡の運転する公用車に同乗して酒匂の家まで向かった。
まず酒匂の名前を呼ぶ前に家のまわりを回って、トイレの便槽から糞尿が溢れている現場を写真撮影する。
「たしかにこれはひどいですね。あとで業者を手配しておきます」
「安岡さん、それも保護費から出るの?」
「いやいや生活扶助費などで工面してもらいます」
「でも、たぶんお金の管理できないよ?」
「金銭管理契約を外部と結んでもらいます。おそらく社会福祉協議会は身元引受人がいないので無理でしょうから、今回は民間業者に当たってみるつもりです」
「さっすが安岡さん!」
「では、早速本人に会ってみましょうか」
「おー!」
家のまわりの確認を終えた二人は玄関に回り、安岡が前に立ってチャイムを押した。
やはりチャイムは鳴らない。
「おーいっ! さっかーわさーんっ! こないだ来た笹石だよ~!」
さらに加奈子が大きな声で呼びかけたが反応がない。
「あれぇ? 前はすぐに出てきたんだけどな、パパと来たときは」
「ま、まさか何かを察して逃げたんじゃあ……」
安岡は顔を引きつらせて玄関に手をかけるが施錠されていて開かない。
「酒匂さ~ん! 福祉事務所です! 酒匂さ~ん!」
安岡もまた大きな声で呼びかけるが、やはり家の中からの反応はない。
「やばい……前回までと同じく逃げたパターンだ……やっぱ薄々とは病院に連れていかれるから、やばいってわかってたんだ……」
「いやぁ、普通はあの状態で病院行かないほうがやばいでしょ~」
「ですから、それがわからない状態なんですって」
「どうするの?」
「どうするって……探すしかないですよ」
「どこを?」
「どこって……その辺をほっつき歩いていないかですよ。今日はもう病院に連れていくって事前に病院側にも伝えてあるし、すでに入院準備を整えてもらってあるんです」
「準備万端ワロタ」
「くっそー……こんなことなら、朝から家の前で見張っとくんだったぁ……」
安岡はがっくりと肩を落とす。
「ここにパパがいたら詰めが甘いって怒られてたパターンだね~?」
「ぐぅ……」
安岡は頭を抱えた。
「本人が隠し持ってたスマホに連絡取れないの?」
「番号を把握していません」
「そっかー。アタシ酒匂さんのSNSアカウントならわかってるけど、そこにメッセージ送っても見てもらえなきゃそれまでだしねぇ~……」
「困ったなぁ」
二人で腕を組んで考えるが、そこでふと加奈子が首を傾げた。
「あれ? でもさ、そもそも電気止まってるのに酒匂さんがスマホ使えるの変じゃね? だってスマホ料金とか以前に充電とか無理っしょ?」
「たしかに言われてみれば変ですね……でも、それが今なにか……?」
「アタシ思うんだけどさ、現代人ってスマホで繋がれてるみたいなところあるじゃん? ほら、コンセントから充電ケーブルで繋ぎながらスマホいじってるのとか、鎖に繋がれた奴隷かよっ! って思うやつね」
「あはは……笹石さんは独創的な発想をしますねぇ」
「こんな話もどっかで聞いたことあるけど、奴隷同士だと、自分が繋がれた鎖を自慢し始めるらしいよ? 俺の鎖のほうが立派だとか。バカじゃねって思うけど、言われてみれば現代人もワイフォンがどうのとか、アンドロイドがどうとか、同じようなことやってんじゃん?」
「う、うん……? 笹石さん? 今はそんな話より、酒匂さんを探さないと、ですよね?」
だが加奈子は気にしたふうもなく何かを考えている様子だった。
「いや? でもこれって今の状況で大事な話だよ? だって相手はこんな困窮状態にあってもスマホを維持してるような奴じゃん? 言い換えれば鎖に繋がってるような奴じゃん? 奴隷が鎖に繋がったまま遠くまで逃げられっかなぁ……?」
そこで加奈子はポンと手を打った。
「あ、アタシ酒匂さんの居場所わかったかも!」
「えっ!?」
安岡は目を丸くする。
「安岡さんの言うとおり本人を探して近所を回るのもいいんだけどさ。もしかして本人、探すまでもなく、意外とこの近くにいるんじゃね?」
「ど、どういうことですか?」
「いやぁ。スマホ充電したいけど自宅の電気が止められてたらアタシならどうするかなぁ~って考えたらさ……あ! あの家なんか怪しいんじゃない!?」
加奈子ははす向かいの家を指さして言った。立派な外壁に門がついているお宅である。
安岡はさらに意味不明とばかりに首を傾げる。
「ど、どういうことでしょう……? 俺には笹石さんが何を言ってるのかサッパリわからないんですが……」
「いいからいいから! ちょっとあの家、門から中を覗いてみようよ!」
「ダメですよ。人の家を勝手に覗いちゃ!」
「え? でも酒匂さん探すんでしょ? じゃあいいよ。アタシが見てくるから……まったくもう! 公務員はお堅いなぁ~……」
そう言って一人で歩き出す加奈子の手を、安岡がうしろから取って止める。
「待ってください。せめて、なんであちらのお宅にいると思ったのかくらい教えてくださいよ。そうでもなければ不法侵入みたいなことはオススメできませんって!」
慌てた様子の安岡に対し、加奈子は平然と答える。
「車がないから」
「は?」
安岡は呆気にとられたように硬直した。
「だから、カーポートに車が一台もないじゃん! しかも門で中が見えにくいし!」
「な、なんですか。その理由」
「だから。家の人がみんな出かけてる家だからだって! たぶんあの家の外にあるコンセントで充電してるんだよ、酒匂さんは」
「そ、そんなバカな……人んちですよね……?」
安岡は呆然とするばかりだ。
「このあたりの家、どこも一台は車が残ってるし、あの家が狙い目なんじゃないかなって名探偵加奈子ちゃんのカン……じゃなくて、推理が導き出したぁ! ……真実はいつもヒドス!」
「せ、窃盗になるんですよ? 電気だって……そんなメチャクチャな推理が……」
「うん。だからあの家にいなければアタシももう余計なことは言わないって」
「じゃ、じゃあ……すみませんが、ちょっとだけお願いできますか?」
安岡は渋々の手を離した。
「うん! ちょっと待っててね~!」
そう言って加奈子ははす向かいの家に駆けていき、
「いたぁ!」
酒匂の首根っこを押さえて出てきたのだった。
「うそ……だろ……?」
安岡は目も当てられないとばかりにぎゅっと目を瞑った。
その後、一度酒匂宅に入った三人は玄関で話をしていた。
「どうして他人の家でスマホ充電なんかしてるんですか!」
酒匂に注意をする安岡。
「そんなの自分ちの電気が止まってるからじゃんね~?」
反対に酒匂の横に並ぶようにする加奈子。
「ちょっ! 笹石さんはどっちの味方なんですか!」
「別に安岡さんの味方になったつもりもないしなぁ~……」
「う……ま、まあいいです。この件はあとでしっかりと対応することとして、今日のところは本題、検診命令による通院をしましょう。特別に公用車で同行しますから」
安岡がそう言うと、酒匂は少し懸念そうな顔をした。
「それなんですが、やっぱり私、病院なんか行かなくても平気です……」
驚く二人。
「ど、どうしてですか? 酒匂さん、これは検診命令ですよ?」
と安岡。
「でも、私どこも悪くありません」
「ですから、それを確かめるために病院に行くんです。保護を受ける前の健康チェックみたいなもので、基本的に受診してもらっているんです」
この安岡のセリフは嘘を含むが、彼なりの酒匂を説得するための方便である。
「私のためにそこまでしていただく必要はありません」
「いや、あるんですよ、こちらに理由が」
「ですが、お金ももったいないですし……」
「市が負担するんです」
「でも、行きたくないんです」
「そんな勝手なことは許可できません。検診命令を無視したら生活保護だって停廃止になるかもしれないんですよ?」
「構いません」
「か、構わないって……それじゃあ、酒匂さんお金なくて死んじゃうでしょ」
「大丈夫です。息子が助けてくれますので」
「……え?」
安岡は固まった。
「……さ、酒匂さん、お子さんなんていないですよね……?」
「います! なので、もうけっこうです!」
酒匂の口調も強くなっていく。
「なら、せめてその息子さんに連絡取らせてくださいよ」
「嫌です! なんなんですか、あなた。さっきから人の家の都合に!」
「そりゃあこっちもCWですから、生活保護者のことをよく知っておく必要がありますので!」
徐々に二人の間が緊張していくなか、酒匂はおもむろに隣の空間に喋り始める。
「どうする? ……うん、そうだよね。信用できないか……」
そしてその会話が終わると、今度は安岡を強く睨む。
「帰ってください。もうあなたと話すことはありません。これだからクソオスは……」
「こっちだって用が済んだら帰りますから! 今日はせめて病院まで来てくださいよ!」
二人の会話はヒートアップしていく。
「嫌です!」
「命令ですよ!」
「嫌です!」
「なんでそこまで拒むんですか!? そこの隣の何かが拒否れって言うんですか!」
「そんなのどうだっていいんです!」
「本当はそこに何もいないのを自分でもわかってるんじゃないですか!?」
すると一瞬、酒匂は表情を引きつらせて固まった。
「あ、地雷踏んだやつだ」
加奈子はボソッと呟いた。
そしてそのあと般若のような表情で怒り始めた。
「嫌だって言ってんだろおおおおぉ!」
そして大声を上げて発狂し、手当たり次第に玄関にあった置物などを手に取って投げ、暴れ出した。
安岡がそれを回避したことによってうしろの玄関のガラスが割れたりと、その場は混沌の状況となっている。
「警察呼ぶぞコラァエアアア!」
その酒匂の豹変ぶりに安岡も青くなる。
「お、落ち着きましょう酒匂さん。こっちも少し控えますから……」
「うるせえええぇっ! 出てけぇっ! 出てけいけえええぇっ!」
「ちょっ! 痛っ! 痛いです! ちょっと物投げるのやめてもらっていいですか!」
「うるせえぇっ! うるせえぇっ! うるせえええぇっ!」
「あー! もうわかりました! 一度引きますから!」
手当たり次第に物を投げて攻撃する酒匂にたまらず安岡は家の外に逃げ出した。
発狂した酒匂と家から締め出された安岡を見て、その場に残された加奈子は呆然としながらもスマホの録画を止めた。
「あの、大丈夫……?」
加奈子は肩で息をする酒匂に心配そうに尋ねる。
ところが声をかけられた酒匂はそんな加奈子をまるで視界にすら入れていないかのように、割れた玄関のガラスを見て青くなった。
「ど、どうしよう……? うんうん、そうだよね。まずは急いで塞かないと、あいつらが来ちゃう……!」
そしてそんな独り言を言ったかと思えば、何を思ったのか近くに転がっていたティッシュボックスからティッシュを二、三枚手に取って、それで割れたガラスの穴を埋めようとし始めた。
「よし、ひとまずはこれでいいよね……?」
そうは言ってもテープで貼り付けた訳でもないティッシュは手を離した瞬間にハラリと落ちてしまうのだが、酒匂は気にした様子ではなかった。
床に落ちたティッシュには割れたガラスで切ったのか少し血が付いていた。
「だ、大丈夫、酒匂さん……? 手とか切っちゃってない……?」
「え……?」
今度は加奈子の声が聞こえたのか自分の手を見る酒匂。
その手からは加奈子の言うとおり、ガラスで切った傷があった。
「う、うそ。もうあいつらが来たっていうの……?」
そして愕然としたと思いきや、
「嫌、いやあああぁっ!」
そんな叫び声を上げて、二階へ駆け上がってしまった。
そんな様子を訳もわからずポカンとして見ている加奈子。
「なにこれ? ちょっとあの人なに言ってるかわかんない。どうすんのこれ……ただ一緒に病院に行くだけの話がどうしてこんなカオスなことになってんだ……?」
加奈子は首を傾げる。
「弱ったな。安岡さんも締め出されちゃったし、これ、もうあいつを連れ出すとか無理ゲーじゃね?」
しかし加奈子はため息をつきながらも、力強く拳を握った。
「仕方ねーなー。ここはもう加奈子ちゃんが一肌脱いでやりますか!」
そして大きく鼻から息を抜いて靴を脱ぐと、二階へ続く階段を登っていった。
その様相は、さながらダンジョン最深部に挑まんとする冒険者のようであった。







