統失ツイフェミ女(3)
・居住空間を確認するのもCW。立入調査権あり。
・トイレのバイオハザード案件は意外とある。
生活保護の申請に必要な情報について、加奈子は親身になって酒匂の話を聞いた。
酒匂もまた加奈子の問いに対し、嫌な顔をせずに丁寧に答えたのだった。
時折、隣の何もない空間と会話はするものの、酒匂は終始穏やかであった。
「よし、小娘も助手としてなかなかやるようになったな」
「やった!」
「聞き取れた情報も、安岡君からの情報と致命的に食い違ってることはない」
「申請は通りそう?」
「ま、親が隠してる財産がなけりゃあな」
酒匂真夢。48歳。生涯未婚。幼い頃に死んだ弟以外に兄弟はなし。
最近まで父親と二人暮らしであったが、親子間の交流はほぼなく、父親の年金頼みの生活だったところ、父親が施設入所したことから生活に詰む。
父親の持ち家のため家賃はかからないが、本人は一度も就労経験がないため働くことは絶望的だ。
電話がないとの主張に疑問が残るような態度を一瞬だけ見せたものの、それ以外は至って順調に話は進んだ。
自動車運転免許も車もなく、それ以前に外出を嫌う傾向もあった。
「オッケー! この情報と申請書を安岡さんに渡せばアタシたちの仕事は終わりだね! なぁんだ、パパにかかりゃ楽勝じゃん!」
加奈子は笑っていたが、備前はまだ表情を緩めなかった。
「待て。まだ確認することがある」
「「え?」」
加奈子と酒匂は驚いた顔をするが、備前は至って真面目に続ける。
「ちょっと家の中を見せろ」
「え!? な、なんでですか!?」
「酒の匂いとクソの匂いが異常なんだよ。生活状況を確認するのもCWの仕事だからな。保護費が欲しけりゃ正直に晒してもらうぞ」
言うが早いか、備前は玄関に靴を脱いで素早く家に上がった。
備前は家へ上がり込むや否や、廊下に面した扉を近いほうから順番に開け放っていく。そしていくつかの扉を開けたところでその動きは止まった。
「酷ぇな、こりゃあ……」
「どったのパパ? なにが……って、うわっ!?」
備前のうしろからひょっこりと覗き込んだ加奈子も驚く。
「山盛りウンコじゃねえか!」
そこにあったのは上蓋が開いたままの洋式便所であったが、なんと積もりに積もった排便が山を築き、便座の高さを超えていたのだ。
便器を茶碗に見立てれば、一見して大盛りご飯にすら見える形である。
それは当然のごとく悪臭を放っている。尻を拭いただろうトイレットペーパーも一体となって積み上がっているが、それらもまた便の色に染まっているのが生々しい。
「んな、なんで流してないんだよぉ~っ!」
加奈子は叫ぶ。
「よく見ろ小娘、水タンクがねぇ。要するにこれはボットン便所に洋式トイレの便座を乗っけただけのトイレなんだ。古い家にありがちだ」
「そんな冷静に状況を見てらんないだろ~! この衝撃の光景を前に!」
「こんな程度で驚くな。むしろ早期の発見でよかったくらいだ」
「マジっスか!」
「酷ぇケースだとケツ拭いた紙で床が埋め尽くされ、さらに便器そのものを飲み込むようにその紙が積み上がっちまうケースもある。当然そうなると糞尿は便器の外に排泄されていることになる」
「うわっ! バイオハザードじゃねーか!」
加奈子は飛びのいて自分の足の裏を見た。
「大丈夫だ。まだ便器内に山盛りの状態だからな。多分、便座の上でうんこ座りすればいけ
るんだろう」
「いや、その前に汲み取りとかなんとかしろよっ!」
「わかんねえのか小娘。汲み取りを依頼する普通の電話一本。それをできるのは普通の人間だけだ」
「う!」
「……こうなると、さっき家の外が臭かったのも、どうやら近所にバキュームカーが来ていたわけじゃなさそうだぞ……? 小娘、ちょっとついて来い」
今度はまた靴を履いて家の外に出る備前。
玄関から家を回り込んでトイレの前まで向かうと、そこに広がっていたのは地獄の光景。
「やっぱりな……こりゃ酷ぇや」
「嘘でしょ~……? もう地獄じゃん、これ……」
そこにあったのは排便をためておく便槽であったが、満杯になった槽の中から圧力に押されて外れた蓋と、そこから大量にあふれている糞尿だったのだ。
「このあたりの悪臭の原因はこれだな」
「公害じゃねーか!」
「しかも、まだ嫌な予感がすんぜ? 蓋が開いてそこから糞尿が逃げられるというのにトイレは山盛り……便槽の蓋と便器の高低差を考えてみるに……」
「ど、どういうこと……? パパ、アタシにもわかるように説明してよぉ~!」
「要するに、高低差があっても糞尿が流れない状態。配管の中がウンコでパンパンのギッチギチ。下手したらカッチカチでバッキバキだ」
「うんこ棒でワロタ」
「まあ、もう棒じゃなくて柱の状態だろうがな。俺もこんなのは久しぶりだぜ」
「久しぶりって……特別なケースじゃねぇのかよぉ……」
「ハッ! さしずめご近所ガチャのSSRってところか」
「垢BANされろっ!」
加奈子は叫びながら肩を落とした。
「ま、これの始末は安岡君に任せるとして、俺たちは調査を続けるぞ」
「うへぇ……CWさんって、ガチでこんなことやってんの……?」
「そうだが?」
「なにその当たり前の反応ワロタ……」
げんなりとした顔で加奈子は備前とともに酒匂宅内に戻った。
調査を再開した二人はまず一階に残る居間を確認するが、その生活空間は普通と言ってもよい水準程度には整っていた。
「ふむ。居間は意外としっかりしているな。多少散らかってはいるが」
「掃除ができないってわけじゃないんだねぇ」
「だが、間取り的に奥は和室か。酒の匂いがプンプンするぜ」
「あ、開けるの……?」
備前の視線が仕切りの襖に向くなり途端に慌て始める酒匂。
「当たり前だ」
備前は躊躇なく襖を開ける。そこには部屋を埋め尽くす日本酒の瓶。中身はすべて空だ。
「ここはゴミ箱か?」
備前は酒匂に向かって問う。
「ち、父が使ってた部屋です……」
「と、いうことは父が入所してからのわずかな間にこれか。アルコール中毒というより酒を食い物より優先しているレベルだな……脳が委縮している可能性もあり、っと」
備前は淡々とメモを取っていく。
「パパはこんなのじゃ驚きもしない、っと」
加奈子も関係のない備前の様子をメモを取っていく。
続いて台所、浴室を見て回るが、意外にも綺麗だった。
「へぇ、さっきのゴミ部屋とトイレ以外は意外と綺麗なんだねぇ……」
「いや、それはどうだろうな? 見たまんまの状況とはまた一味違うかもしれねぇぞ?」
「へっ?」
備前は何か思いついたように部屋の照明と思われるスイッチを入れた。
しかし照明は点かない。
「あれぇ? 電気が壊れてるのかなぁ~?」
加奈子が首を傾げているのも気にせず、続いて冷蔵庫を開ける備前。中身はほぼ空である。
「電気は止まっている……っと」
「うえっ!?」
続けて迷いなく水道をひねる備前。
「水も出ねぇ……水道も停止っと」
「た、淡々と言うこと……?」
「ま、貧困のデフォだな。台所も風呂も綺麗なんじゃねえ。使ってねぇんだ」
「ど、どおりで……酒匂さん自体が臭ぇと思った……」
「ほらほら言ってやんな。統失に目をつけられるとやべぇぞ?」
「ヤバっ! 気をつけようっと!」
加奈子は危機感を隠すように少し笑った。
「さて、一階は全部見たし、残るは二階だな」
「あ、あのぉ……」
備前が階段を登ろうとしたとき、酒匂が声を上げた。
「二階はやめたほうが……」
「ははは、なにがやめたほうが、だ。見られたくねぇだけだろ?」
備前は申請書を貰い終えているからか、酒匂に対していつの間にか強い態度になっている。
「ち、違います……」
「なにが違うんだ?」
「モ、モンスターが出るんです……」
「モンスターだぁ!?」
備前は眉間にしわを寄せる。
「現実にもモンスターを特殊召喚!」
加奈子は色めきだった。
「パパちょっとどいて! アタシ、モンスター見たぁい!」
そう言って加奈子は階段を駆け上がっていった。
「やめて! やめてぇ……」
二階への侵入を許した酒匂は床に崩れ落ちた。
備前はそんな酒匂に向かって問う。
「なにかあったんだな?」
「言えません。そんなこと言えません」
「質問を変える。二階には何があるんだ?」
「私と、息子の部屋です……」
「あんた、未婚のはずだろ?」
「べ、別にいいじゃないですか!」
「ふむ。まあ、詳しくは二階を見てから聞くか……」
備前は崩れたままの酒匂を置いて二階に上がった。
そこにはたしかに二つのドアがある。そして片方のドアの前で加奈子は呆然と立ち尽くしていた。
「どうした小娘。なんか面白いもんでも見つかったか?」
「あ、パパ……なんかアタシ、すごいもの見ちゃった」
加奈子の目の前に広がる室内。そこはまるで何者かに荒らされたような惨状だった。
引き裂かれたカーテン。傷だらけの机。布団や毛布は刃物で切り裂かれ、中から飛び出した綿や羽毛などが部屋中に飛び散っている。
室内すべての物がホコリをかぶり、カレンダーは数年前のまま時計の針も止まっている。
引き裂かれたカーテンの隙間から入る陽光が薄暗いその部屋の不気味さを一層引き立てていた。
「ははは。この状況じゃあ、死体でもなきゃすごいとは言わねぇよ」
そんなふうに笑いながら備前は加奈子の横に並んで室内を見る。
「ふむ。小娘が驚くくらいの状況だな」
備前は淡々と言っただけで特にそれ以外の反応は示さず、隣の部屋へ移る。
「こっちが息子の部屋か……やはり幻のほうだったな」
残る一部屋は物が何もない空き部屋だった。
「息子の部屋? なにそれ、あの人、子どもいないんじゃなかったの?」
「さぁな。さっきはいるって言ってたぜ。二階は自分と息子の部屋だってな……幻の存在と話をしているくらいだから、家族も家具もすべて幻なんじゃねーの、ははは」
「は? わけわかんない」
「統失の言うことを間に受けんな。全部妄想だと思え」
「ひぇ~……」
「な? モンスターなんかいなかったろ?」
「ふーんだ! いたけどアタシがパワーで瞬殺したね!」
「あっそう」
備前は興味なさそうに階段を下りようとする。
「待ってよ。パパは気になんないの? なんなのこの異常な部屋!」
「まったく気になんねぇ。ただ本人が発狂した跡だろ?」
「いや、そもそもこの家全体が普通じゃないから! もっと気にしろよっ!」
「小娘こそなに言ってんだ? こんな程度、やばいレベルで言ったら高く見積もっても上の下だ。そこら中にいくらでもある……普通の人間は関わらねぇから見ねぇってだけでな」
「嘘でしょ!? こんなのそうそうあるわけないじゃん! 絶対ウソだっ!」
「お前、世界がメルヘンだとでも思ってんのか? 現実には汚ぇモンを片づける人間がいるから世界は綺麗に見えてんだ」
「うぅ……その汚ぇモンがこれかよぉ……」
「安岡君には病院送り確定だと伝えとくか……小娘、酒匂の日程都合も聞いておけよ。すぐに検診命令を出させるから」
「わかった」
加奈子は、平然と階段を下りていく備前を呆然と見ていた。
「ぜ、全部本当なんだ……パパにとっては、こんな異常な家でも低級ダンジョン扱いなんだ……どんだけ場慣れしてる冒険者なんだよぅ……改めて実感した。パパやべぇ。パパやべぇ……」
加奈子はまるでモンスターと争った跡のような室内をもう一目だけ見て、目を瞑った。
その後、備前と加奈子は酒匂から預かった申請書だけを当日中に福祉事務所に提出し、詳細をまとめた資料は数日後に改めて提出することになった。







