加奈子(回想5)
翌日、備前は加奈子を連れてI市役所を訪れた。市民課で転入の手続きと住民票の閲覧制限を行うためだ。
「パパ。転入手続きって先に転出の手続きをしておかなくてもいいの?」
「小娘のくせに意外といいところに気づくな」
「えへん」
「たしかに小娘の言うとおりだが、マイナンバーカードを持っていれば転出元へは郵送で転出届を送付しておけばいいんだ」
「アタシそんなの送ってないよ?」
「俺が昨日やっておいた」
「うわ。勝手に!?」
「俺は行政書士の肩書きも持っているからな」
「う~ん。良くわかんないけどすごい」
「万が一、小娘から俺への金の流れがバレた場合は、この報酬を分割払いで貰っていることにする」
「うわ。悪い計算だ」
「しかもだ。小娘には俺と財産管理委任契約を結んでもらう」
「そ、それはなに……?」
「要するに金銭管理だ。お前の通帳のひとつを俺が所有し、保護費はそこに振り込まれる。俺はそこから上前を撥ねて残った分を小娘に渡すという寸法だ」
「うわっ! 逃げられないやつだっ!」
「嫌なら別にいいんだぞ? 小娘が路頭に迷おうと俺の知ったこっちゃねぇ」
「サイアクー!」
「もちろんこの契約には第三者なんか挟まねーからな。契約の履行状態を監督する公的機関なんか存在しやしねぇ」
「それはちょっと何言ってるかわかんない」
「簡単だ。小娘は俺の養分だってことだ」
「サイアクすら生ぬるいんですけどっ!」
加奈子は愕然とした。
「なんてな。ま、一応、契約上そうなってはいるが心配するな。大抵のことからなら小娘は俺が守ってやるよ」
「う、う~ん……信じてもいいのかなぁ……」
「まかせろ。俺は小娘にも安定した暮らしを送ってほしいと思ってる」
「……どーせ養分としてなんでしょ?」
「なんだ。意外とバカじゃなかったか」
「もうサイアク! サイアクなんですけど~っ!」
加奈子は備前をポカポカと叩いた。備前はそれを鼻で笑った。
「どうあれ金の卵を産んでいるうちは雌鳥は殺されねぇ。安心して飼われていればいいのさ」
「あうう……」
「言ったろ? 俺はこれでも動物愛護の精神は持っているのさ」
「その言葉、信じちゃうからね……?」
恨めしそうに見る加奈子を備前はまた鼻で笑った。
「で、だ。小娘の保護申請の前にもうひとつ大事な手続きがある」
「例のDVの件だよね?」
「ああ。これが『住民基本台帳事務における支援措置申出書』だ。記入しておけ」
「なんかウソつくみたいで気ノリしないなぁ」
「嘘なものか。小娘が家に居難くなったのも精神的DVだ」
「でも、その程度のことで……」
「もっと小さなことを、さも大事件のように語ってる女なんか腐るほどいるんだよ。バカを見る側に回りたくなきゃとにかく書け」
「はぁい」
加奈子はしぶしぶ記入する。
「これを書くことで、お前以外に住民票はおろか戸籍や附票も取れなくなる。たとえ両親や弁護士が取ろうとしたところでお前の居場所は守られる」
「う~ん……良くわからないけど、わかった」
「よし。これで保護申請の準備は整った」
「お、いよいよだね?」
「一応、財布の中身も確認しておく。見せろ」
「えっ!? お金なんてないのに……」
しぶしぶ出された財布を奪い取って備前は小銭まで全て曝け出した。
「956円か……ゴミだな」
「ひどっ!」
「他にはないんだな?」
「ないよ」
「よしわかった。じゃ、行くぞ。福祉課で保護申請だ」
「ちょっと待って。今、心の準備を……」
「そんなものはいらねー。受け答えは俺がやる。小娘は黙って隣に座ってりゃいいんだ」
「すっごい自信だけど……どうしてパパはそう言い切れるの?」
「俺はこの制度や運用の実態を内部事情まで知り尽くしているからな」
「……どうして?」
「余計な詮索はいい。行くぞ」
「わかったよぅ」
加奈子は煮え切らない思いを抱えたまま備前のあとをついて歩いた。
「そうだ。それと余計な誤解を招くから俺のことをパパと呼ぶな。備前さんと呼べ」
「うん! わかった! マー君!」
「……なんだそれは?」
「えへへ~。昨日、大家さんが言ってた。マー君って」
「やめろ」
「え~? じゃあ名前教えてよ~」
「……正義だ。正義と書いて正義」
「うっわ。まさかの正義かよ~。どう考えても悪~!」
加奈子の脳天にゲンコツが落ちていた。
「いったぁ~いっ!」
備前は鼻息を荒げた。
「備前さんだ!」
「はぁい」
加奈子は口を尖らせて言った。
「パパにDVされたぁ」