統失ツイフェミ女(1)
・特別養護老人ホーム入所は要介護度3以上から
・生活扶助費が入所基準に下がるのは入所翌月から
・食べ物が余ったり困ったりしたらフードバンクへ
・障害年金申請に必要な「医療機関の初診日」条件によりは融通がきく場合も
その日、備前と加奈子はI市福祉事務所の窓口で、安岡に小森の一件を報告していた。
正式な決定は認定調査の結果、要介護度3以上が出たらという仮条件であるものの、当人の状態などからすでにそれが前提となって状況は推移していた。
「さすがですね備前さん。もう入所先を用意しちゃいましたか」
「ま、入所基準になっちまうと保護費の額面自体が減っちまうし、養分としての旨味が少なくなっちまうのが問題だがな」
「すでに安岡さんの前で隠す気ねぇのワロタ」
加奈子はケラケラ笑った。
「しかし特養に入所する際に切り替わる生活扶助費は翌月一日ですから、月初めに申請すると、まるまる一ヶ月分がお得になるんですよね。さすが備前さん。その辺りも抜け目ない」
安岡は妙に嫌味ったらしく言った。
「まあそんなことはいいんだ。ボケて徘徊やトラブルを起こし面倒を被るのもバカみてぇだしよ。特養に突っ込んだら、あとのことは安岡君やケアマネに丸投げすることにしたよ。要するに小森母は廃棄処分にするってわけだ」
「元査察指導員とは思えない言葉ですね」
安岡はさらに苦笑した。
「ねーねーパパ。特養に入った老人はこのあとどうなるの?」
「一概には言えねぇが、回復の見込みなんかねぇからな。死ぬまで寝てるだけだ」
「永遠の眠りワロタ」
「死ぬ間際に体調崩して、病院に移ってから死ぬパターンが多いような印象があるけどな」
「はぁ……ジジババに金かける意味ねー……」
「うぅ……笹石さんがどんどん備前さん化していってしまう……」
安岡は肩を落としたが、ふと何かを思い出したように顔を備前に向けた。
「そうだ。備前さん、たまには俺の頼みとか聞いてくれる気ないですか?」
「ないな」
「そう言わないでくださいよ。新しい養分の可能性だってありますよ?」
「ほう。なら聞こうか」
「安定のパパでワロタ」
「しかし妙だな。なぜそれを安岡君が俺に頼むんだい?」
「アレレー? おっかしーぞー? そもそも安岡さんが生活保護になるって判断できるくらいなら、普通に申請させれば良くない?」
「実は、その申請を手伝ってくれる人がなかなか見つからなくて、備前さんにその人の生活保護申請を手伝ってほしいんです」
それを聞いて備前は露骨に嫌そうな顔をした。
「一人で申請できないタイプか。しかも支援者が見つからないタイプ……厄介だな。ほかの支援者に当たってみればいいだろ? わざわざ面倒な案件を俺にさせるなよ」
「ですがダメだったんです」
「なら見つかるまで支援者を探せばいいだけだろ?」
「だからダメだったんですってば。思いつく限りの支援者が」
「マジか。そんなレベルか」
「マジです」
「障害だろうが、介護だろうが、どんな困窮者だろうが、大抵の奴には何かしらの支援者がついて申請に結びつくはずだが、それすらできなかったということか」
「はい。統合失調症の疑いがあります。それも超ハイレベルの……」
「断る」
備前は即答した。
「そう言わないでくださいよ備前さん。もう頼れる人が備前さんしかいないんです……放っておいたらその人、死んじゃいますよ……」
「死ねばいいだろ。死んだ方がいい。死ぬべきだ。死ね」
「変な四段活用やめてくださいよ~」
安岡は肩を落としながら助けを求めるように加奈子を見た。
「なぁに? 安岡さん、私を見たってダメだよ? パパが断るって時点でやべえんだろうし、関わらないほうが正解だって」
「ひ、人の命がかかってるんですよ?」
「んな無価値なもんを重く見てっから、若者が大変な思いをするんでしょーが!」
「最悪だぁ~……笹石さん、それ最悪の言葉ですよ~……」
安岡はさらに深く肩を沈ませるが、すぐにまた何かを思いついたように目を光らせる。
「でも笹石さん、考えようによっては面白そうじゃないですか? だって幻覚と幻聴を持っているクリーチャーなんてレアモンスターですよ?」
「レア!?」
加奈子の眉がピクリと動いた。
「そうですよ! カードゲームとかでもモンスター召喚! とかやったら、本当に見えちゃうかもしれないやつですよ!」
「うわ! 何それ、面白そう!」
「でしょう? ほかにもテストで困ったときとか、耳元で幻聴が答えを教えてくれたら最高じゃないですか~?」
「うわ! パパの声が聞こえたら、もうアタシ資格取りまくりじゃん!」
「あ、そこは備前さんの声が聞こえるの前提なんですね……?」
安岡は一瞬引いた。
「ね? そんな特殊能力者に会えたなら勉強になると思いませんか笹石さん?」
「なるっ!」
「でしょ。だったら備前さんにお願いしてみましょうよ~」
「うんっ!」
加奈子は嬉しそうにうなずいた。
「パパ!」
そして期待のこもったキラキラした目を備前に向ける加奈子。
「お前ら頭は大丈夫か? お前らこそ統失なんじゃねえのか?」
備前はうんざりした顔で言っていた。
「しかしまぁ、たしかに小娘にとっちゃいい勉強になるかもしれんな……」
「安岡さんが公務員の立場も忘れてクリーチャー呼ばわりするくらいだもんね!」
「う……! そ、それは、人の命を助けるために僕なりに考えて……」
「な? 小娘。こうやって人を人と思わねえ方がいいことを、CWは学んでいくんだよ」
「安岡さんのレベルが上がったぁ!」
「う……お、俺はいったい何を……?」
安岡は思いつめたように頭を抱えてしまった。
「まあいい。たしか前にも一度くらい小娘の勉強に付き合ってやるって言っちまったしな。仕方ねぇ。今回は安岡君のレベルアップ祝いに話くらい聞いてやる」
「ありがとうございます備前さん!」
安岡の瞳は輝いた。
「ねーねーパパ。もしかして福祉事務所って、こうやって一般の人に申請につなげてくれって頼むこともあるの?」
「あんまり例がないわけでもねぇな。今は水際作戦で申請者を追い返すなんてイメージもあるが、根っこのところは福祉なんだよ、腐ってもな。助けたいけど、申請もしてもらえなきゃ困るだろ」
「そっか。不正は許さないけど。本当に困ってる人には助けられるように手を尽くす。CWさんも大変だねぇ」
「ああ、そうだぞ。だから小娘もあんまり安岡君をいじめてやるなよ?」
「それパパが言うのかよワロタ」
結局、統失女の話を聞くことになった備前は不満そうな表情で、深く背もたれに背中を預けた。
「んで? その統失女ってのはどんなやつなんだ?」
「ブチギレパワータイプではないですね。一見すると大人しく、物腰も柔らかい感じです。少し周囲に怯えている様子ですが」
「なら手がつけられない状態になるとは考えにくいがな」
「ですが、少し打ち解けてくると急に人を拒絶するようになってしまうんです。今まで関わった人たちもみんなこのパターンで、もはや誰が訪ねても相手がわかると玄関すら開けてくれなくなってしまいました」
「どうしてそうなるんだ?」
「わかりません。ですが……」
安岡は真面目な顔で言った。
「彼女は常に自分の隣にいる誰かと会話をしています」
場に一瞬の間が空いた。
「それが幻聴および幻覚だと思います。もしかしたら、その幻の人物が指令を出しているのかもしれません。関係を断つように、と」
「なるほど、厄介だな」
「ええ。実在しない人物を説得することなんかできませんからね」
そんな話を真面目な顔でする二人に、珍しく加奈子が呆れた顔をした。
「パパたちもっと真面目に話しなよ……」
「それが大真面目な話なんだよな」
「統合失調症とは、脳の病気の一つで幻覚が見えたり、幻聴が聞こえる人もいるそうです。もっとも当の本人にしてみれば現実と区別がつかないことのようなのですが……」
「マ、マジ……?」
加奈子は少し引きつる。
「ほかにもいろんな症状があってな。思考盗聴されてると思い込んでる奴、電波攻撃を受けてるとか言い出す奴、急に暴れ出して周囲に危害を加える奴……」
「とある普通の一軒家にお住まいの幸せな家庭が、ある日、隣人から突然電波を飛ばしてくるななどと怒鳴らなれるようになって、人生崩壊したなんて話を聞きますし」
「粘着されると、やべーぞ。なんせ人を刺し殺そうが正常な精神状態ではなかった。で無罪。完全に刺され損だからな」
「怖っ! そんなのを世の中に放つなよ!」
「殺人、暴行、強姦、その他。なんでも完全無罪になるのが統合失調症患者様ってわけよ」
「ちょっと言い方に難ありですが、実際はそうなる可能性が十分にありますからね」
「統失は男にもいるからな。小娘もあんま肌を露出して、レイプされても泣くなよ?」
「そんなのヤだっ!」
「命を大事にって、いったいどういう意味なんだろうな?」
「深い意味はわかりますが、備前さん。あくまで今回大切にする命は統失女さんですからね?」
「仕方ねぇ。仮にダメでも諦めろよ? 俺はそもそも助けたいなんて思ってねぇんだ。面倒だと思ったらすぐに切り捨てるからな」
「ええ。そこは仕方ありません」
安岡は困ったように微笑んだ。
「今までも多くの人がサジを投げてきました。まず初めは福祉事務所の保健師ですね。医療機関につなげようとして一緒に通院する約束をしたのですが、当日迎えに行くと黙って脱走してしまい、連絡も取れずでした。同じようなことが数回繰り返され、これは意図的に逃げてるなと思ったあたりで、接触を拒否されるようになりました」
「一応聞くが、繋げようとした医療機関は精神か?」
「そうです。念のため過去の記録を調べてみたんですが、十年ほど前にもアウトリーチで同じようなことをしていたのがわかっています」
「待て。十年前って、そんなに前からの症状なのか?」
「そうなんです。だから症状も重くなっちゃってるみたいで……」
「なんでそんな状態になるまで放置されてたんだ」
「父親と同居だったからです。定年退職した父親が一人でずっと面倒を見てきたんですよ」
「その父親は死んだのか?」
「いえ。高齢のため自ら施設に入りました。うちの娘がどこかおかしい。あとは行政で面倒を頼む。最後にそんな相談を一方的に持ちかけて入所してしまったようです」
「ということは統失女は今、四十代後半から六十歳ぐらいか。面倒だな、ゴミを行政に押しつけやがって……」
「母は早く死に、兄弟は幼い頃に亡くなった弟のみで、実質一人っ子のように育っています。婚姻歴はありません。また親族とも疎遠のようです」
「ありがちなパターンだな」
備前はため息をついた。
「ほかに関わった者はいるのか?」
「障害者支援センターなど手当たり次第に。でも結果は同じでした。ダメ元ついでに地域包括支援センターにもお願いしたくらいです」
「地域包括支援センターは老人用だから、統失女はまだ少し早いが、そこまで頼まねばならない状況だったというわけか……」
「それで打つ手もなく、宿敵のパパにもすがろうというわけかぁ~」
「支援したくても、それを振りほどく人もいるんですよ」
「だが、そのまま死ねばいいと言えないのが、行政の辛いところだ」
「漫画やアニメみたく、小さな犠牲は付き物だって言えばいいのに~」
「まあ誰でも助けるって考え方は、そろそろ限界かもな」
備前は苦笑した。
「で、福祉事務所はどうするつもりなんだ?」
「幸いにも父親の持ち家なので家賃はかかりません。ですが、生活力がまったくないので、もう食べるものは何もないはずなんです。でも、玄関すら開けてもらえないから、数日に一度、家の前にフードバンクから食料を持っていくつもりでした」
「パパ、フードバンクってなぁに?」
「簡単に言えば、食品が余ってるところから、足りないところへ流す仕組みだよ。パッケージ印刷ミスで市場に出せない在庫とかを抱える企業や、賞味期限までに食べきれない食品を抱える一般家庭もあるだろ。そういうところから食品を集めて、ちゃんと消費できる奴に渡すんだ。ま、困窮者に渡るのが多いんだがな」
「食べ物もらえるの?」
「そうだ」
「私も欲しい~!」
「やめとけ。フードバンクだって食品が無限にあるわけじゃないんだ。いざってときに必要な奴に渡せなかったら困るだろう」
「でも欲しいもん!」
「ならいいこと教えてやる。フードバンクは提供者の善意に頼っているからな。しっかりと身分確認しねぇで食品を受け入れているところも多い」
「つまりどういうこと?」
「例えば俺が笹石加奈子という人物になりすまして、毒物を提供すれば、どっか別の笹石加奈子が捕まるかもしれねぇってことだよ」
「いや、やめろっ!」
「大丈夫、大丈夫。どうせその毒物を食って死ぬのは困窮者だ。楽にしてやったと思えばいいだろ」
「ふざけんな、この悪魔がっ!」
加奈子は備前の肩にパンチをした。
「パパって、なんでそういう悪いことばっか思いつくんだよ~!」
「は! 何を言う。警戒心のない小娘に、リスクってやつを教えてやったんだよ。大丈夫。俺の知る限り毒物事件は起きてねぇ」
「いや、そんな話聞いたら、もうアタシ利用できねぇし……」
加奈子は肩を落とした。
「しかし安岡君も無駄なことをする。根本的な解決にならねぇじゃねぇか」
「でも、相談を受けてヤバい状況だとわかってるのに、見殺しになんかできるわけないじゃないですか」
「じゃあ本当はわかってたんだろ? そんなもん、スマキにして、精神病院に封印しとくっきゃねぇぞ」
「でもいくら約束したって、病院には絶対に行かないし……」
「ダマくらかしてでも、ブン殴ってでも、拉致ってでも連れていくんだよ」
「そんな!」
「人の命を救うとかほざいてる奴が、そんな覚悟もなしに仕事してんのか」
「う!」
「かわいそうだとか人権だとか、そんな綺麗事を並べてぇなら、CWなんてやめちまえ。統失だ幻覚だなんて派手な内容に惑わされてるだけで、単純な案件だろうが」
安岡は押し黙った。
「パパ、それって精神病院に突っ込んで終わりってこと?」
「そうだ。今の時点で当人を見てねぇから俺もなんとも言えねぇが、仮に精神病院に突っ込むほどじゃないにしてもどうせ収入なんざねぇんだろ? だったら、どの道脅してでも生活保護申請させるきゃねー」
「確かに収入はありませんが……」
「それから障害年金の受給可否も調べるんだな」
「え? い、今からですか……? でも、病院に通ってなかったんですよ? 今から初診日を見ても、果たして意味があるのかどうか……?」
「安岡君の言いたいことはわかるぜ? 障害年金の申請は初診日から一年半以上経過してないとできないと言いたいんだろ?」
「そうです。しかも、どのみち今は年金も未納でしょうから申請も通りませんよ……?」
「だがその女は十年前にアウトリーチに通っていたらしいじゃないか。その頃にはまだ元気だった父親が年金をかけていた可能性もある。運が良ければ、十年前のアウトリーチを初診日として障害年金が貰えたケースも実際にあったんだよ」
「マジすか!?」
「余計な情報に惑わされず、やるべきことをやれ。そして尽くせる手はすべて尽くせ」
「はい」
「生活保護は必要なら出す。だが、障害年金が貰えるならそのぶん不要な生活保護費は削れ」
安岡は備前の前で小さくなっていった。
そして備前はぶっきらぼうに手のひらを安岡に向けた。
「ほれ、白紙の申請書を出せよ。どうせ君たちじゃもう相手にされないんだろ? 仕方ねぇ、俺が申請を貰ってきてやんよ」
「備前さん……」
安岡は感激の様子で備前を見た。
「忘れかけてました。備前さんが最強の査察指導員だったの……」
「ふん。言っておくが、手を貸すのは今回限りだからな。小娘の教材にでもならなきゃ誰が統失の相手なんかするか」
「うぅ……でもなんだかんだ言って、結局は頼りになる備前さんマジカッケーっす」
「そんなことはどうでもいい。それよか、フードバンクから何か食うもんでも用意してこいや。どうせ行くんだからついでに食料も運んでやんよ」
「はぁ、そこまで……さすが抜かりないっスね」
安岡は心底感心したように言った。
「わかりました! じゃあ、ちょっと待っててください。すぐに何か持ってく食べ物を見繕ってきますから!」
そして安岡は喜々としてどこかへ出かけていった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回の話は、これから本当にこんな人間いるのかよってキャラが登場しますが、あ、いえ、言わないでおきます(笑)







