ボケ老人(4)
・実際の要介護度認定調査で問答されるような内容が以下(みなし2号含む)。
小森の部屋で行われることになった介護認定調査は、女性調査員と小森が一対一で行われる。
そのときには綛野も戻ってきており、みんなの立会いのもと、調査は行われた。
「では調査を始めます。お名前とお誕生日を教えてください」
「あ……あ……」
小森からは返事がない。ただの亡者のようだ。
「ほかに生活支援や協力を頼める親族の方はいますか?」
「あ……あ……」
「今まで大きな病気とかしたことはありますか?」
「あ……あ……」
その廃人のような様子に調査員は力なく首を横に振って備前たちを見た。
「おわかりのとおり話もできない状態です。私が代わりに答えましょう」
綛野が名乗り出たので調査員は綛野に対して質問をする。
「ではまず生活のことからお聞きします。調査は調査票に沿って行われますので、一部状況に合っていない質問がされる場合もありますがご了承ください」
「ええ。私は慣れていますので、どうぞ調査票のとおりにお聞きください」
「お風呂はありますか?」
「施設を利用していますが一人では入れません。爪も手足ともに自分では切れません。視力は以前の聞き取りで左右とも0.4程度と聞いています。細かい字や新聞は読めないでしょう。耳は聞こえるようです。食事は今のところ普通の固さで食べられており、むせたりはしません。このような状態ですので箸やスプーンも持てず一人では食べられません、介助をしています。歯は全部入れ歯です。歯磨きは一日一回、職員の介助です。着替えは自分でできません。ズボンや靴下の履き替えすら、横になっていても不可能です」
綛野は慣れた口調でペラペラと喋っており、逆に調査員のほうが戸惑っていた。
「わ……。こ、こちらが聞く項目をすべてわかっていらっしゃる……」
「トイレは一日5回、お通じは一週間に二回くらいのようですね。全部職員の介助です。間に合わないのでオムツを使用しています」
「一人で歩けますか?」
「不可能です。杖も無理で、基本的に車イス生活です。ただし、無理に抜け出そうとして転倒を繰り返しており、手に負えない状況になっています。足の骨折も自分で転倒しました」
「通院はしていますか?」
「近くにある病院が定期的に施設に往診に来てくれるので、それを利用しています。たまに職員の通院介助で外に出ることもあります」
「飲んでいる薬は?」
「服薬まで全部、施設が管理しています。これがその管理表です。自分ではまったく理解できていないので管理できませんね」
「最近一カ月で出かけた場所は?」
「通所のデイサービスで、近くの公園まで散歩しましたね。買物は自分でできません」
「週に一回以上は出かけられますか?」
「自分では不可能ですが、デイのほうには通っています」
「手段は何で出かけますか?」
「職員の手押しで車イスですね」
「朝は何時頃に起きますか?」
「完全に不定期ですね。深夜に起き、抜け出そうとして転倒とかもしますし」
「起きたら何をしていますか」
「徘徊しようとしたり、うめき声を発したりするので周囲から気味悪がられ、多床室が使えなくなったくらいですからね……それはなんとも」
「朝ごはんは何時頃食べますか?」
「施設で決められた時間に食べます」
「寝るのは何時頃ですか?」
「夜八時ですね」
「朝や日中は眠くなる様子はありますか?」
「そういった様子はないですね」
淡々と問答は進んでいく。
「あとはご本人に聞くことなんですが……この様子じゃ無理ですよね」
「おそらく……ですが、念のため調査票のとおりにお願いします」
「わかりました。では……今の季節はわかりますか?」
小森からはなんら返答はない。
そんな様子を見ながら加奈子は小声で隣の備前に尋ねた。
「ねぇねぇパパ。なんで今の季節なんて聞いてんの? 意味ある?」
「認知症だとわからないからな。調査票に沿って、身体が弱っただけで頭がしっかりしてる老人にも聞くんだ。……季語の入った俳句で答える洒落た奴もいて、わりと面白ぇぞ」
「へぇ~。普通の人にはなんでこんなこと聞いてるのって思われるけど、大事なんだねぇ」
加奈子は感心したように頷いていた。
「ご飯は作れますか? ……お料理は? ……電子レンジとか使えますか? ……インスタント食品は? ……そうですよね、難しいですよね」
調査員はまるで一人芝居をしているようだった。
「では、次に身体の動きを確かめます。辛いようでしたら無理をしなくてけっこうです」
そう言いつつ、調査員はすでに状態をわかっているようである。
「まず、何かに掴まらずに一人で立ち上がれますか? ……片足を挙げたりできますか?」
「むしろ、掴まっても立てませんね」
横から綛野が口を出す。
「イスに腰掛けた状態からなら?」
「無理です。骨折する前から転倒を繰り返している状態ですし……」
「手を前に出して上げ下げできますか?」
「それくらいなら……小森さん。ちょっと手を動かせますか? ほら、私の真似をしてみて」
綛野の説得により小森にもわずかに伝わったと見えて、少しの反応が見えた。
するとようやく見えた反応に調査員は嬉しそうに笑顔になる。
「わあ! すごいです、すごいです小森さん。じゃあ次、横に上げ下げできますか?」
同じく綛野の動きを真似するように若干の反応を見せる小森。
「次は手を開いて閉じる。グーパー、グーパー……そうです小森さん! じゃあ次、指を一本ずつグーパー、グーパー……うん! 良かった。手は強張ったり痺れたりしてないですか?」
わずかに頷く小森。
「じゃあ足首の上げ下げ、次はかかと……膝は曲げたり伸ばしたりできますか……? むくみとか痛みはないですか……? じゃあちょっと自分で上げられるところまで足を上げてみましょう……痛くなるまで上げなくてもいいですからね」
そんな調査員の指示に従ってわずかに反応を見せる小森。
しかし、そんな反応も長くは続かなかった。
「布団で仰向けに寝れますか?」
また壊れたように沈黙に戻る小森。
「いつもは仰向けで寝ていますよ」
綛野が代わりに答える。
「寝返りはうてますか?」
「ええ、なんとか。それでベッドから落ちるんですよ」
「起き上がりは仰向けからできますか?」
「一人じゃあ無理でしょうね。せいぜい横に転がるくらいです」
「横からだったら身体は起こせますか?」
「まぁ、身体を起こすくらいの筋力はあると思いますが……」
「なるほど……」
調査員は調査票に次々と記しを記入していった。
「では最後に……なんとか自力で五メートルくらい歩け……ないですよね? 掴まれば少しくらい歩けたりします?」
「無理ですね」
「わかりました」
調査員は淡々と締めくくった。
「では、今回の調査結果は後日、施設に郵送しますね」
「どのくらい期間はかかりますか?」
「そうですね……会議にかけるので、一カ月くらいは……」
「できれば私たち施設も限界なので、早めに対応していただけると助かります」
「……わかりました」
そんなやりとりを淡々とこなし、介護認定調査は十数分程度で終了した。
その後、安岡と調査員は帰っていき、備前と綛野は応接室に移って向き合っていた。
「すまなかったな綛野。俺も状況を察したよ。まさかこんな短期間にここまで状態が急変するとは思わなかった……もう面倒は見られないってことで話はいいんだよな?」
備前が申し訳なさそうに切り出した。
「さすが備前は話が早くて助かるよ……最近は毎日、夜中まであんな感じなんだ。相部屋の入居者も怖がってしまってさ」
「すまん。入居直後にあんなゴミになるとは思わなかった」
「そこさすがに備前でも予想できねぇよ……最初は受け答えはしっかりしてたし、こっちも予想できなかった。たまにあるんだよな」
「とりあえず、認定調査の結果を待たず、要介護度が見直される前提で、内々に移動先の施設のほうは探しておくから、もう少しの間辛抱してくれると助かる」
「あぁ。備前のことだから抜かりがないのは承知してる。今回はたまたま残念だったが、またいい養……人がいたら紹介してくれよ?」
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
そんな話をして、備前たちは施設をあとにした。
その帰り道、備前の隣を歩く加奈子が満足したように言う。
「今回は間近で介護認定調査がどんなことをやってるのか見られて良かったなぁ」
「介護保険は65歳以上。65歳未満で介護が必要な状態になった生活保護者は『みなし2号』と言ったのを覚えてるか?」
「うん! 介護保険からの給付じゃなくて、全額が生活保護費から出るやつ!」
「それも同じような調査をするから覚えておけ。福祉事務所によっては認定調査員が兼任していたり、生活保護担当の依頼を受けて事務を行っているところも多い。生活保護担当がなんでもかんでも自前で認定したりするのは大変だからな」
「受給者にとってはサービスさえ受けられれば、介護保険かみなし2号なんて、ましてやお金の出所なんて関係ないけどね~」
加奈子はケラケラ笑っていた。
そこへ備前が思い出したように言う。
「小娘、このあと少し時間あるか?」
「あるけど……どったの?」
「急な話ですまないが、このあと特養でも見に行こうかと思ってな」
「行くっ!」
加奈子は即答した。
「キモオジママの廃棄先探しでしょ?」
「そう言うな。一応、俺のバァさんも入所してる施設なんだからよ」
「パパのおばあちゃん!?」
「てことは、佳代の祖母でもあるんだがな。頭はハッキリしてんだが、もう九十いくつだ……たまには顔でも見せに行くかと思ったついでだな」
それを聞いて加奈子はニンマリと悪い笑みを浮かべた。
「あ~! パパってば、さっきのキモオジママ見て、自分のおばあちゃんが心配になったんだ!」
「ま、そんなところもある」
「なんだかんだ言っても、パパってけっこう身内思いだもんね~?」
「歳も歳だし、さすがにもうそんなに長くないとは思うが、今死なれて佳代に押しつけられると困るもんもあるからよ……バァさんにはもう少しだけ長生きしてもらわねぇと」
「かたや早く死ねと思われる老人、かたや長生きしてくれと思われる老人……その差はいったいなんなんだろうねぇ?」
「それまでの生き方だ」
「人生全否定ワロタ」
加奈子はケラケラと笑った。
「でも、そんな二人でも人生の最後には同じ施設になる可能性があるんだねぇ……パパは親族としてどうなん? 底辺と一緒にすんなよとか思わないの?」
「特養にも色々あるからな。うちのバァさんはユニット型と言って、広々とした個室で悠々過ごしてるんだよ。小森を突っ込むのは当然最下層だがな」
「な~るほどねぇ~」
「うちのバァさんは財産を作った。小森は存在が負債でいないほうがマシなゴミ。小娘の言うとおり、最期に人生を全否定されるような生き方はしたくねぇもんだな」
「それ、生活保護で自殺志願者のおまいう」
加奈子は苦笑する。
「そっか~。それじゃあ今からパパのおばあちゃんに会いに行くついでに、この世の終わりでも見てこよう! なぁんか楽しみになってきたよ~!」
「言っとくが、そんな楽しみにして行くようなところじゃねーかんな」
備前はぶっきらぼうに言って歩む方向を変えた。







