ボケ老人(2)
・介護施設に入所したり入院したりすると生活扶助費の基準が下がる。
有料老人ホームどんぐりの正面玄関から中に入ると、備前はまず玄関脇で施設の若い男性職員に挨拶をした。すると男性職員は所長を呼んでくるとどこかへ去っていった。
「そういえばここ、パパの友達がやってるって言ってたっけ」
「だから養分となる隆史の母親を突っ込んだ訳でもある」
「どこもかしこもズブズブでワロタ」
「ま、少し待ってようぜ」
「うん」
そうしている間にも二人の前を通ってデイサービスのほうへ連れられていく老人と職員の姿が見られた。そしてそんな光景を加奈子は不思議そうな目をして見ている。
「どうした小娘。そんなヨボヨボの老いぼれを見て。男か女か区別つかんから、鑑定して判別でもしてんのか?」
「たしかに老いぼれすぎて見た目で男女の区別つかないけど違うって。そうじゃなくって……」
「なんだ?」
「なんていうのかな……有料老人ホームって、生活保護費の算定上は普通のアパートとかと同じ区分になってるわけじゃん?」
「お、まさか何か違和感に気づいたのか?」
「わかんないけど、偶然かもしれないけど、さっきから隣のデイサービスに入っていく人って、車イスだったりして、普通の住宅に暮らすにしては、ちょっと元気なくない?」
「そこな。ちょうど説明してやろうと思ったが、よくぞ気づいた小娘」
備前は加奈子の頭をグシャグシャと撫でる。
「やーめーろー!」
加奈子はそれを嫌そうに振り払った。
「いいか小娘。暗闇を暗いと感じられんのは目が生きてるからだ。そこに気づいた小娘にその違和感の正体を教えてやろう」
「深淵を覗くときワロタ」
「生活保護費の算定上ってのは良い着眼点だったな。そこに気づいたなら、小娘はきっと何かと比較して考えていたはずだ」
「う~んと、生活保護って、入院したり、介護施設に入所すると計算の基準額が変わってくるよね?」
「そうだ!」
また頭を雑に撫でようとする備前の手を加奈子は事前に振り払った。
「今回の場合、アタシが比較したのは介護老人保健施設、略して老健。特別養護老人ホーム、略して特養なんだけど……」
「生活保護では、普通のアパートに入っているのと何が変わってくるんだ?」
「えっとね……さっき話した生活扶助費の金額が7万円くらいだったじゃん? それがたしか2万3000円くらいまで下がっちゃう」
「どうして下がるんだ?」
「だって介護施設に入ってるんだし、ほかにお金かかんないじゃん」
「いよぉし!」
今度は振り払おうとする加奈子の手をかいくぐって、備前の手が加奈子の頭をグシャグシャと撫でる。
「うああ~! 正解してもこの仕打ちぃ~!」
加奈子は頭をグワングワンと揺らされながら備前を恨みがましい目で睨んでいた。
「そこまでわかってんなら、自分で違和感の正体に辿り着けるだろう。少しずつ自分で言葉に出してみろ」
「えっと……生活保護費を払う福祉事務所側から見たら、有料老人ホームじゃなくて、老健や特養に入ってもらったほうが支出する生活保護費が少なくて済むんだ」
「場合によっては生活保護費が要らなくなることも多いぞ。もともと貰っている年金などが、下がった基準額で計算した生活保護費より多ければ要否判定が覆るからな」
「なるほど……約7万円の生活扶助費を元に計算すると保護になるけど、約2万円と比較すれば、生活保護は要らないよね? って人は多いんだ!」
「ということは?」
「福祉事務所としては、老健や特養に入所してほしいんだ! だって、どう見たって一人で生活できるような状態じゃねーもん! なんで車イスで動かされるようなジジババが有料老人ホームなんか入ってんだよ!」
「おっと勘違いすんなよ? 自分の金でならいいんじゃねーの? 自分の好きなところに住んで、好きなサービスを受ける権利くれーあるだろ」
「それだっ! 要は生活保護者が贅沢言ってんじゃねーぞゴルァ! って話! 生活保護は他法他施策優先の原則! ほかの手段で生活保護を受けなくて済むようになるなら、まずはその手段を使わなきゃダメなんじゃないの~?」
「実にそのとおりだ。その調子で全部ブチまけろ!」
「おっかしいよ! だって生活保護者は福祉事務所の指導に従わなきゃならないんでしょ? あんな状態なら福祉事務所だって介護施設に入れって言ってるはずだよね!?」
「そうだが……もしやここにも何か見えない壁があるというのだろうか……?」
「なんでだろう……? 特養は要介護度3以上じゃないと入れない制限が引っ掛かっているのかなぁ?」
「言っておくが、有料老人ホームにも要介護度4~5の寝たきりが入ってることもあるぞ?」
「受け入れる特養のほうが入居者パンパン状態とか……?」
「どこもかしこも常にパンパンな状態か? 随時、入居者が死ねば空きは出るのに?」
「え~? じゃあどうして~?」
「自分に当てはめて考えてみろ。例えばポチが蒸発して、やつの保護が打ち切りになったらどうなるんだ?」
「ポチがどうなろうと知ったこっちゃねーけど、アタシの養分が減るのは嫌だなぁ……ハッ!? ま、まさか……」
備前はニヤリと笑う。
「そうだよ。営利企業だって同じさ。養分が必要なんだ。しかも自分で動けねぇ老人なんざテキトーに寝っ転がしときゃいいんだから」
「ボケて徘徊するリスクがないまであるかも……」
「な? 培養液に漬けておきたい気持ちがわかってきただろ?」
「そんなのただの施設側のエゴじゃん! ……て、あれ? アタシも人のこと言えなくね?」
「そうだ。ただそれをやってるのが俺らみたいな個人か、企業かの違いだ。だが勘違いすんな? たしかに人権やら尊厳やらを踏み潰している可能性はあるにしろ、やってることは悪いことなのか? だとしたら、どの法律のどの部分だが言ってみろって話だ」
「あはは……色々と引っ掛かりそうだけども、解釈だとかなんだとか言って結局は大丈夫かも……しかもパパ、仮に捕まってもどーせダメージ0だし」
「世の中がすべてルールの上にあると思うな」
「そうだよね……結局、そんなブラックな世界でも、なければないで、きっと人々の生活が回っていかないんだろうしさ……よぉくわかったよパパ」
「ま、さすがに企業ともなると何をしても無敵とまではいかねぇが、系列のデイサービスのほうでも取り分をゲットできたりと、やれる範囲も広がるって感じだな」
「そっか~」
そこで加奈子は首を傾げる。
「あれ? でも儲かるのなら、なんでパパは範囲を広げてやんないの? 場所なら佳代さんの土地とかでボロアパートを建て替えれば良くない?」
「俺は5年以内に死ぬって言ってんだろ。他人から金を巻き上げんのは気分がいいから趣味みてーなもんだが、別にそんなに金を集めたってしょーもねぇからな」
「サイテー過ぎてワロタ」
加奈子は苦笑いだった。
「んじゃあさ。もしアタシが自分で養分の幅を広げようとして、施設を運営するって言ったら、パパは応援してくれる?」
「やめとけやめとけ。たしかにこれから高齢化は進むだろうがな。実は近年、福祉関係の施設は数を減らし始めてんだぞ?」
「え? そなの? 老人の数は増えているのに、どして?」
「ま、これは別に福祉業界に限った話じゃねーが、ほれ、なんとなく思いつくことがいくつかあるだろ? たぶん大体が正解だ」
「担い手不足とか、そういうの……?」
「そうだな。……だが、俺はそれでいいと思ってる」
「どうして?」
「端的に言えば福祉業界なんざ生産性ゼロ。何も生み出さねーし、意味がねーことだからだ」
「いや、あるだろ。老人が死ぬし」
「死ねばいいだろ」
「ズバッと言い過ぎワロタ」
「人間を永遠に生かすことなんかできやしねぇ。死なせないなんて傲慢だ」
「それ自分の親に向かって言えるのかよ~?」
「言えるし、なんなら俺自身が死んでやってもいい。安楽死させてくれるならな」
「そ・れ・は・や・だ!」
「あ~。介護してる連中がみんな生産に回ったらGDPはどれくらい上がるんだろーなー? なんでこの国は生産性のない仕事が儲かるんだろうなー?」
「ジーディーピー?」
「メンドくせー……なんか国民の必殺技の威力みてーなもんだ。攻撃力が上がればいいやつ」
「あーねー。要するに、おジャマトークンを生贄に捧げて攻撃力を上げていこうってことだよね。技名はゴッドパニッシャーの略してGDPで認識した!」
「……おう。たぶん、きっとそうだろう」
備前は意味がわからなそうに首を傾げていた。
「そっかー。……そう考えたら、なんで老い先短い老人を、若者が未来を削ってまで支えてるんだろーね」
「社会全体で見たら、老人が若者を養分にしてるってことだからな」
「おおっと、ここでどんでんがえし! 相手を養分にしていると思ったら、最後の最後に世界の姿が明らかにぃ! 実は養分は自分でした的な……つまり、全部ブラックなんだな!?」
「そういうこった。本質的には命は減価償却されていくのに平等に扱う。無理して取り繕うからいびつになる……だが、最近は自分たちの生活がいよいよ厳しくなって、そこに気づく人間も多くなってきたな。たしかに弱者を守れるのは成熟した社会の指標みてぇなもんだが、はたして俺たちはそんなことを言っていられる状況なのだろうか、と」
「弱さを盾に好き放題するやつとか多いもんね」
「口には出さずとも、こう思ってるやつが多いはずさ。あれ? もしかして切り捨てたほうが俺たちラクにならね? とな」
「修羅の国へごあんなぁい!」
「ま、普通に考えればそんなことをすりゃあ国際的な信用を失って干されるとか、デメリットがあるからやめようって話になる」
「まともな人ならね~」
「なんなら、俺も最近まではそう思ってた」
「あれ? 思っ、て、た……?」
「ああ、過去形だ。今は違う」
「それって、パパはもう死んじゃうからもう関係ねーし、日本バルス! ってこと?」
「そうとも違う」
「じゃあどういうこと?」
「そうだなぁ……話してやってもいいが、たぶん今の小娘には意味不明のとんでも理論に聞こえるだろうよ」
「アタシがまだ、おバカだから?」
「いや? どちらかというと、これは俺が普通の人間からズレてるから起こることだ」
「あ~……頭のいい人が言ってること、意味わかんないもんね」
備前は自虐的に鼻で笑った。
「どうすればアタシにもわかるようになる?」
「そうだなぁ……100年後を想像してみろ。そのとき世界がどんなふうに変わっているか予想できるようになったら、話してやるよ」
「無理すぎぃ! 来年だって無理!」
「だが俺の考え方は、その世界構造の変化が前提だからなぁ」
「マジかぁ~……さすがにそこまではミーのミレニアムアイを持ってしても見通すことができまセーン」
「ははは。いつかこの先の話を小娘とできるのを楽しみにしておいてやるよ」
「うう~ん……それじゃあアタシ、いっぱい頑張らないとだなぁ……」
そう言って加奈子は腕を組んで頭を傾けたが、その直後。
「あ! アタシわかったかも!」
備前は疑いの目で加奈子を見る。
「本当か? 100年後だぞ? どんなふうになってるか、試しに言ってみろよ」
「うん! アタシ、死んでる!」
備前は呆気に取られて言葉を失った。
「え……!? てことは待てよ? 今生きてる人、みんな死んでね?」
「そりゃそうだろうが、その子ど……」
「やべぇ! 日本全滅ってこと!?」
「……その単純すぎる考え方には、さすがの俺も脱帽だ」
「パパが驚くってことは正解なんだな!? いやったぁ!」
「日本全滅で喜べるのは小娘くらいだろ……と、思ったが、わりとマジで氷河期世代の恵まれない人間は国ごと滅べって叫んでるから笑えないんだよな……」
備前は肩を落としたのだった。
そこへようやく席を離れていた若い男性職員が戻ってくる。
「すみません。所長が小森さんのことでお話があるみたいなので、小森さんの部屋で待っているそうです」







