ボケ老人(1)
・有料老人ホームとデイサービスは系列が多い。
・有料老人ホームの家賃扶助は普通の借家と同じ基準。
・有料老人ホームが入居者の財産を管理している場合もある。
・常時オムツが必要ならオムツ代も生活保護費から支給される。
・通院に必要な移送費も生活保護費から出る。
・65歳未満で介護サービスが必要になった生活保護者は『みなし2号』という実質介護保険同等のサービスを満額生活保護費から支給される。
その日、備前が出掛けに玄関を開けると、ちょうど加奈子が買物袋を持って帰宅するところに出くわした。
「パパおはよ~。今日もいい天気だねぇ」
「そうだな」
備前は気のない返事をしながら加奈子の持った買物袋の中を見る。
「な、なにパパ……?」
「いや? 野菜に卵、肉、魚……感心だな、ちゃんと料理も継続しているのか」
「そりゃあパパの言いつけだからね。……でも最近、お米やお野菜たかぁい! 生活保護者に死ねってことかよ~!」
「そうだよなぁ? いっそフードチケットや現物支給にしてもらわねぇと困るよなぁ?」
「でたー! 絶対わざと言ってるやつ!」
備前は加奈子の派手なリアクションを見て鼻で笑った。
「ところで小娘。今から施設に行くんだが、見学についてくる気はあるか? 隆史の母親を突っ込んだ有料老人ホームなんだが」
「行くぅ! キモオジママには興味ないけど、老人ホームってのがどんなところなのか、一度は見ておきたかったんだ~」
「いい心掛けだ」
「ちょっと待ってて! すぐ荷物を冷蔵庫に入れてくるから!」
そう言って加奈子は弾むように自室に入って行った。
「おまたせー!」
「おう、じゃあ行くぞ」
「おー!」
二人は並んで出かけた。
「ねぇねぇパパ。今日はキモオジママに何か用事でもあるの?」
「用事ってほどのことでもないが、こないだチー牛クンの引っ越し作業で隆史の働いてる姿を写真撮っただろ? せっかくだから母親にも見せてやろうかと思ってな」
「ニートだった息子が働いている姿なんかみたら、ママ泣いちゃうかもね!」
「それを希望に、長生きしてくれりゃあいいんだけどな」
「パパの養分としてだけどね~」
その道中、加奈子はケラケラと楽しそうに笑っていた。
「着いたぞ、ここだ」
「へぇ~。ここがキモオジママのいる有料老人ホームかぁ。けっこう綺麗だねぇ」
「ま、見た目はな。……経営してんのが俺と気の合う友人だからなぁ」
「逆に期待が膨らむぅ!」
「言っとくが、ひとことで有料老人ホームと言ってもピンキリだぞ? 貧乏人にゃ手の届かない高級なところもありゃあ、入居者を養分としか見てねぇ劣悪な施設もある」
「アタシやパパがやってることの企業版、みたいな?」
「平たく言えばな。だが俺たちのように檻に突っ込んで面倒も見ずに勝手に生活させとくだけではない。営利企業ゆえに利益を搾り取る方法も多彩だ。一方で社会的な表の顔もあるし、メリットやデメリット、いくらか違う面もある」
「なるほど、パパはそこをアタシに勉強させようと連れて来たって訳だな?」
加奈子は施設を注意深く見た。一見して二つの建物が並んでいるようにも見えるが、実は二つの正面入口があるだけで、建物自体は中継通路で繋がった造りとなっている。
そのときちょうど有料老人ホームの正面玄関から車椅子を職員に押されて出てきた老人がいた。その老人は建物から出てきたと思ったら、ほんの数メートルしか離れていないもう一つのほうの入口に入っていく。
「あれ? さっきの人、一度建物を出てすぐ隣の建物に入っていったよ? 何してるんだろう? わざわざ外に出なくても、二つの建物は繋がっているんだし、中の通路を使えばいいのに」
そこで備前は笑った。
「どうしてだろうなぁ。もしかしたら、中継通路は職員しか通れないとか、企業なりの理由があるんじゃねぇか?」
「なんでそんなメンドーなことを」
「良く見ろ小娘。たしかに建物は繋がっちゃいるが、右と左の入口に掲げられた名前が微妙に違うだろ」
「本当だ! 左側が『有料老人ホームどんぐり』で、右側が『デイサービスどんぐり』になってる!」
「名前も似ているし、同じ敷地内にあれば同一施設のように見えても無理はねぇ。実際に経営者も同じなんだが、法人や扱いとしてはまったくの別物なんだぜ?」
「どゆこと?」
「何から話せばいいやら……ハッキリ言っちまえば、公金の吸い上げ方法が違うんだよ」
「酷ぇ言い方だな」
「おい小娘。ちょっと生活保護の見方から、『有料老人ホーム』と『介護施設』の違いを説明してみろ」
「だ、大丈夫だよパパ! 抜き打ちテストだってへっちゃらさ!」
加奈子は少し焦ったような素振りを見せながらも答える。
「ええっと……有料老人ホームは、あくまで普通のアパートに住んでる場合と同じ扱いだよね。だから生活扶助費も住宅扶助費も、普通のアパート暮らしと同じく支給されるよ」
「老人の一人暮らしだと、どれくらい出るんだったかなぁ~?」
「えっとぉ。たしか75歳以上になると生活扶助費がちょっと少なくなるんだったよね」
「そうだな。じゃあ隆史の母親を例に75歳以上としよう」
「物価高騰とかでその年によって変わってくるけど、1級地1だと生活扶助費が7万2000円くらい。3級地2だと6万2000円くらい。千葉県の住宅扶助費上限は1級地が4万6000円、3級地が3万7200円だからぁ~……」
備前は満足げに頷いて、そこで加奈子の言葉を遮った。
「もう十分だ小娘。それぞれの合計額を生活保護者は使えることになる、それはいいな?」
「だね。人によって違う年金支給額を保護費から減らしても、結局は年金と合算して考えれば同じことだもんね」
「で、だ。単純計算で、もし仮に隆史の母親の生活保護費が10万円、施設利用料が8万円だったとしよう。するとどうなる?」
「金銭管理してるパパが2万円ネコババする!」
「正当な契約に基づく報酬として貰う、だ!」
「ひでぇ~……ただ福祉事務所から振り込まれた生活保護費から施設利用料を振り込むだけじゃん」
「慎重にATMを操作する高度な技術が必要なんだ」
備前は鼻で笑った。
当然実際には単純な計算ではなく、ほかにもオムツ代や病院への移送費など、様々な項目で増減するうえ、福祉事務所や施設等によって家賃だけは別にして、福祉事務所から施設へ直接支払われるなど、個々の事情によって微々たる違いが生じる場合もあるし、ほとんど取り分が出ない案件もある。
「では、もしこれで金銭管理を施設が行っている場合はどうだろう?」
「一般企業がパパみたいに悪いことするわけないじゃん! ちゃんと使わないぶんは貯金になって貯まるよ!」
「まぁたしかに貯金が貯まっていく生活保護者も多いよな。100万円近い貯金を抱え込んだ高齢生活保護者もゴロゴロいるからな? 貯金のない若者や氷河期世代がゴロゴロいるその裏でな……くっくっく」
「ま、まじ……?」
「ねぇ若者、今どんな気持ち? 年金も何もすべて踏み倒して自分勝手に生きてきた、なんの能力もない、この先死ぬだけの老人が生活保護でぬくぬく生かされて、そのうえ君たちの持っていない貯金を100万円近くも持っているんだよ? ねぇ今どんな気持ち? って聞いてみたくなるよな」
「うがー! 死ね老がーいっ! ってキレるよ間違いなく」
「実際には六ヶ月程度の生活費を目処に貯金を保有していると、貯金が一定の額以下になるまで一部の保護費が制限されたり、場合によっては一時的に保護停止になったりすることもあるが、どっちにしろ貯金残高が高額推移していることには変わりがねぇ」
「死んだほうがこの世のためだな」
「で、そんな老害を扶養せずに見捨てた遺族は、そんな老害が死にさえすればその貯まった貯金を相続できるってスンポーさ」
「ハイ、なるべく残高が多いときに死んでほしくなるやーつ!」
「惜しい人を亡くしました、シクシク……と言う裏で、笑う遺族の完成よ」
「笑う遺族ワロタ」
「な? こういうケースは実際にあるが、こんなふうになるくらいなら、少しはまともな人間、社会に還元したほうがいいと思わねーか?」
「思うっ! 絶対に思うっ!」
「そこでだ。さっきの質問に戻って、金銭管理を施設が行った場合にどうなるか、だ」
「だから、表の顔がある一般企業が、アタシたちみたいなことできるわけないじゃん!」
「だがなぁ……不思議なことに、施設利用料が10万円になってしまうんだよなぁ」
「はぁ!?」
「生活保護費が12万円なら利用料は12万円になるし、9万円なら仕方ねぇけど9万円で許してやるんだろうなぁ……原価がどれだけかは知らんがなぁ……」
「うっわ、なにもかも知ってる顔だ! エッぐ!」
「安く生かしておけば、そのぶん施設の儲けも大きくなるんだろうなぁ……もしかしたら、入居者をブン殴ってでも大人しくさせておいたほうがラクに儲かるなんて考える奴らもいるかもしれねぇよなぁ……」
「げぇ!? それガチでたまにニュースとかになるやつじゃん!」
「理想的には口に栄養管をブチ込んで、排泄物を垂れ流しで済ませるような装置を作ってユニット化しちまうことだろうな」
「映画とかにありそうでワロタぁ……」
「いや? 培養液とかに漬けといたほうがいいのか? どう思う小娘?」
「どっかの実験施設かよ!」
加奈子もだんだんと笑えなくなってきた様子だった。
備前から有料老人ホームについての説明を受けた加奈子は祈る。
「左側の施設がヤバいことは十分にわかった。でも、せめて右側の施設はまともであってくれぇ~い」
「右側の施設は利用者が通う、通所型のデイサービスだな」
「デイサービスっていうのは、おふろに入れてあげたり、みんなで折り紙とか簡単な作業をしたり、絵を描いたり、日中を楽しく過ごせるようにお世話をしてあげるところだよね」
「そう。そして利用者の要介護度に応じた費用が生活保護費ではなく、介護保険から出る」
「ということは、要介護認定が必要なんだね?」
「原則な。例えば生活保護には『みなし2号』といわれる制度があって、要介護認定を受けられる年齢に達する前に介護が必要になった者を対象に支給されるものもある。こちらの場合は施設利用料を介護保険からではなく、全額を生活保護費から支給する」
「ちょ、ちょっと待ってパパ。いきなり内容がムズい!」
「ああ、詳しいことはまたあとで教えてやるよ。要介護認定も含めてな。今はデイサービスの説明だ」
「あ、ありがとパパ……」
加奈子は胸を撫で下ろして安堵の表情を見せた。
「右側の有料老人ホームと、左側のデイサービスは連動しているから、さっき見たとおり別に用があろうがなかろうが車イスで半強制的に連れ出して、介護保険の限度額いっぱいまで公金を吸うことができるってスンポーよ」
「言い直した直後から酷ぇ内容でワロタぁ!」
「養分なんざどこまで行っても養分。公金を発掘するためのピッケル……道具なんだ。だが、道具である以上、ある程度は大事にされると思わねぇか? もしかしたら、一番悲惨なのは同じ施設に生活保護を使わずに入所している奴らかもしれんぞ?」
「そか。なにも入居者は生活保護者ばっかりじゃないもんね。でも、それならなんで生活保護じゃない人のほうがバカをみるの?」
「考えてもみろ。生活保護でもなければ金は自分の年金か親族が出している場合がほとんどだ。なら、普通の感覚なら出し渋るだろ。一方で生活保護者は保護費の範囲内でならジャブジャブ使える。自分の金じゃねーもんな。年金生活者だってそんなにたくさん貰ってるわけじゃねーんだし、場合によっちゃ逆転現象も起きるだろ。だが、施設にとっちゃそんなこと関係ねぇ。大事なのは金払いのいいほうだ」
「うわ! 自分の金で入所してる人が、生活保護者以下の扱い受けるとか地獄じゃん!」
「それが嫌なら、もっとお高い有料老人ホームに入るんだな。生活保護費の範囲では入れない、優良な施設へな」
「余裕のある人ばっかじゃないでしょ~に」
「そんなこたぁ俺も知ったこっちゃねーがな」
「この世の闇って感じだねぇ」
「ははは、なに言ってんだ小娘。俺たちはまだ、その闇の入口にも入ってねーだろうが」
「マジ? まだここ入口だった?」
「よ~く見学していけよ? もしかしたら将来、自分が入るかもしれねー施設だ」
「や、やだぁ……施設なんか入りたくないよぅ……」
「さてさて、楽しみになってきたなぁ、施設見学が」
「地獄めぐりみたいな感じだなぁ」
加奈子は不安そうな表情で備前の袖口を摘みながらあとに続いた。







