絶望家族(9)
無悪との絶望的な会合から帰宅した壊島家の三人は言葉少なめにリビングに腰をおろした。
「これから……僕たちどうするの、お母さん」
「……わかるわけないでしょ」
「この家にはいつまでいられるの?」
「わからないわよ」
「僕たち……転校するの?」
「なるべく……そうならないように探すから」
「まさか……あの男と暮らすなんて言わないよね? 僕が殴られたこと、知らないわけじゃないよね……?」
「もう別れる! もう別れるからあんな男! ……あんな男のせいで!」
「人のせいにすんなよっ!」
「ヒッ!」
雅楽の叫びに蓬は怯えて肩を竦めた。
「全部、お母さんが悪いんでしょ?」
「ごめんね、ごめんね雅楽……」
「なんかお父さんの気持ちが少しわかった……お母さんに謝られても少しも嬉しくない」
「ごめんね、ごめんね雅楽……」
「言っておくけど、あの男さえいなければ、僕はお母さんを殴るような子にはならなかったと思うよ……お母さんの自業自得だよね?」
「ごめんね……お母さん、もう二度と会わないから……ごめんね……」
「言っておくけど、今度あんな奴連れてきたら、殺すから」
「お願い雅楽……そんなこと言わないでよ……」
「誰のせいだよっ! もう黙れよっ!」
雅楽の叫びに貞茄は怯え、リビングから逃げるように出て行った。
「……お母さんなんて死ねばいいんだ」
蓬はハッとした表情で雅楽を見る。
「お母さんさえ死ねば、お父さんはまた頑張れるかもしれないって言ってた……そうすれば僕たちも、出て行かなくて済むんでしょ……?」
「ま、待って雅楽! ……あなた、な、何を考えているの……!?」
蓬の顔はたちまち青くなっていく。
「だ、駄目でしょ? 親に死ねなんて言っちゃあ……?」
「なんで? そんなの誰だって言うでしょ」
「そんなの……! 本気で言ってるわけじゃないでしょ!?」
「なら、僕だって本気じゃないんじゃない?」
「お願い雅楽……いい子に戻ってよ……お母さんにできることなら、なんでもするから……」
「なにそれ? さっき自殺しろって言われて無理だったから、お母さんにできることならって付け足してみたんだ……死ぬ気ないじゃん。お父さんのこと、死にたくなるまで追い込んだくせに」
「ごめんね……ごめんね……それ以外なら、なんでもするから……」
「もういいよ……。今さら何をしても僕たちは終わりだよ。仕方ないよ、お父さんをあんなに追い込んじゃったんだもん……僕たちはもう、幸せになんかなっちゃ駄目だったんだよ」
そこまで言ったところで雅楽は何かに思い当たった顔をした。
「そうだお母さん。僕たちって学資保険っていうのに入っているんでしょ?」
「そうだけど……それがどうしたの?」
「それさ……お父さんに返そうよ」
「……っ! ダメよ! それだけはダメ! それは雅楽たちの将来のために積み立てているお金なの!」
「でも、もう積み立てられないなら意味はないよね?」
「それは……」
「それになんでもするって言ったくせに、死ねもしない、お金も返せない……じゃあ逆に聞くけど、お母さんにはいったい何ができるのさ!?」
「……なんにもできないお母さんで、ごめんね雅楽……」
「謝られたってなんの足しにもなりはしない……もう終わりだよ、僕たちは」
蓬は泣き崩れた。
「お父さんに返さなくたって、どうせいつか食い潰すお金だよ、お母さんなら。だったら、少しでも返して、お父さんをラクにしてあげようよ」
雅楽は蹲った蓬の背中に語りかける。
「でも、あなたたちのためのお金なのに……」
「僕は嫌だよ? お父さんをあんなふうになるまで苦しめて搾り取ったようなお金なんかで僕は育てられたくない」
「あああああああああ!」
そこで蓬は号泣した。
「もう一度言うよ? 僕たちは幸せになんかなっちゃいけないんだ」
蓬は咽び泣くだけだった。
「だから、ね? お父さんに返せるものは、ちゃんと返そうよ」
そして蹲る蓬の背中に、雅楽はそっと手を添えたのだった。
数日後、備前は雅楽に呼び出されて壊島宅を訪れた。
インターホンを鳴らすと前回同様に雅楽の声が聞こえてくる。だが少し違ったのは雅楽が母を呼ばず、自分だけ玄関を開けて外に出てきたことだった。
その手には厚手の茶封筒が握られている。
「備前さん! 突然お呼び立てして申し訳ありません」
「構わないよ。こちらもちょうど新しい養ぶ……じゃなかった、相談者さんと会う予定がこのあと近くであったものでね」
「それなら良かったです……その、お隣の方は?」
「俺の助手でね。新規の相談を受ける際はこうして連れ歩いているんだ」
「はぁい! 笹石加奈子でっす! よろしくね!」
加奈子は軽く手を上げながら元気良く挨拶をした。
「よろしくお願いします……」
雅楽は少し頬を赤らめていた。
「ところで今日はどうしたんだい? 渡したいものがあるとかどうとか……」
「えっと……これなんです……」
そう言って雅楽は手に持った茶封筒を備前に渡した。
「これは……?」
「僕たちの学資保険を解約したお金です。お父さんに返してもらおうと思って……」
「なんてことを……」
備前は言葉を失った。
そして雅楽は、備前の知らないところで起きた家族の話を簡単に説明したのだった。
「それでこんな結論に至ってしまったのか」
「僕たちが、父のためにできることはもうこれくらいしかありません」
「積み立て途中で解約して280万円か……たしかに、これ以降の積み立てが継続できないのならどのみち進学するには心元ない金額だが……それでも邪魔になるものではないはずだ。そして俺は以前君に、これを彼のためにも自分たちのために使えと忠告したはずだぞ?」
「せっかくのご忠告を無駄にしてしまい申し訳ありません……ですが、僕たちは僕たちの力で成長してみせると決めたんです」
そう強く言い切った雅楽を見て、備前は茶封筒を突き返さず、その手を下ろした。
「わかった……そういうことなら、この金は預かろう」
「ありがとうございます」
「……それより、これから君たちは大変になるな……負けるなよ?」
「はい」
そこで備前は加奈子の背を押して前に出し、雅楽と向かい合わせた。
「そうだ雅楽君。これも何かの縁だ。この小娘と連絡先を交換しておけ」
「どうしてですか?」
「俺たちは元々、生活に困窮した人たちを相手にした仕事をしているからだ」
「あ……もしかしてそれでお父さんを助けてくれた感じですか」
「こうなっては、どうも助けたかどうかが微妙になってしまったがね」
備前は苦笑した。
「現実問題、君たちはこれからかなりの高確率で貧困に陥るだろう。そのとき、どうしても無理だと思ったら、この小娘に相談しろ」
「備前さんに、じゃなくってですか……?」
「俺はもう、そう長くないと前にも話しただろ? それに……俺にはもう、君たちに合わせる顔がなくなってしまった」
「そんなことないですよ、いったいどうして!?」
「助けるどころか、君たち家族をこんな結末に導いてしまったからさ」
「そんなことはありません。僕たちは自分たちでこの結論を出したし、お父さんだってこのお金で少しは……」
備前は少し目を閉じたあと、苦しそうにこう答えた。
「……そうだね」
雅楽と話し、さらに用事を済ませたその帰り道で能天気に加奈子は言った。
「ねーねーパパ。その280万円さ、1枚くらい引っこ抜いてもバレないんじゃね?」
「あ!?」
備前は低い声で加奈子を睨んだ。
「う、ウソウソッ! そ、そーだよね! 雅楽君のお父さんへの気持ちがこもった大切なお金だもん! ちゃんと無悪さんに渡さなきゃだよね!」
加奈子は飛び上がるように両手を振って自分の失言を取り消すが。
「渡さねーよ」
「は!? ……パパ、今なんて?」
「渡さねーって言ったんだ。この金は、たった今、俺のもんになっちまった」
「あ、悪魔かよ……」
加奈子は思わず足を止めて先へ進む備前の背中を見つめた。
「まさか当時はこんな結末になるとは夢にも思わなかったが……壊島家から渡される金銭は全て俺への報酬になると、そういう契約をしてしまっていたんだ。……無悪君自身とな」
「マ、マジ……?」
加奈子は呆然としながらも歩いていく備前の隣に走って追いつく。
「だが一方で、そのほうが無悪君にとってもいいかもしれないのは事実だ」
「自分の子が将来を閉ざしてまでお金に変えて返してきたなんて、知りたくないよね……」
「そういうこった」
備前はふと思いついたように茶封筒を加奈子のほうへ差し出す。
「やろうか?」
「い、いらないよそんなお金! 重すぎぃ!」
「バカを見るのはバカだけだぞ小娘? 金に重いも軽いもあるかよ」
「……大変よく学ばせていただきました」
「ふん」
備前は茶封筒を引っ込めてカバンに戻した。
「パパこそ、そんな大金ゲットしてヒャッハー! 焼き肉だぁ! とか言わないの?」
「死にゆく俺が、そんなに金を欲してどうするよ」
「救えねぇ……マジこの話の結末、誰一人として救われてねぇ……」
「ふむ……」
備前は少し考えたあと、再び茶封筒を取り出して、今度は加奈子に押しつけた。
「小娘。やっぱりこの金はお前が預かってろ。んで、あの子らが頼ってきたらそのぶん助けになってくれや……俺からの依頼だと思ってくれていい」
「あ……なるほど。だからパパ、アタシたちの連絡先交換させたんだ?」
「そうだな……偽善でも、ああいう子にはバカ見てほしくねーからよ」
「珍しいね、パパがそんなふうに褒めるなんて」
「そうだな……少し暗い雰囲気をまとっちまって危ういが、ただの中二病で済むかもしれんからな。それよりもあの歳で親を疑えるなんて芯がしっかりとした子だったよ」
「親を、疑う……?」
「普通の子どもは妄信的に親にピヨピヨついて回るだけだかんな。まるで国の制度ややることに何でも安心しきっている国民のように」
「そ、そう言われてみると、親を疑うなんて、そう簡単にできることじゃないかも……」
「だろ? だからこんな結末でも期待できるのさ。雅楽君なら、きっと大丈夫だろうってな」
「……うん。そうだね」
加奈子は重く頷いた。
「絶望を経験した人間は強い。それを経験したことのない人間が持っている、失敗したくないという弱さを克服しているからだ」
「……雅楽君は、強く成長できるってことだよね」
そこで備前は悪戯に笑って見せた。
「小娘も少しは俺を疑わねぇとな。……さぁて、280万円分の依頼、何をさせっかな~?」
「う、うわあああ~っ! やっぱ要らない! こ、こんなお金受け取れないよっ!」
「プロの生活保護師さまは一度引き受けた依頼を断るのかな……?」
「う、ううぅ~……パパのいじわるぅ……」
加奈子は備前の袖口を軽く摘みながら受け取ったお金を返そうとしていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ストーリー重視で書きたかった「絶望家族」はここで終幕です。
いかがでしたか? ありえないと思いましたか?
ことのほか離婚したあと後悔する女性にこういう思考をする人は多く、男性もまたそんな女性には輝いてほしくてShineというんですね。
備前が絡むので脚色してますが、備前がいなくてもこういうケースはこうなります。
ありえないと思うでしょう?
ありえないと、思うでしょう?
次回からまた、生活保護制度のお勉強をしていきましょう!







