加奈子(回想4)
備前と加奈子がI市に着いて駅の改札を出るとひとりの女性が待っていた。
「おう、待たせたな佳代」
「ううん、私も今着いたところ。久しぶりマー君。その子がさっき言ってた子?」
「そうだ。笹石加奈子、家出少女だ」
「ども……初めまして」
加奈子は礼儀正しく頭を下げた。
「初めまして。私はマー君の従兄弟で大家の桜辺佳代です。これからよろしくね、加奈子ちゃん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶を終えたところで三人は駐車場に停めた佳代の車に向かった。
小さな軽自動車だ。
助手席に備前が座り、後部座席には加奈子が借りてきた猫のように座る。
車が動き出すと加奈子は初めて見る街の風景を不思議なものを見るような目で見ていた。
都会ではない。それでいて生活に不便もない。
そんな適度を寄せ集めたような普通の住みやすい街がI市だった。
幹線道路から一本道を逸れてすぐにあるアパートの駐車場に車は停まった。
「悪いな佳代」
「ううん。こちらこそ入居者さんの紹介をありがとう、マー君」
「持ちつ持たれつってヤツだからな。これからも生活保護になりそうなゴミを引き込んでやるからよ。もちろん、以後は古いアパートの方にだ」
「ありがとうマー君。これでお婆ちゃんも安心してくれるよ」
「だといいがな」
「でも本当にこんな古いアパートでそんなに家賃を貰ってもいいの?」
「いいんだよ。どうせ入居するゴミどもから出る金じゃねぇんだ、上限いっぱい貰っとけ」
「う、うん……少し罪悪感があるけど……」
「気にするな。ルール上、なんら問題はない」
「そうだけど……普通はこんなボロアパートじゃそんなに貰えないよ……」
「そんな考えだから立ちいかなくなるんだ。いいか? バカを見るのはバカだけだ。賢く生きたきゃルールを利用しろ」
「う、うん。わかってるよ。マー君の言うとおりにする」
「そうしておけ」
そう言いながら備前は手を上げて自室に向かって歩き出した。
備前の部屋は敷地内で唯一築年数の浅い綺麗なアパート。
他のアパートは昭和の時代に建てられた、吹けば飛びそうな木造の古いものだ。
「とにかく今日は送迎ありがとうな佳代。今日はもう休むが何かあったら言ってくれ」
「うん。わかったよマー君」
「それと小娘はついてこい。お前の部屋は俺の隣だ」
「う、うん」
振り返りもせずに遠ざかる備前の背を追うように加奈子は駆け出した。
その際、思い出したかのように佳代の方へ振り返り、一礼をする。
佳代は手を振ってふたりを見送っていた。
「大家さん、キレーな人だね」
「ん? まぁそうだな。少しアホだがな」
「えっ!? そんな風には見えないよ」
「一応、健常者の扱いだからな」
「一応?」
「IQって知ってるか?」
「それくらい知ってるよ。知能指数だっけ」
「そうだ。日本人の平均が大体100とされていて、70以下が知的障害と言われる水準だ。それが全てではないにしろ、佳代は75程度でな。いわゆる境界知能ってヤツだ」
「それだと、どうなるの?」
「どうにもならんのが問題なんだ。知的障害なら何かしら受けられる支援もあるんだが、ボーダーはそれと大した違いがないにも関わらずなんの支援も受けられないんだからな」
「ひどっ!」
「ま、どこかで線引きをしなきゃならんから仕方ねぇんだが、さぞかし生き難いだろうよ」
「なんか、かわいそうだね」
「実際バカ見てるぜ? 佳代の両親は早死にでな。一応ウチの家系の本家なもんで色々と土地やらを相続しちまったんだが上手く使えねーだろ。昔からやってる貸家もあのとおり老朽化でボロボロだしな」
「あ~」
「おまけに目の前に市営住宅があるものだから余計に入居者がいなくなってしまう。例外を除きそれなりに綺麗で家賃も安く済むのが公営住宅だからな」
「あ~……お隣のは市営住宅だったんだね~……でもさ。アタシ達のアパートのほうはどうして綺麗なの?」
「土地は遊ばせても仕方ねぇって、ウチの婆さんが元気だった頃に新しく1棟建てたのが俺達が住むほうさ。まさか事故物件になっちまうなんて思わなかったけどな」
「結構、悲惨な目に合ってるんだね」
「ま、不幸ってのは重なるもんだ。両親も死んで、佳代にはそんな負債みたいな物件だけが残った。で、それを自力で立て直せるような知能も佳代には備わってねぇ」
「うえ……」
「知能的に外で働くのも適してねぇし、おまけに黙ってても土地建物の所有者には毎年、固定資産税って税金がのし掛かる」
「ぜ、絶望的じゃん」
「ま、資産の適正な流れを作るって意味じゃ税金も悪いもんじゃねーんだがな。佳代みたいなアホにはとことん厳しいのさ。婆さんもそこをずっと気に掛けてたよ」
「だからパパ、助けてあげようとしてるんだね?」
「さぁ? どうだかな」
部屋の前に辿り着いた備前は加奈子に言った。
「ちょっと待ってろ」
そう言ってひとり部屋に入り、暫くして紙袋を持って部屋から出てきた。
その紙袋を加奈子に差し出して言う。
「今日のところはこれでも食ってろ。部屋の鍵も入ってる。そっちがお前の部屋だ」
「え? え?」
急に言われた加奈子は今ひとつ状況を飲み込めない様子だった。
「生活保護申請は明日にする。それまでは自由にしてろ。今日のところはテレビも冷蔵庫もないが我慢しろ」
「え? えー!?」
「なんだ? 野宿の方が良いのか?」
「ち、違っ……わかったよぅ。我慢する……」
「いいか? 困ったことがあっても俺に聞くな。自分でなんとかしろ。親元を離れるということはそういうことだ。じゃあな」
備前は加奈子を突き放すように言い、自室に入って行った。