絶望家族(7)
・底辺家庭では子どもが家事をしてることがある(ヤングケアラー)
※「お手伝い」レベルではなくて。
備前との話を終えた雅楽が家に帰ると、まだ日が落ちる前だというのに蓬はリビングで酒を飲んでいた。
妹の貞茄は別の部屋でタブレットを見ている。
「どこ行ってたの?」
床に寝転んだままゴロリと転がって雅楽を見る蓬。
「……友達のところ」
「そう」
そう言って蓬は上半身を起こし、テーブル上の酒をひと口飲み、また寝転んだ。
「雅楽……その、さっきは大声出してごめんね?」
寝転びながらも申し訳なさそうに蓬は言った。
「別にいいけど……誤るのに酔ってるのは良くないよ」
「うん……ごめんね、こんなお母さんで」
「夕飯、作れるの?」
「……お願いしちゃっていい?」
「勉強したかったのに」
「……ごめんってば」
そんな母親の姿を見て雅楽は呆れたようにため息をつく。
やがてその表情は険しさを増し、彼の足を強く蓬の前まで運ばせた。
「お母さん。今、話があるんだけど」
立ったまま自分を見下ろして話し始める雅楽に驚きながらも蓬は応える。
「な、なに……?」
雅楽は緩みのない顔で蓬を見据えて言った。
「お父さんと、ちゃんと話をしようよ……僕たち、四人で」
「な、なによ急に……そんなの離婚したときにお父さんとお母さんで話し合って……」
「ちゃんと話し合いができてたら、こんなことにはなってないでしょ!」
雅楽は強い口調で蓬の言葉をかき消した。
「お母さんが悪いことしてたのも、全部ちゃんと話したの?」
「なっ……! 何言ってんの! あんたまで!」
途端に顔色が変わる蓬。
「その様子じゃ言っていないんだね? 謝っていないんだね? 自分の悪いところばっかり隠して、お父さんに酷いことばっかり押し付けたんだね?」
「だからなんなの!? 離婚なんてもう終わったことを言っても仕方ないでしょ!?」
「終わったことなんて、そんなに簡単に片づけていい話じゃないよね……? だからお父さんはもう頑張れなくなっちゃったんでしょ?」
「あんた……」
雅楽の自分を責めるような強い視線を受けて蓬は頬を引き攣らせた。
「そう。あいつが何か吹き込んだのね……?」
「僕だってもうそんなに子どもじゃない……両方の話を聞けば、どっちが信用できるかなんてわかるんだ」
「親より、あんな奴のことを信じる気!?」
「お父さんのことを信じているんだよ」
「ハッ! 何それ? 男同士だからとでも言いたい訳?」
「だからかどうかなんてわからない……でも、僕はそう感じたんだ」
「あっそ」
「僕が大人になったとき、こんなルールじゃ嫌だ。結婚なんかしたくない。だって、男だからってだけで大事なものを奪われても文句すら言えないなんて……あんまりだ」
「だから何? 男なんだから我慢すればいいでしょ」
「そうだよね……そう言うんだよね、お母さんも、ルールも」
「そうよそう。男なんてのはね、働きアリみたいなもんなの。どうなったっていいのよ」
「……だから、お父さんにもどうなってもいいなんて言われるんだよ」
「!?」
「言っておくけど、僕も男だよ」
「な、なによそんなに恐い顔して、親に向かって……!」
「親……?」
雅楽は深呼吸をしてから続けた。
「そうだよ。僕たちはもう親を選べるんだ……」
「な、なに言ってんの? そんな訳……」
「もしお母さんが悔い改めないなら、僕は貞茄を説得してお父さんのところに行こうと思う」
「あんた……!」
そう言うや否や、蓬はすごい剣幕で立ち上がって雅楽の頬を平手打ちした。
ところが雅楽もまるでそれに怯まず、蓬を睨み返す。
「なによその目はっ!」
蓬はさらにもう一発、雅楽の頬を打つ。
だが今度は雅楽も即座に反応を示した。
間髪おかず身体の重心を落として反撃とばかりに蓬の頬を殴り返したのだ。
酔っていた蓬の身体はいとも簡単に吹き飛び、床に頭を打ちつけるように倒れた。
「男だからって何……? 子どもだからって何……?」
蓬は床に寝そべっていても頭を打ってフラフラと体勢が定まらない。そしてそれを見下すように雅楽は続けた。
「男女平等パンチって、今はそういうんだよ……? 子どもだって同じさ。いつまで女って理由で殴られないつもりなのさ。自分勝手なことを言ってないで、少しは思い知りなよ」
「雅楽、あんた……なんで……なんでこんなことに……」
「お母さんがもっと酷いことをお父さんにしたからでしょ……? 僕だってあの男に殴られた……全部、全部お母さんが悪いんだ!」
「ち、違……私はそんなつもりじゃ……」
「まだそんなこと言ってるなら、僕も考えるよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあ何? どうすればいいのよ?」
「わからないよ……でも、だからちゃんと話し合おうって言ったんじゃないか。お母さんがやったことをちゃんと謝って!」
「何よ……私がなに悪いことをしたって言うのよ……!」
「それ……本気で言ってんの……?」
強く握った拳を見せる雅楽に蓬は口を噤んだ。
「だって、あの人は全部許すって言ったのよ?」
「そんなこと言う訳ねぇだろぉっ!」
雅楽は大声で叫んで蓬の声を遮った。
そしてそのあと、とても悲しそうな顔で静かに母親に告げた。
「……もういいよ、もう喋んなよ。……僕が知ったこと、全て貞茄にも話すから。それでお父さんにもう一度頑張ってもらえないか頼んでみるから。あんたは一人で好きにやってろ」
「……ちょ! ちょっと待ってよ!」
手を伸ばそうとする母親を睥睨し、雅楽は冷たく言い放った。
「だったら、悔い改めなよ」
そして雅楽は母親に背中を向けた。
部屋で自分の荷物の整理を始めた雅楽をおそるおそる見るように、蓬は顔を覗かせて小さな声で話しかけた。
「雅楽……?」
その頬は赤く腫れ、酔いも吹き飛んだように心配そうな表情だ。
「何?」
息子の冷たい返答に蓬は少し身を引いた。
「そんなに恐い顔をしないでよ……私だってお父さんからそういう態度を取られたことがないわけじゃないんだから……」
「だから何? 本当かどうかは知らないけど、だから好きなだけ追い込んでいいんだ?」
「わかった! ごめん、わかったから……だから出て行くなんて言わないでよ……」
蓬はしおらしく雅楽に謝ったが、雅楽の怒りの表情は少しも緩まなかった。
「なんで? お母さんには不倫相手がいるんだからいいんじゃないの? もういいよ。僕たちはお父さんのほうについていく」
「わかった! わかったから!」
「だから何がわかったんだよっ!?」
雅楽は大きな声で母親を牽制する。
「お願いグレないで……お母さん、なんでもするから……」
蓬は目に涙を溜めながら懇願した。
「うるせぇな! じゃあ何がわかったんだか、はっきり言えよ!」
「雅楽と貞茄のほうが大事! お母さん、雅楽と貞茄が一番大事だから!」
「だったら余計にさ、お母さんに生活を任せてたら僕たち駄目になっちゃうんじゃないの? 僕たちのことを思うなら、素直にお父さんに任せたほうがいいんじゃないの?」
「そ、それは……」
「どうなんだよ!? あ!? なんとか言ってみろよっ!」
「ごめんねぇ……。雅楽、ごめんねぇ……」
そう言って蓬はその場に泣き崩れたのだった。
「ふざけんな……そんなふうに泣いたからって許される訳ねぇだろ……! 言えよ! どうすんのかハッキリ言えよっ!」
「ごめんねぇ……キレないで……ごめんねぇ……」
「だまれこのクソ女!」
そんな蓬の姿さえ火に油を注ぐようで、雅楽は泣き崩れた蓬を足蹴にして突き飛ばした。
「言えって言ったんだよ、僕は! どうすんの!? あの男を呼んで僕を黙らせんの!? やってみろよ! もう僕だって容赦しねぇぞ……殺してやるよあんな奴!」
「もう別れる! 別れるからあんな男!」
「信じられっかクソババァ!」
さらに倒れたままの母親を足蹴にする雅楽。
ついには異変を感じた別室の貞茄までもが様子を見に来て、その光景の凄まじさに立ちすくんでいた。
「ごめんなさい……やり直します! お父さんとやり直します……!」
踏みつける雅楽の足から身を守るように背を丸める蓬。
それでも雅楽は足蹴をやめず、母を踏みつけ続ける。
「なんで上から目線で言ってんだよ! 立場わかってんのかテメェ!」
「お願いしますっ! 私が謝って、私がお父さんにお願いしてみますっ!」
止まらない雅楽の暴力を前に、最終的に蓬はそう言わざるを得なかった。
そして、その言葉が蓬から出てきた途端に、雅楽の暴力は止まった。
それでも蓬はすすり泣いたままだった。
「ママ……?」
母親に寄り添おうとする貞茄の足を睨みつけて止める雅楽。
「貞茄? お母さんに寄り添っちゃ駄目だよ。こいつは僕たちの家族をぶち壊した真犯人なんだから……」
怯える妹を追い払って、雅楽はドンと大きく音を鳴らして自分の部屋の椅子に腰を落とした。
「そっか……お父さんが言いたいことを言えないんだったら、僕が代わりにこうやって、お母さんにわからせてやれば良かったんだね……はは、ははは……」
自分の母親が崩れてすすり泣く姿を睥睨しながら、雅楽は渇いた笑みを浮かべていた。







