絶望家族(2)
・抵当や差押が入っていても不動産の名義変更や売買は可能。
※ただし、先行の権利には抗えないので普通の感覚では売買などありえません。
「どうせ養育費やローンが止まるだけで詰むのなら、それでも十分に復讐にはなるだろうよ。どうせ子どもたちも一緒に詰むのなら、いっそ本当に殺してしまうことも悪くない」
「そこまで言ってしまいますか」
「実際にあった話だが、離婚後の面会交流で預かった子どもと心中して元妻に復讐をした男もいるからな……一人残された元妻としちゃあ絶望だろう? 最近は度が過ぎるとこうなるってことを男たちが世の中に訴えるターンに入ったっぽいな」
「……そうなんですね」
「だが、興味本位で君を悪い方向に唆す一方で、励ましてやることもできる……同じ職場で働いていたよしみと、今、同じく死にたいと思っている者同士としてな」
「……備前さんはどうして死のうと思ったんですか?」
「俺か? 俺は能力が高過ぎるせいで人生イージーモード過ぎてつまんねーからだ。ははは」
「はは……冗談にしても、本当に死にたいようには見えませんね」
「ま、前向きに考えんのは悪いことじゃねぇ。いいじゃねぇか、一人で身軽になるというのも。たとえ会えなくても自分の子はどこかで育つ。全自動子育て機にでも預けたと考えろや」
「はは……それいいですね。全自動子育て機ですか」
「だろ? 男がATMなら、女は家電だよ」
「いや備前さん、それは違います。物言わぬ家電のほうが高性能ですよ。だって女はエラーや異音ばっかりじゃないですか」
「いいぞ? 愚痴も元気も出てきたじゃないか」
備前が言うと無悪は少し驚いたあと恥ずかしそうにはにかんだ。
「あはは、つい備前さんに乗せられてしまいました」
「いいんだよ、それで。前向きに考えていけ。生涯未婚が増えるなかで君は自分の遺伝子を残せた。しかもそれでいて今は独身、自由の身だ。これってよ、考えようによっちゃあ結婚のメリットと独身のメリットをいいとこ取りしてるってことじゃねぇか」
「なるほど……前向きに考えればそうとも言えますね」」
「案外、今の時代では男の生き方としては最適解かもしれんぞ。女は減価償却されるからな」
「備前さん、ボロクソに言いますね」
「だがこれは意外と本質だぞ? 女なんか消耗品として買える以上、男が結婚するメリットは子どもくらいだ。そして子どもを箱に入った商品として購入すると考えたとき、中身を取り出したら箱は不要になるはずだ」
「すごい言い方ですね」
「保証書がついてる訳でもないし、何かを分かち合えるなんて幻想だよ。余計な干渉がないほうが意思決定も早いし、流されもしない……なんでも自分でできる男であれば、これはむしろ足枷を外す行為なんだ」
「あぁ……なんとなくわかってしまう自分がいます……」
「そうだろう? たしかに今の君はどん底にいて苦しいのはわかる。だが、そこから立ち直りさえすればウソのように人生を楽しめるようになるはずさ」
「そう……なんでしょうか?」
「そうだな……じゃあ、まずはとりあえず若い女でも買ってみたらいいんじゃないか?」
「ははは……それもいいかもしれませんね。でも、僕は、今までそういう遊びをしてこなかったから……」
「遊び方がわからないのかい? ならここで会えたのも何かの縁だ。よければ俺が夜の遊びを教えてやろうか」
「本当ですか!?」
「あぁ……ひとまずそれでスッキリしてから、それでも死にたければ死ねばいいし、復讐したいならすればいい」
「マジっスか……備前さん、この流れでもあくまで引き止めてくれないんですね……」
「もしやどっかの公的機関のように命は大切です、生きてくださいとか言われたいのかい?」
「生きろって言われるくらいなら、死んでいいよって言われたいですよ……」
「そうだろう? だから俺は止めない。気持ちがわかるからさ。それに君が死ねたのなら、俺も勇気が貰えるきがするしね」
「……なんかもう、夢も希望もないし、なんにも期待なんかしてなかったけど、ここで備前さんに会えて良かったと思えてきました」
「そうかい? それじゃあ、夜にでもなったら、気晴らしに遊びにでも行くかい?」
「そうですね、試しに……よろしくお願いします」
「オーケー。では一度解散し、夜になったらI駅前で待ち合わせといこうか」
こうして備前と無悪は夜を待って街へ繰り出すことになったのだった。
その日の夜、I市内のホテルをそれぞれ一室ずつ借りて若い女を買ったあと、備前と無悪は近くの居酒屋に入った。
「先に一発か……順序が逆になったのは俺も初めてかもしれん」
「すみません、僕のために」
「いやいや。あえてスッキリしたあとの君と話してみたいと思ったのは俺さ」
「ははは……めっちゃ可愛い子が来て驚きました」
「そうかい、そりゃあ良かった。店に行こうか迷ったが、君が落ち着いて楽しめたほうがいいと思ったからデリのほうにさせてもらったんだ。その様子じゃあ功を奏したようだね」
「はい……ものすごく楽しかったし、良かったです」
「はまるなよ? あくまで消耗品だ。風俗女なんか物として考えろ」
「すごい世界ですね……でも、あんなに可愛い子がなんで風俗なんか……」
「そういう時代なんだろ。俺がおっさん化したせいもあるだろうが、年々、質が高くなってる気がするぜ……それだけ困窮した女が増えているのかわからんがな」
「キャバクラなんかは逆に客が減ったなんて聞いたんですけど、どうなんでしょう?」
「俺もこっち方面はそこまで詳しい訳じゃねぇが、色々な事情があるんだろうな」
「男の経済力が低下していたり、そもそも女との会話が苦手な男が増えてるイメージがありますからね」
「効率を求めるようになったのもあるんだろう。結婚のメリットを度外視するなら本質的に女を口説く目的は身体しかない。だからその前の過程を無視して買える商品に流れる。抱けるかどうかわからん女との会話に割く時間と金と労力なんて非効率的だぜ」
「あ、それ。僕も同じように感じてました」
「だろう? つまり、突き詰めれば女を口説く最短距離の言葉はたった三文字だ」
「な、なんですかそれ?」
「『いくら?』って聞けばいい」
「さすがに直球……」
「女体にしか価値がないことを理解してない女は値段以外の答えを返してくるだろ? その時点でこちらはその女を対象から外す。お互いに時間と金と労力を無駄にしない最高効率の口説き文句だ……ただし、女体しか求めていない場合に限るがな」
「でも、それで値段を言い返してくる女なんかいますか?」
「ははは。いたらその値段と価値を比べて購入か否かを判断をすることになるだろうが、まずいねぇよな、そんな女」
「でしょうねぇ」
「だが、女なんざそんな扱いでいいんだよ。そもそも値段が表示されてる商品で売られてんだからな。何度も言うが、女体なんかただの消耗品だぞ?」
「……備前さんは、女はみんな物だと思ってたりするんですか?」
「いや? さすがに俺も普段は男も女も同じ人間として等しく見ている。地域の普通の知り合いとかな。だが、概念的に女の部分しか見なくて良い相手の場合は途端に物になる感じだ。性別の概念はより大きな人間という概念に内包されている。だから俺に女の部分しか見られない存在は俺に人間扱いされてないって感じかな」
「もしかして女に酷い目にあわされた僕に気を遣って、あえて酷いことを言ってます?」
「さぁ……どうだろうな?」
備前は口の端を吊り上げて笑った。
「ま、俺ももう45だ。アレが萎えてヒヤヒヤすることも増えてきたしな、そろそろ潮時かとも思っているんだがね」
「ははは。さっきの子、こないだ60代のオジサマを相手にしたって言ってましたよ? 備前さんもまだまだじゃないですか」
「そもそも、俺はそんな歳まで生きるつもりはねぇんだがなぁ……」
「そんなことを言わないでくださいよ~。僕だってまだ……」
そこまで言って無悪は言葉を止めた。それを聞いて備前は不敵に微笑む。
「生きていたい……ってか?」
冗談交じりの雑談だった場の雰囲気がたちまち変わった。
「……ようやく本音が出たな。どうやら、少しは死にてぇ気分が晴れたようだ」
「まんまと備前さんに乗せられてしまいました……気づいちゃいましたよ、僕、本当はまだ死ぬ気なんかないんだ……って」
「今なら、少しは矛盾だらけの自分の考えもまとめられそうか?」
「そうですね……まだ混乱はしてますけど、なんか少し頭のモヤが薄くなった気がします」
「ゆっくりでいい」
「はい……まだ死にたい気持ちが晴れたわけじゃないけど、もう少し生きていてもいいかなって思っているのはわかりました」
「その辺はきっとみんな、騙し騙しやってんだろうよ」
「でも、この状態は一時的なもので、たぶん数日もすればまた元の状態に戻ってしまうような気がします……」
「うつ状態に、ってことか」
「結局、一時的に誤魔化せても状況の根本的な解決にはなりません……無気力のまま、働けなければお金も底をつき、また死にたくなる。現実からは逃れられないんだ」
「なら、できれば今の内に、良く自分と向き合って考えをまとめておいたほうがいいだろうな。自分がどうしたいのか、その方向性を」
「僕が、どうしたいか……?」
無悪はそう言ったきり、しばらく黙り込んで考えたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「死にたくはないです。でも、何もしたくないです。仕事もせず、ただメシを食って寝る。それだけでいいです」
「頭がボケるぞ」
「それでいいです。そのほうがいい。植物のように、何も考えずに、呼吸だけでいい」
「……金の問題はどうするんだ」
「備前さんに相談したいのは、そこです」
備前は驚いた。
「なるほど。俺のことを……知っていたのか」
無悪は深く頷いた。
「以前、市営住宅の入居者抽選で若い女の子がえらくとんでもない方法で母子家庭をゴリ推ししてきましてね……」
「ああ。あのときの……小娘が一人で挑戦するとか言ってたときだな」
「ええ。そのバックに備前さんがいるって話から、職場内で一時話題になったもので」
「そうか、俺の悪行も有名になっちまったようだな」
「僕はもう、無気力に全てを支配され、なんにもできません……でも、備前さんにどうしたいかと言われたとき、本当は一つだけ思いついてしまったことがあるんです」
「……なんだい?」
「元妻に……復讐したい」
「子どもも巻き込むぞ」
「どうせ僕は植物状態だ……もう何がどうなっても構いません。ただ呼吸が続けられればそれでいい」
「無責任の極みに辿り着いてしまったか……」
備前は残念そうに小さく首を振った。
「だが、それなら君が仕事を辞めて生活保護にでもなれば結果的に復讐は果たされよう? 君からの金銭が途絶えれば元妻は勝手に生活困難となるんだ。俺に相談するようなことは何もないだろう?」
無悪は備前を真っ直ぐに見据えた。
「生活でだいぶ目減りしましたが、今の僕の全財産が80万円ほどあります。これを全て備前さんへの依頼料に充てます」
「たしかにその80万円を消費しない限りは生活保護申請をしても無意味だが……かと言って、ただ生活保護申請の代理申請をするだけにしては高額すぎるな」
「どうせ消費されるだけの財産に価値がないというのもありますが、だからこそ、それを少しでも有意義に使うために備前さんに一つ、お願いごとがあるんです」
無悪の強い眼差しを見て備前は表情を引き締めた。
「……同士の頼みだ。真剣に聞こう」
無悪は嬉しそうに一度微笑み、また真剣な表情で続ける。
「このことを……僕の現状と、全ての金の支払いが止まる事実を、元妻に直接叩きつけてやってほしいんです」
「あえて、ということだね?」
「はい……それで、どんな気持ちなのかとバカにして、そのなんとも言えないだろう様子を僕に教えてほしいんです」
「そうなると、元妻から君に直接クレームが行きそうな気がするんだが……」
「拒否します。僕はさっき一度死んだんです。だからもう、あとのことはどうでもいい。ただ、それでもあいつが苦しむ姿だけは、少しは僕の慰めになってくれるでしょう」
「どうせ尽きるだけの金なら、せめてささやかな復讐に上乗せするってことか」
「今の僕にとっては、それが一番有意義な使い方だと思いました」
「……わかった。だが、そのあとはどうする気だい? 今の住居のままでいいのかい?」
「できれば、全部リセットしたいです」
「わかった。うちのボロアパートで良ければすぐに入れるが、少しは綺麗なアパートのほうがいいんじゃないのかい?」
「どこでも構いません。元妻からの連絡や訪問をシャットアウトできさえすれば、どこでも」
「そうか……君はそこまで全てに絶望してしまっていたんだな……」
「もうここまでくると、死なば諸ともって境地ですね」
「すごいな。……身分も、生活も、子どもも、金も。全てどうなってもいい人間に君のような普通の人がなってしまうとは……」
「最低限の呼吸ができればいいです……復讐さえできるのであれば、喜んで備前さんの養分にでもなりましょう……なにとぞ、お願いできませんか……?」
無悪の真剣な表情に備前は目を伏せた。
「残念だよ……元々は同業であった君を、こちら側に引き込みたくはなかった……」
「いいえ、違います。僕は自分で死んだんです。いや? すでに殺されていたのかもしれませんね。今の僕はただの怨念です。売れる魂が少しでも残っているのなら、喜んで悪魔にでも売りましょう……あいつを、あいつを呪い殺すためだけに……それさえ叶うのなら、あとはもう、何がどうなっても構いません」
備前はとうとう目を閉じた。
「わかった……引き受けるよ」







