外国人(1)
・生活保護最初の年にはエアコン購入費が出る。
・子どもの進学時には入学準備金が出る。
・子どもの部活に必要な費用も出る。
・外国人でも永住権等で生活保護が出る。
その日もI市役所で養分の申請を済ませた備前と加奈子であったが、養分を先に帰宅させ、市役所内の自動販売機コーナーでひと休みをしていた。
「今回もスムーズに申請できて良かったねパパ! 安岡さんには気の毒だけど」
「小娘もなかなか様になってきたな」
「師匠がいいからね~、パパ」
加奈子はニッコリと微笑む。
「最強の査察指導員が堕落した、最凶の生活保護者だし。もう真っ黒けっけ」
加奈子はケラケラと笑うが備前は意にも介さない。
「勉強のほうはどうなんだ。母親の前で大見得切ったはいいが、資格が取れなきゃ完全に強制送還だろ?」
「今さ~……連結決算のところでちょっと苦戦してるんだよぉ~」
「ん? たしか日商2級だろ? そんなのあったか?」
「ないときもあったんだろうね~。たまに範囲が変わるらしいから」
「にしても、小娘が一から学び出したにしちゃあ早くねぇか?」
「バカだけど一応は商業高校出てるからね~。聞きなれない単語って訳じゃないから全体的に覚えがいいみたい」
「ほう。なら余裕そうだな」
「まぁね~」
「ま、簡単に超えられるハードルを、さも大変であるかのようにアピールするのも意外と大事だからな」
「わかってる。だから、1年以内に2級と言って置きつつ、本当は1級を狙ってるんだ~……本当はその上の簿記論とかまで行きたいけど……やれるだけ頑張る」
「ほう、懐かしいな……俺も通った」
「わかんないトコあったら聞いてもい~い?」
「構わんよ」
二人はベンチに並んで座ったまま、同じような仕草で飲み物を飲んで一息ついた。
「さて、今日の養分獲得も済んだし、パパも今日は帰る?」
「どうすっかな。思ったより早く済んだし……せっかく市役所まで来たんだ、小娘にも新しい遊びを教えてやろうか」
「遊び? ここ市役所だよ? 遊ぶところなんかなくない?」
「そこらじゅうにあるぞ」
「え!? なにそれ? どんな遊び?」
「名づけて、オブザーバーごっこだ」
「なんじゃそりゃあ?」
加奈子は首を傾げた。
その後、加奈子は備前に連れられて生活保護の相談窓口前まで戻った。
「パパ? 今日はもう養分の申請は終わったんだよね?」
「ああ終わった。だから今は遊びに来たんだ」
「窓口で遊び? さすがに安岡さんも忙しいんじゃないかな……」
「大丈夫だ。別に生活保護の窓口じゃなくてもオブザーバーごっこはできるからな……ただ、小娘にも内容が理解できたほうが楽しいだろうから馴染みのある窓口に来たんだ」
「いや、その前に何を楽しめばいいんだかわからんのだが?」
「市役所ってのは日々色々なクレームを受けるからな。それを傍から聞いているだけでも面白ぇんだよ」
「そんなのパパだけでワロタ」
「お、さっそく面白そうなのが来たぞ……小娘、窓口前の待合ベンチに座って聞き耳を立てようぜ」
「フツーに盗み聞きワロタ」
しかし加奈子もまた楽しそうに備前の隣に座ったのだった。
備前たちが窓口前の定位置についたあと、窓口にやって来たのは50代のふくよかな外国人女性だった。顔つきは東南アジア系である。
「パパ? どうしてあの人が面白そうだってわかったの?」
加奈子が小声で横に座る備前に尋ねる。
「俺がここで査察指導員をやってた頃からの保護者でな……クセが強いから覚えてたんだ」
「良く覚えてたね」
「そういうのほど記憶に残るもんなんだよ」
「それにしても、外国人でも生活保護をもらえるんだ……」
「難民や永住者、定住者など、条件は限られるがな」
「難民はなんとなくわかるけど……永住者とか定住者って何? ってか、何が違うの?」
「シッ! あとで教えてやっから少し黙っとけ。……さぁ、あの表情。始まるぞ~……」
「パパがワクワクし過ぎワロタ」
加奈子はそう言いながらも口を閉ざして女性の動向を見ていた。
「くるぞ……くるぞ……」
備前は少年のように目を輝かせながら女性の動きを目で追っている。
やがて、生活保護相談窓口前まで来た外国人女性は大きく息を吸ってから執務室内に向かって大声を発した。
「安岡サーン! 早ク 出テキナサイヨー!」
その少し怒気のこもった訛り声を聞いて備前は盛大に吹き出した。
「来た来た来たぁ! コレだよコレ!」
「ななな、なに!? なんなのパパ!?」
加奈子は異常な状況に戸惑うばかりだった。
やがて執務室の奥から安岡が慌てて駆けて来る。
「ちょっ! マリアさん! 窓口で大きな声は出さないでって言ってますよね!?」
「ソンナコトイイッ! ソレヨリ、説明シテッ! 保護費ガ出ナイッテ ドウイウコト!? 死ネッテコト!?」
「ででで、出たぁ~! 三大ワード『死ねと言うのか』ぁ~!」
待合席に座った備前は笑い転げるかのように腹を抱えた。
「ちょっ! パパ! そんなに大声で笑ったら聞こえちゃうよ!」
「それが、聞こえるように言ってるんだなぁ」
「余計にワリィで草ァ!」
加奈子はヒヤヒヤしながら備前と外国人女性を交互に見た。
「ナニィ?」
背後から聞こえた備前の声に振り返る外国人女性。だがそのとき、既に備前はスンと澄ました顔でスマホを注視していた。
「くそう、このボス、なかなか死なないぜ」
「パパ、ゲームしてるふり下手クソかよ」
呆れ顔の加奈子を怪訝そうに睨みつけて外国人女性は再び安岡のほうへ振り返る。
「小娘。あいつはな、楽楽前マリアニコルといって、超絶クレーマーだ」
「見りゃわかるがな」
加奈子は肩を竦めながらも黙って様子を見守る。
「安岡サン! 子ドモ 中学 入学スルッテ言ッタヨネ!?」
安岡はマリアの背後で備前がニヤニヤと見ていることに気づき肩を落としながら答える。
「ですから、何度も説明したとおりです。たしかに入学準備金は進学の時期に合わせて支給されますよ? されますけど、上限があるとも言いましたよね?」
「ソンナノ聞イテナイッ!」
「ででで、出たぁ~! 三大ワード『そんなの聞いてない』ぃ~!」
備前の笑い声にグルッと首をうしろに回すマリア。しかし備前は既に真面目な顔でスマホを注視している。
「ボスがこんなに強いなんて、聞いてないぜ……」
「パパそれで誤魔化せると思ってんのワロタ」
マリアは訝しげな顔をしながらまた安岡のほうへ戻る。
「安岡サン、ナニ? アノヒト」
「さ、さぁ……? 市役所とは関係のない一般市民じゃないですかね……?」
安岡の苦し紛れの言い訳に小刻みに震える腹を抑える備前。
「マ、イイヨ。ソレヨリ オ金、出シテヨ」
「できません。制服とか高いから上限を超えそうならあらかじめ毎月の保護費から備えておくように言っておきましたからね」
「ガタガタ言ウト 市長ニ言ウヨー!」
「ででで、出たぁ~! 三大ワード『市長に言うぞ』ぉ~!」
刹那グルリと振り向くマリアに真面目顔の備前。
「まさか市長が黒幕だったとはな……」
「もはや誤魔化す気すらなくてワロタァ!」
またも訝しげな顔で安岡のほうへ振り返るマリア。
「安岡サン! アノヒト 見タコトアル! 役所ノヒト ジャナイノ!?」
「ち、違いますよ断じて! 役所の人はあんなこと言いませんから!」
「はっはー! 俺ぁ一般市民だかんな! 好き放題にひとりごとを言わせてもらうぜっ!」
「それでオブザーバーごっこかよワロタ!」
最後には加奈子まで笑い始めたのだった。そうなるともう窓口の安岡も無視ができなくなる。
「ちょっ! 備前さん! 一般のお客さんがいるんですから……」
だが備前には悪びれる様子が微塵もない。
「お、何? 俺は一般市民じゃないってわけ? しかも無闇に俺の個人情報である名前とか呼んじゃって大丈夫なわけ?」
「ぐ……! も、申し訳ありませんでしたお客様」
安岡は苦虫を噛み潰したような表情でイスに腰を落とした。
「チョット! アナタネェー!」
不甲斐ない安岡の反応を見て、とうとうマリアも備前に向かって怒りを露わにした。
「おっと何だぁ!? 外国人の生活保護者に睨まれちゃったぞぉ~? 怖いなぁ!」
だが備前はあえて大きな声を出して周囲の市民の視線を集めるように言った。
「おいおい、まさか日本にたかりに来てる分際で、偉そうに金出せとか騒いでいるんじゃないだろうなぁ~? 違うのかなぁ~?」
「そうだそうだ~! 国へ帰れ~!」
加奈子も楽しげに備前の援護射撃を行うように悪ノリしていた。
「……!?」
集まった周囲の不審な視線を受けてマリアは目を逸らすように安岡のほうへ向き直った。
「安岡サン! ソンナコトヨリ 早ク話ヲ 進メマショウ!」
「話なんざねーよ! 早く帰れゴミがっ!」
「と、一般市民代表が申しておりま~っす!」
備前と加奈子は完全に開き直った態度で悪ノリしていた。
「ソ、ソーイエバ、部活ノバスケ 靴モ買イタイ」
安岡はゲンナリした顔で答える。
「たしかに部活に必要なものの購入費は出ますけどねぇ。あなた昨年、上の子のバスケシューズ、しかも3万もするのを買いましたよねー? 最低限って言ったでしょ! 一般家庭だって苦しいのに、なんで生活保護者がそんなにいい物を……」
「ナニィ!? 私タチニ人権ハナイノー!?」
ケースワーカーでもある安岡に対してさえ食ってかかるマリアに周囲の目は呆れている。
「ンなモンねぇよ! 嫌ならとっとと保護やめて自分で稼げ能なしがっ!」
「て言うか日本から出てけゴミがー!」
まるで市民の声を代弁するかのように備前と加奈子はマリアに罵声を浴びせていく。
「マリアさん。しかも上の子、そんなにいい靴買って、三カ月で部活やめましたよね! その靴のおさがりでいいじゃないですか!」
備前たちの追い風を受けて安岡もマリアに強く出た。
「ソンナノ モウ売ッタ!」
「あ! じゃあ収入申告して下さいよ! いくらで売ったんですか! そのぶんの生活保護費は要らないはずだったんですよね!?」
「ヤ、違ウ、ナクシタンダッタ……」
「ふざけないでください! そんなんじゃお金なんか出せませんよ!」
「ナニィ!? ソンナコト市民ニ向カッテ 言ッチャッテイイノー!?」
「オメェは不良市民だろうが! 安岡君! もっと強く言いたまえ!」
「アタシも安岡さんを全力で応援するぅ!」
「話ニナンナイ! 上司ヲ出シテッ!」
「おいおい~! 三大ワード『上司を出せ』が出てきたぞ~?」
「三大ワードとはっ!?」
場の空気は完全にカオスとなっていたが、周囲からの視線がマリアにとって厳しいものであることには変わりがなかった。
「グゥ……」
マリアはまわりから囁かれる声に怯む。
「安岡サン、アノヒトタチ、絶対ニ役所ノヒトデショ? イイノ? コンナコトシテ?」
「すみません。あの人たちを止められないのは申し訳ありませんが、本当に市役所とは関係のない人たちなんですよ……」
「摘ミ出シテッ!」
「そ、そのうち騒ぎを聞いて庁舎管理担当者が来ると思うんですけど……」
「早クシテッ!」
マリアは荒ぶるが備前は冷静だ。
「おいおーい。本当に摘み出されるべきは不当要求のゴミクレーマーだぞ~?」
「市役所どころか国からバイバイキーン!」
「モーッ!」
マリアは憤慨して机を叩いた。
「思イ出シタッ! 安岡ッ! アナタ エアコン代モ 払ワナイツモリッ!?」
「それも言いましたよね? エアコン購入費は保護受給初年度にエアコンがない場合、支給開始直後で月々の保護費から積み立てが難しいだろうから出る名目であって、マリアさんは生活保護受けて何年目なんですか!? 自分で調整して買ってくださいよ!」
安岡もまわりの応援があるから怯まない。
「一般市民のみなさーん! これが生活保護者の実態ですよー!」
「タダメシ食らって、怒鳴り散らかすだけの最高のお仕事でーっす!」
備前と加奈子は周囲への煽りを欠かさない。
やがて周囲の市民もザワつき始める。
「おい、あの外国人、さっきから聞いてりゃあ、ちょっと厚かましすぎじゃね?」
「それを言ったら保護者なんかみんなあんな感じなんじゃない?」
周囲の声を受けてマリアはとうとう身を縮める。
「我々国民の資産がこうやって食い潰されるんだなぁ~……」
「保護費を貰えるだけ有り難いと思えってんだよな~」
「足りねーじゃなくて、それで足りるように工夫するのが普通だよなぁ」
「ったく、ゴミがゴミを産んでんじゃねーよ」
「あーあー、早く消えてくれねーかなぁ~」
矢継ぎ早に投げ掛けられる備前と加奈子の罵声にマリアは顔を真っ赤に染めて叫んだ。
「モーイイッ! 帰ルッ!」
そしてマリアは足早にその場を去って行く。
「おうおう、もう二度とくんなよ~?」
「ちゃんと日陰を歩いて帰るんだよ~?」
その背中にも容赦なく罵声を投げ掛ける備前と加奈子。
「「ヘーイッ!」」
やがてマリアの姿が見えなくなったところで二人はハイタッチを交わしたのだった。
「ぃよっしゃあ! ゴミ撃墜ぃ! やったねパパ!」
「害虫駆除は気分がいいぜ」
そんな二人を見て肩を落としたのは協力を得てクレーマーを追い返したはずの安岡だった。
「備前さんも笹石さんも、なんてことしてくれたんすか~……」







