来訪者(4)
・DVからの避難と社会保険
・困難な問題を抱える女性支援法(男女平等とは?)
その後、笹石夫妻は加奈子の作った料理やケーキに舌鼓を打ち、目を丸くするように驚いて帰って行った。
「お母さん、たまに様子を見に来てくれるって言ってた」
「当たり前だろ。子どもが心配じゃねぇ親なんか……」
備前はそこで一度言葉を止めてから続ける。
「そうそういるもんじゃねぇ」
「少し思い当たっててワロタ」
「自分の子どもを犯す親、殺す親……そういう親に育てられた子、逃げ出した子。俺たちが相手にする奴らのなかにはそういうのもいる」
「……アタシ、恵まれてたんだなぁ」
「にも関わらず生活保護なんぞに落ちぶれやがって……生きていて申し訳ありませんって気持ちくれぇ持っておけよ」
「パパはもっとアタシに優しくしてくれたっていいじゃん!」
「何を言う。ちゃんと家族の間を取り持ってやっただろ、感謝しろ!」
「結果的にはそーなんだけどさぁ……今にして思えばタイミング良くアタシにケーキ作らせたり、ところどころ見える計算がどうもなぁ……」
「ハハハ。ともあれこれで俺はコキ使える手駒を両親同意のもとで得たってわけだ」
「うげぇ」
「さぁて、次は小娘に何をさせようかなぁ? 風俗店で稼がせる親もいたっけなぁ……」
「サ、サイアクー!」
「俺に本当に売り飛ばされたくなきゃあ死ぬ気で働けよ、俺のために」
「や、やっぱりアタシを売り飛ばす気なんだぁ……お父さん、お母さん。パパは本当はこんな奴なんです。あなたたちは悪魔に騙されて娘を差し出してしまったんですぅ……」
「小娘も覚えておけよ? 悪人と名乗る悪人はいねぇんだ」
「もーパパの裏の顔やだー!」
加奈子はガッカリしながら叫んだ。
「パパさぁ。アタシの両親に手紙出したじゃん? アタシの居場所バラして」
「そうだな」
「アタシのことを考えてくれたのはわかったけどさぁ……なんでこのタイミングだったの?」
「しいて言えば、お前の両親がアホじゃなければ大体の居住地に目星をつけられる恐れがあると思ったからだ」
「えっ!? なんで!? だって住民票も戸籍も封印したんじゃなかったの!?」
「そうだが、こないだ精神科に通院したのを覚えているか?」
「うん。ウソでうつの診断書をもらったときだよね」
「そうだ。そのときと俺が腰を痛めて通院したとき、何か違ったことはなかったか?」
「う~ん……」
加奈子は頭を捻った。
「もしかして保険証のことかなぁ?」
「お。いいぞ」
「パパのときは事前に福祉事務所で『診療依頼書』? をもらってから病院に行ったけど、アタシのときはそのまま病院に行ったから、なんか変だなぁって思ってた」
「そうだ」
備前は加奈子の頭をグシャグシャと撫でた。
「や~め~ろ~!」
加奈子はそれを振り払う。
「前に生活保護になると病院にかかるときの保険証を資格ごと失うって教えただろ」
「うん。3割負担とか以前に全額生活保護費で支給されるからだよね」
「ああ。ただし、必ずしもそうではなくて、例えば社会保険などに加入している場合は、無理に離脱しなくてもいいんだ」
「どして?」
「生活保護には他法他施策優先の法則があると前に教えたな?」
「つまり、社会保険を利用すれば生活保護費を払わなくてもいいから、社会保険が使える人はそっちを使えってこと?」
「そうだ。……で、ここで問題になるのが小娘のようなDV被害者がその保険証で通院するとどうなるかってことだ」
「もしかして、アタシが今持ってる保険証って……」
「思いっきり両親の扶養に入ってる保険証だろ」
「! そういうこと!っ?」
「そう。保険に入っていると定期的に加入者がいつどこの病院で受診したのかのお知らせが被保険者に届くようになっているんだ」
「つまり、アタシがこないだ通院した病院の近くに住んでるって筒抜けになるんだね?」
「まぁな。それが1回だけならたまたま旅行先の病院で受診しただけかもしれないが、普通に生活をしていれば通院する機会も増えてくるだろう?」
「生活圏が、割り出されちゃう……?」
加奈子の顔色は青くなっていく。
「た、大変じゃん! アタシの場合はいいよ? 本当のDV被害じゃないし、パパのおかげで両親とも仲直りできたもん! でもさ、それを知らないDV被害者は迂闊に病院にも行けないじゃん!」
「そうだな。だから結果的には逃げるなら社会保険からも抜けたほうがいいんだが、例えばDV夫の扶養に入っている場合、社会保険の手続きを会社でするのはDV夫だろう?」
「そ、そんなの手続きしてもらえないかもしれないじゃん!」
「だな。だからそこんとこはR3年から変わったんだ」
「へぇ~」
「被害者から、『被保険者と生計維持関係にないことを申し立てた申出書』を提出すればいいんだ」
「それだけ?」
「その添付書類としては、児童相談所や婦人相談所等の公的機関から発行された『被保険者からの暴力等を理由として保護した者の証明書』または、女性シェルターなど民間支援団体から発行された確認書などがある」
「よ、良かったぁ……これでDV被害者も安心なんだね……?」
「そうだな。これで、『女』と『子ども』は安心だな」
「なんかトゲのある言い方だなぁ……あれ? って、男の場合はどうするの?」
「それな。男にゃ、助けてくれるとこなんかねーぞ?」
「まじ?」
「マジだ。最近じゃヒステリック女からDVを受けるケースも良く耳にするんだがな……今のところ、そういう場合、男は我慢するか死ねってことになってる」
「ひ、酷くない……?」
「さぁな。国も弱者男性には死んでほしいからそういう仕組みになってんじゃねーの? 男の自殺率はもうずっと前から女の2倍だ」
「うわぁ……」
「さらに令和6年4月から施行された『困難な問題を抱える女性支援法』ってのがあってな。夜遊びしてるようなクソ女でも、超ヤベーって言いさえすれば、10万円超えのスマホを片手に際限なく手厚い支援が受けられる素晴らしい法律なんだ」
「で、でた……それ絶対に男は知らんから死ねってルールじゃん」
「死にゆく俺にゃあ関係ねーから別に批判するつもりはねぇんだが、男女平等で美しい国だなぁとは思うぜ」
「明らかな皮肉ワロタ」
加奈子は呆れ半分でツッコミを入れていた。
「あれ? だいぶ話が脱線しちゃったけどさ」
加奈子は思い出したように言う。
「アタシが保険証を使えば両親に生活圏がバレるのを知ってたのに、パパはどうしてアタシの保険証の扶養を外さなかったの……?」
「ん? まぁ……家族の絆までブチ壊す必要はねぇかなと思っただけだ」
「え~? なにそれ。悪魔のパパらしくないじゃん」
「ま、気まぐれだな」
「ふぅん……ウソなんかついたってアタシにはバレるって知ってるくせに……そっかぁ。そんなに前からアタシのことをちゃんと考えててくれたんだな……?」
「あ? ……まぁいい好きに言ってろ。俺はもう自分の部屋に帰るぞ」
「待って待ってよう! 今日はいっぱいお世話になっちゃったしさ。ご飯食べてってよう。煮物とぉ、ケーキもね!」
加奈子は嬉しそうに備前の腕を掴んで引き止めていた。
結局、その日の食事を加奈子の部屋で済ませた備前が食後のひと休みをしていると洗い物をしながら加奈子が雑談を投げ掛けた。
「そういえばパパ、さっき両親と話してたときに言ってたけど、パパがFラン大学卒ってマジ?」
「マジだぞ」
「な、なんで!? そんな天才なのに……?」
「だからこそだろ」
「ア、アタシには意味のわからない世界なんだけど……?」
「俺ぁそもそも学歴フィルターのねぇ公務員志望だったからな。普通の人間は学歴で飾りたがるんだろうが、俺の場合はそれすら必要ないくらい群を抜いて優れてる自覚があったもんだから、それを証明するためにあえてFランに入ったんだよ」
「頭イカれすぎワロタ」
「当時の俺はそのほうが少しは面白くなると思ったんだよなぁ……俺も若かった」
「自分の人生で遊ぶのワロタ」
「いや、でも実際は学校よりもいい勉強になったのかもしれんな。底辺の実態が良く観察できたし、夜の世界にも入った。こう見えて若い頃は一時期ホストもやったんだぞ?」
「人生経験積み過ぎワロタ」
「実際、大学のほうはヒマなんでな。ヒッチハイクで日本中を旅したり、あまり大きな声じゃ言えねーが犯罪も躊躇なくやった」
「なんかパパがスリルジャンキーに見えてきた」
「……だがそんな人生を左右するような選択も、結局俺にゃあリスクにも成り得ない。確実な予測と能力の下支えによって、それらは平然と、淡々と歩ける退屈な道のりになっちまう……こんな俺にどうやって人生を楽しめって言うんだろうな」
「逆に、それで人生退屈とか言ってるのヤバない?」
「若ぇ頃は良かったよ……これでもそうやって無茶をしてりゃあ多少は楽しめたんだからな……だが、大抵のことには慣れちまったから今はつまんねーがな」
「うー。パパを立ち直らせるハードルが上がるぅ」
「ははは、ムダムダ。小娘にゃ俺は救えねーよ」
「む~……」
加奈子は腕を組んでうめき声を上げたあと、軽く掛けて備前に近寄り、
「てりゃあ!」
と備前の足を蹴った。
「痛てぇな。テメェ小娘、いきなり何しやがる」
「むかつく! むかつくから蹴る! アタシ、パパに死んでほしくないもん! だから次から死にたいとか言ったら蹴る! そう決めた」
「は? 何言ってんだお前。ムチャクチャなこと言ってっとブッ飛ばすぞ」
「ムチャクチャじゃないね! パパだってアタシにゲンコツするもん! お返しに蹴られたって文句言うな!」
「はぁ? なんだそりゃ? 全然スジが通ってねぇぞ」
「それでいいもん! どうせ言い合ったって言い包められるだけだしね。だから次からは蹴るからな! 嫌なら死ぬとか言うな!」
備前は大きくため息をついた。
「はぁ……ダメだこりゃあ。ゴミを相手にしてると良くあるんだよなぁ……こういう低次元のまったく会話が通じないやつ」
「いいも~ん! どうせアタシバカだも~ん!」
「あークソ。やめだやめだ面倒くせぇ……こんな面倒なガキだとわかってりゃあ最初から放っておきゃ良かったぜ。家族ごと崩壊しやがれ」
そう言って備前は立ち上がり、加奈子の部屋から出て行こうとする。
「それもヤダぁ!」
その立ち去る備前の背中を追いかけて加奈子は背後から飛びついた。驚いて足を止める備前。
「離せ小娘。どういうつもりだ」
「良くわかんない。むかつくけど、仲良くしたい」
「ははは。俺にでも惚れたか?」
「……そんな笑って言うようなことかよぅ」
「経験上、女に言い寄られて面倒なときは茶化して誤魔化したほうが女にも逃げ道が作られるからな。俺も逃げやすいんだ」
「……めっちゃ冷静に逃げ道塞ぎにきててワロタ」
「お前、少し両親登場で動揺してんだろ。気の迷いだ。小娘の両親はそんなつもりで俺に任せた訳じゃねーだろ」
「わかってるよ、そんなの……」
「俺は悪魔なんだろ? 本当にお前を売り飛ばしたり、コキ使ったりするために両親に居場所をチクったのかもしれんぞ?」
「そんなふうに悪びれたってアタシには今さらじゃん。本当はアタシたち親子の関係を壊さないように一芝居打ってくれたんでしょ?」
「チッ……生意気な」
「たしかにパパは少しオッサンだけどさ……いっつもいっつも悪びれてる裏で本当は優しいみたいになったら……さすがに……ちょっと揺らいじゃうかもしんないじゃん」
「言っとくが、俺はそんなこと求めちゃいねーし、逆に面倒なのはわかれよ?」
「わかってるよぅ。こんな小娘じゃ相手にされないことくらい……」
「じゃあ離れろクソガキが」
備前は身体を揺すってホールドから抜け出し、加奈子のほうへ振り返った。
「お前、バカのくせに本当に勘がいいな。人がせっかく気を遣わねぇよう悪役になってやろうとしてんのに」
その表情は呆れたように少し笑っていた。
「この加奈子ちゃんには逆効果だったな!」
「偉そうなこと言ってんじゃねー!」
「いったぁい!」
そのゲンコツは二人の間にあった微妙にシリアスな雰囲気を完全に打ち砕いた。
「しかしまぁ、これで良くわかった。小娘のバカさ加減は軽く俺の予想を超えているようだな」
「どうだ見たか! パパの退屈な人生を打ち崩せるのはアタシの意外性なのかもしれないぜっ!」
「だが残念だなぁ……俺はバカ女が一番嫌いなタイプなんだ」
「クソがっ!」
備前のふくらはぎに炸裂する加奈子のローキック。
「痛ぇ……てめぇ」
備前の睨みに構える加奈子。
「なんだよぅ……アタシだってムカついたら蹴るかんな!」
「くそ……こんな暴力が飛び交うとは、本当に底辺だな」
「パパが最初にゲンコツするのが悪い!」
「俺のは教育的ゲンコツだからいいんだよ!」
「む~!」
加奈子は膨れながら備前を睨んだが、備前はそれを見て笑った。
「わかったわかった……これからは少し扱いに気をつけてやる。蹴られても堪らんし、惚れられても迷惑だからな」
「む~……」
「だから小娘も、俺に気に入られたきゃあ、いつまでもガキみてぇにしてねぇで少しは大人の女になれや」
「……わかったぁ」
「ははは、それでいい」
備前は加奈子の頭に手を置いた。
「子ども扱いすんなっ!」
それを加奈子は振り払う。
「だが実際、小娘は俺の子どもより歳下だからなぁ」
「む~!」
「まぁ、せいぜいまったく脈のねぇ男の反応でも勉強しておけクソガキ」
「む~!」
加奈子はポカポカと殴りたいのを堪えるように震える拳を握っていた。
■■本編とは関係のない部分(始め)■■
「そういえば、小娘にさっき言い忘れちまったが、生活保護者が病院にかかるときに市役所でもらう『診療依頼書』なんだがな。マイナンバーカードの普及によって、対応が少し変わる」
「ど、どったのパパ? おまけコーナーみたいに」
「R6年末頃から、マイナンバーカードを使った資格のオンライン確認が可能となり、生活保護者に限らず保険証などが不要になるぞ」
「どういうことだかわかりやすく説明して!」
「マイナンバーカードを持っていれば生活保護者でもいちいち通院前に福祉事務所に病院行くって言わなくても良くなる」
「へぇ~! それは嬉しいね!」
「だけど、おそらくシステム対応が遅れてる自治体もあるだろうから、詳しくはお住まいの自治体に聞いてみるのが一番だぞ」
「パパ、また妖精さんにお話してる……アタシたち永遠の45歳と19歳だから年号とか本当は関係ないのに……」
「ほれ。そんな余計なことはいいから、さっさと準備してメシ食いに行くぞ」
「え? ご飯連れてってくれるの? どこどこ?」
「女を連れて行くと半額になる焼き肉屋だ。今、絶賛大炎上中のな」
「燃やすな燃やすな」
「俺は面白ければなんでもいいや。エンターテイメントだな」
「炎上の○角、氷山の一角、涙目チー牛、荒ぶる頭角……イェァ!」
「もちろん男女平等だから自分のぶんは自分で払えよ? 男性に払わせようとする行為はDVだって政府のホームページに何年も前から明記されてるからな」
「えー! つれてかれんのに金払うのかよー! どっかの知事のパワハラかよー!」
■■本編とは関係のない部分(終わり)■■







