知的ゲーマー(6)
・ヘルプマークは売れる。
後日、雲梯は備前や加奈子に伴われI市福祉事務所の窓口で生活保護申請をするに至った。
このあと、全ての手続きが終わればGHからの迎えに引き渡して備前の仕事は終了となる。
「いやぁ。GH入所当日の生活保護申請、さすがですね」
安岡が笑顔で皮肉を言った。
「そうだろう、そうだろう」
備前がまったく意に介した様子がないので安岡は肩を落とす。
「さて。これで生活保護申請は済みましたけど、どうします? このまま障害福祉の担当にも繋ぎましょうか?」
「そうしようかな。安岡君、頼むよ」
「わかりました。では障害係の職員を呼んできますので、このまま少しお待ちください」
安岡はそう言って備前たちの前から離れていった。そのやり取りを見て加奈子が不思議そうに備前に尋ねる。
「パパ? 生活保護の申請は終わったけど、ほかにも手続きがあるの?」
「ん? ……あぁ。小娘には初めてのパターンだったか」
「なになに? ほかになんの手続きがあるの?」
「障害福祉サービスを受けるための手続きだ」
「障害福祉サービス?」
「前に説明した就労支援のA型B型なんかもその一部だ。その自治体によって提供されているサービスが異なるので一概にどんなサービスがあるのかまでは言えねぇが、例えば千葉県I市なら障害者はGHの家賃に1万円の補助金が出る」
「え! いいなぁ~!」
「ほかにも精神障害や身体障害、指定難病患者なんかも対象にして、医療費が優遇されたり、所得によってはタダになったりもする自治体が多いな」
「へぇ~。知らなかったなぁ」
「介護サービスに似たような支援もあるぞ? 通院同行や買物補助、訪問家事援助に、子どもの通学補助だとか……まぁとにかくたくさん種類があるから、そいつに適したサービスにはどんなものがあるのか担当者に聞いてみるのが一番だ」
「わかったぁ!」
加奈子は元気に答えた。
「でもさぁ? 生活保護者プラス障害者の人って、ホントに支援が手厚いよねぇ。千葉県の1人世帯の家賃上限って、1級地だと4万6000円でしょ? てことは、さっきの家賃補助を加えて月5万6000円までのところに住めるって、結構いい身分じゃね?」
「いや、そこは少しややこしいんだが、家賃補助分は上限に上乗せできるわけじゃねーんだ。あくまで上限は4万6000円で、補助分1万円は住宅扶助から差し引かれる」
「その場合、生活保護費からは3万6000円しか住宅扶助が出ないってこと?」
「そうなるな」
「なら結局は同じことじゃん。面倒だし、補助金の申請をしないで全額を生活保護費で貰ったほうがラクじゃね?」
「それが、そうもいかん」
「どして?」
「生活保護には他法他施策優先という大前提があるからだ」
「たほーたせさく優先……そういえば本で読んだなぁ。たしか、他の制度で賄えるものがあるなら、そっちを優先して使って、生活保護は一番最後に使うべきってルールだっけ」
「そうだ。働けるなら稼いで、未請求の年金や債権があるなら請求して、売れるものは売って、障害サービスでも介護サービスでもほかに受けられる制度は全部受けて、それでも足りないぶんだけを補うってのが本来の生活保護だからな」
「うげ~。やだ~。働いたら負け~……って、いったぁい!」
「お前は頑張ろうとしている奴の隣でヤル気を削ぐようなことを言うんじゃねぇ!」
「え!? ってことは、チー牛クン働く気なの?」
加奈子は珍しいものを見るような目で雲梯を見た。
「まぁ、色々と大変な思いをして心が疲れちまってるようだし、いきなりフルじゃなくて就労支援A型から復帰を目指すんだ」
「ふえ~。真面目だなぁ。働いてもそのぶん生活保護費から引かれちゃうのに」
「ま、全額が引かれるわけじゃねーからな。給与なら基礎控除ぶんは手元に残るんだよ。稼いだ収入に応じて、最低でも月1万5000円、最高だと3万6400円が基礎控除になる」
「逆に言えば、それだけのために必死に働くのかぁ……」
「雲梯はな、俺への報酬を支払うために少しでも多く稼がなきゃならないんだよ」
「パパが諸悪の根源でワロタ」
「だが、A型就労はそのまま正式採用になることもあると言ったろう? 生活保護から抜けられるなら解放してやってもいい……そういう約束だもんな、雲梯」
「はい……俺、頑張りますから。すぐに生活保護から抜けられるように」
加奈子は目を丸くして驚いた。
「チー牛クン……マジで生活保護から自力脱出するつもりなんだ……」
「だな。なかには本当にヤル気のある受給者もいるんだ。真面目だぜ、雲梯は」
備前はそう言って雲梯の背中を叩く。
「パパが褒めるとか、珍しい……」
雲梯は少しばかり顔を綻ばせた。
「今までは少し周りの環境に恵まれなかっただけだ。自棄になって周囲とトラブルを起こしやすい自分の癖を自覚すれば、うまく自制してやっていけるハズさ。な?」
「はい! 俺、頑張ります」
雲梯は力強く頷く。そしてそんな話をしているうちに障害福祉サービスの担当者が安岡に代わって窓口に現れ、手続きは全て終わった。
未来に希望を感じられるような明るい雰囲気のまま、三人は市役所をあとにした。
その後、市役所まで迎えに来た紅泉に連れられて、雲梯は笑顔で、備前と加奈子に手を振って去って行った。
「まるでドナドナみてぇだな。チー牛だけに」
「……チー牛クン、強く生きろよ?」
雲梯を乗せた車が見えなくなったあと、備前は鼻で笑っていたが加奈子は遠い目で優しげに遠くを見ていた。
「チー牛クンならすぐに生活保護から脱出してパパの呪縛を解けるさ!」
「ま、それでもゴミ屋敷の撤去料はブン取るけどな」
「うわっ! あの法外な撤去料、ガチで取るんだ!?」
「あとで亜人か隆史にでもやらせておくか……」
「しかも自分でやらねんか~い!」
加奈子は呆れつつも陽気に備前にツッコミを入れた。
「しかも壁紙とかも結構汚れている感じだったからな……ありゃあ経年劣化じゃねーだろうし、退去費用もヤベーかもな」
「……希望に満ちた出発のわりに前途多難でワロタ」
「ま、結局はバカを見るのはバカだけだってことだ。俺もあとのことは知らん」
「エゲつねぇ……パパ、知的障害者相手にマジでエゲつねぇ……頑張ってる奴は嫌いじゃねぇ。とか言ってたのはいったいなんだったん!?」
「ただのアメとムチだ。最初にガツンと言っておいたぶん、気まぐれで懐かせておいただけだ……ほら、最後はいい顔して去って行っただろ?」
「チー牛クン、信じる相手を間違っちゃっててワロタ」
加奈子はケラケラと笑っていた。
「今回の件でわかったけど、生活保護って本当にほかの制度とも密接に関わっているんだね! 障害福祉サービスにも色々あるんだってわかったし~」
「ほかにも医療や介護、生活習慣病だったり、生活保護になる奴らはそれだけ複数の問題を抱えていることが多いってことだ」
「そうだねぇ」
「小娘の言うプロの生活保護師とやらが生活保護制度だけを知っててもダメなのは良くわかったな?」
「うんっ! ほかにもGHの紅泉さんとか、色々な施設やサービスの人と人脈を広げておかないとダメだなってのがわかった~」
「これでますます小娘の養分の幅が広がるな」
「大変だけど、頑張って覚えていかなきゃだな~」
加奈子はグッと拳を握って自分に言い聞かせていた。
「ところで小娘。さっきから気になっていたんだが、小娘がカバンにつけてるのはヘルプマークだよな? なんで小娘がそんなものをつける必要があるんだ?」
備前が指差す加奈子のバッグにつけられているのは赤いシリコン製のキーホルダーのようなマークだった。十字とハートマークが描かれただけのシンプルなマークだ。
「かぁいいから!」
「可愛いってお前……」
「チー牛クンがつけてたからさ。パパがおトイレ行ってる間に、それかぁいいね~って言ったら市役所で無料で配ってるって言うじゃん? もっちソッコーで貰ったよね」
「それ、意味わかってつけてんのか?」
「私、助けが必要な人なんで~す! って、周りにアピールするためなんでしょ?」
「……なんで小娘に助けが必要なんだよ?」
「アタシ一応うつってことになってるから。あと、このマークかぁいいから!」
備前はため息をつく。
「ったく、無料だからって用もなく貰っても仕方ねーだろうに……」
「そんなことないよ~? だってこのヘルプマーク、調べたらネットで1000円くらいで売れるんだよ? オシャレだし」
「んなアホな……」
「タダで貰えて1000円で売れるとか、錬金術じゃね?」
備前は頭を抱えた。
「一応それも立派な障害サービスの一種なんだぞ……? 困った人を助ける趣旨をオシャレ感覚で転売とか……いや、元手がタダで転売ですらねーとか、どうなってんだ最近の若ぇもんは……」
「あっはは~! それ、パパが言えるセリフじゃねー!」
「……ま、それもそうだな。俺にゃあ、たかだか1000円で面倒だが、そういう意味じゃ知らなかった俺は少し損をしていたとも言えるわけか……勉強になったよ小娘」
「案外アタシたちっていいコンビかもね! パパが疎そうな流行りとかはアタシが教えてあげるし!」
「ったく、世の中しょーもねーことばっかだな」
二人は肩を並べて歩きながら、またいつもの日常へと戻っていった。







