要否判定(1)
「ねぇパパ。アタシもそろそろ生活保護について詳しく知りたいんだけど」
「ならこれだな。生活保護手帳」
「うお! ぶ厚い……これもう辞書じゃん」
「まぁな……CW必携の書でな。保護になるかどうかの判断基準や保護費の算出方法など、基本的な項目が書かれている」
「すげ……これ覚えたら、いよいよアタシもプロの生活保護師ってことか……」
「んなわけあるか。生活保護手帳なんざ、あくまで基本ルールなんだよ。細かい部分を補足した本も多くあるし、現場の運用ってのもある。さらに言えば生活保護法だけを覚えてもダメだ。その他の関連法も知っておかねぇと使いものにならん」
「うへぇ」
「だがまぁ、焦らずひとつひとつ順に覚えていけ」
「うん」
「で、小娘はまず何が知りたいんだ?」
「まずはパパみたいに、どういう人が保護になって、どういう人がダメなのか正確に判断できるようになりたい! ……前の母子家庭のときは絶対に生活保護が通ると思って一人で挑んだけど、痛い目見ちゃったからね」
「ふむ……なら要否判定から教えてやるか」
「要否判定?」
「生活保護が必要か否かの数字上の判定が『要否判定』。実際に支給される保護費の計算は『程度の決定』と言う」
「同じ計算じゃないの?」
「似たような計算だが少し違うんだよ。だがまずは生活保護申請をすると誰もが必ず最初に通ることになる要否判定を説明する」
「うん! パパ駄大学の講義開始だね!」
「なんだそりゃ?」
「アタシ大学進学してないからさ。そのぶんパパのところでしっかり勉強しようと思って」
「フン……じゃあせいぜい学校じゃ言えねぇようなことを教えてやるよ」
「なんだかエッチに聞こえるね……って、いったぁい!」
「以後はいちいち反応しねぇでゲンコツを落としていくから、覚悟をしておくんだな」
「先にパパの拳のほうが壊れそうでワロタ」
備前は呆れたように言葉を失ったがすぐに頭を左右に振った。
「いいか。要否判定ってのは簡単に言えば、法律で決められた最低生活費と対象者が元々持っている収入を一ヶ月単位で比較して、どっちが多いかを判定するものだ」
「その結果、収入が最低生活費を下回れば保護、上回れば却下?」
「そうだ」
「じゃあその最低生活費っていくらなの?」
「ケースによって違う。年齢、人数、住んでる地域、家賃などで変わってくる。要否判定は基本的に世帯ごとに行われるので、申請時は世帯員のことを良く把握しておくことが望ましい」
「この前の母子家庭のときも親の収入で一度却下されたからね」
「そうだ。生活保護の同一世帯の認定は、税法や保険証の扱いとはまた少し違ってな。例外を除いてひとつ屋根の下だと大体は同一視だ。二世帯住宅なんかでも、玄関が一緒だったり共有のスペースがあれば同一世帯とみなす福祉事務所がほとんどだろう」
「そういえば、母子家庭のときも住民票上の世帯分離がどうとか……」
「世帯収入を見て決まる保険料の階層が高くなるなどの理由で住民登録上の世帯分離ってのを行う家庭は良くあるがな。それだけの世帯が生活保護も同じように考えて良く躓く」
「税金、保険……さっそく生活保護の範囲じゃないっぽいのが出てきたぞ?」
「ちなみに、所得税や住民税の計算上では非課税所得になっている遺族年金や障害年金、失業保険給付、養育費や仕送りなども最低生活費と比較する収入として認定される点も注意だ」
「うへぇ……いきなりパンクしそう」
「すまんな。生活保護はあまりに広範囲に気を配るもんで話がアチコチに飛びがちになる。今は最低生活費がいくらになるか、だったな」
「そうそう! ケースごとに違うって聞いた」
「もちろん計算にはルールがあってな。それにはまず生活保護費を項目ごとに分割して考える必要がある」
「それは勉強した! 八つの扶助! ①生活扶助、②住宅扶助、③教育扶助、④医療扶助、⑤介護扶助、⑥出産扶助、⑦生業扶助、⑧葬祭扶助だ!」
「ほう。なら、ひとつひとつ説明してみろ」
「①生活扶助はぁ、食べ物や光熱費とか基本的な生活費! ②住宅扶助はぁ、家賃とか!」
「お、いいぞ」
「③教育扶助はぁ、学校に通う子どもの教材費とか! ④医療扶助はぁ、病院! ⑤介護扶助はぁ、介護サービス!」
「感心だな」
「⑥出産扶助はぁ、ザコが盛んなよって思うけど仕方ないしぃ……。⑦生業扶助はぁ、就労関連とか義務教育じゃない高校の費用もたしか生業扶助だよね! ⑧葬祭扶助はぁ、正直ザコの死体なんかゴミ捨て場に捨てとけば必要ないと思う」
「……変な私見が混じっているが、良く勉強したな」
「えへん!」
「では、そのうち最低生活費の算定に使われる扶助はなんだかわかるか?」
「生業と葬祭以外かなぁ……とはいえ、出産もレアケースだろうなぁ」
「そうだ。なので基本的には生、住、教、医、介の合計額が最低生活費になる……正確には税金とか乗っかってくるものもあるが、まぁ今は気にしないことにしとけ」
「実例がないとわかりづらいからさ~。なんか具体的に計算してみてよ~」
「では俺と同じ45歳、一人世帯、千葉県在住、借家暮らしの健康体だとする」
「うんうん」
「千葉県の一人世帯の生活扶助は最高級地が1級地2なので7万4千円弱、最低級地が3級地2で6万7千円程度だ。ここでは間をとって2級地2の約7万円で計算する」
「ほうほう」
「家賃扶助の上限は千葉県の一人世帯の場合、1級地で4万6千円、2級地は4万1千円、3級地は3万7200円だ……ここでは2級地で4万円の借家に住んでると仮定しよう」
「前に聞いた住宅扶助の上限は1級地が1万3千円、ほかが8千円じゃなかった?」
「法律が古いゆえの実質もう使われてない原則だ。調べちゃいねーが、まず全ての自治体で独自の上限を定めてると思うぜ。ちなみに世帯員が増えれば家賃上限も変わるし、生活扶助だって大きく違わないものの実は毎年少しずつ変わってんだ。ちなみに今言った実際の金額は令和6年度現在の数字だからな。お住まいの自治体での金額は各自で簡単に調べられる」
「パパ、もしかして妖精さんにお話してる……?」
「人を糖質患者みてぇに言うんじゃねぇ」
「あはは、ごめんごめん」
「で、だ。そうなると前例の2級地2の場合、生活扶助7万円、住宅扶助は上限に達していないので4万円。その合計が11万円なんだが、例では一人世帯、つまり子どもはいねぇから教育扶助は0円、健康体としたから医療扶助と介護扶助も0円となるな」
「つまり、その人の月収入が11万円を超えてれば却下で、11万円以下なら生活保護だね?」
「ああ。だが、下回っていても車の制限や心理的ハードルから申請しない奴も多いな」
「ビミョーなラインの人も多そうだね」
「特に氷河期世代は境界線の人間も多そうだな」
「ギリギリ超えちゃってるけど、生活保護を受けたいって人はどうしよ……?」
「まず最低生活費の増減でなんとかならないか試してみろ。例えば11月~3月の冬場は冬季加算といって暖房費に相当する金額が数千円はプラスされるので、若干だが収入が下回りやすくなるはずだ。あとはその月が納期限の国民健康保険税などもあるなら出せ、少しは足しになる。あとはそうだな……同じ収入でも級地が違えば基準も変わるからな、ただ隣の自治体に引越しをするだけで受けられる可能性もある」
「すごっ!」
「障害があれば障害者加算のぶん最低生活費は上がるな」
「つまり生活保護申請を通りやすくするためには、最低生活費のラインを上げるか、収入を下げればイイってことになるの?」
「そういうことだ!」
備前は加奈子の頭をグシャグシャと撫でた。
「うわぁい! パパに褒められた! でも頭グシャグシャはや~め~ろ~」
「ははは。だがな、一度基本的な考え方を覚えちまえば簡単だろ? 細かい数字なんかは覚えなくてもその都度調べてやればいいんだからな」
「うん! さすがに細かいところまで完璧になんて無理だよね。だって、こんなぶ厚い生活保護手帳を丸暗記なんかできないよ」
「そう。大事なのそれを道具として使えるかどうかってことだ。大筋だけ覚えておけば、細かいポイントはいずれ実例が出てきたときに教えてやるからな」
「うん!」
「良し。じゃあ次は求めた最低生活費と比較する収入の算定についてだが、一度休憩を挟むから、その間にしっかりと今のところを覚えておけよ」
「はぁい!」
加奈子は元気良く答えた。







