微妙に金のない老人は措置でさよなら
ある日の朝、加奈子が備前宅のインターホンを押した。
「パパいる?」
「いないぞ」
「しヽゑぢぁωっ!」
「チッ!」
備前は仕方なくドアを開ける。
「なんだよ朝っぱらから。朝メシの時間はもう終わったぞ」
備前は嫌げな顔を隠さない。
「違うよ。前に借りてた本、読み終わったから続きを借りようと思って」
加奈子がそう言うと、たちまち備前は表情を軟化しドアを大きく開いた。
「なんだ、それなら上がれ。わからないところはなかったか?」
「急に態度変わってワロタ」
加奈子はするりと備前宅に上がり込む。
「ずいぶんと読み終えるの早かったな」
「うんっ! 楽しかった!」
「楽し……? 本当に大丈夫か? いくつか聞いてもいいか?」
備前は顔をしかめた。
「今の生活保護制度ができる前はどんな制度だった?」
「恤救制度のこと? それとも旧生活保護法のこと?」
備前は驚いた顔をする。
「マジか……じゃあ、特別養護老人ホームは要介護度いくつ以上で……」
「3でしょ?」
「……簡単すぎたのか?」
「あ、そう言えば特養ってさ。他の本だと介護老人福祉施設とか、別の名前で書かれてない? なんでややこしくしてんの?」
「特養は老人福祉法、介護老人福祉施設は介護保険法で定められた呼び方だ」
「同じ施設でも法律によって違う呼び方してるってこと? バカじゃね?」
「そう言ってやるな……しかし驚いたな。小娘のようなバカがなんでこんな短期間に覚えきってんだ?」
「だからそのバカをやめるために頑張ったんだ~!」
加奈子は備前をポカポカと叩く。
「いやしかし、普通は年単位で学習する量だと思うんだが、よくもまぁ2週間もせずに覚えたもんだ。正直、疑って質問させてもらったが、その様子じゃ何を聞いても大丈夫そうだな」
「アタシ、興味があることなら、昔からすっごく物覚えがいいんだ!」
「ま、俺なら1週間で足りるがな」
「謎のマウント、ワロタ」
それでも加奈子は頭に手を置かれて嬉しそうに顔を綻ばせた。
「正式な過程じゃないけど、これでアタシも社会福祉主事相当の知識は身についたってことだよね?」
「そうだな。ま、CWでもなきゃクソほどにも役に立たねぇ資格だから、小娘が敢えて本当に資格を取る必要はねぇよ」
「え……そなの?」
「当たり前だ。覚えるだけなら、集中すりゃあほんの数日で足りる資格になんの意味があるってんだ」
「そうだけどぉ……」
「まぁいい。これで最低限の下地はできたと見て色々と教えてやれるだろう……実践も含めてな」
「ホント!?」
「あぁ。だが生活保護ってのは意外と奥が深くてな。実は生活保護法だけを覚えていればいいってもんじゃねーんだ。関連法も含めるとまだまだ覚えることはたくさんあるから、気合い入れろよ?」
「うんっ! アタシ今、なんでも覚えたくて仕方がないんだっ!」
「さぁて、何から手をつけたもんか……障害か介護あたりが無難だな……」
「どぉんとこい!」
「ルールよりも実践って感じるCWも多いからな。できればOJTも織り交ぜて教えてやりてぇんだが……」
頭を悩ます備前を加奈子は嬉しそうに見た。
「パパ、アタシに教えてくれるとき、すごく優しそうな顔するね?」
「あ?」
とたんに備前の顔は般若のように歪む。
「そんな悪魔みたいにすごんだって、もう恐くないも~ん!」
備前は拳を握ってゲンコツを落とそうとするが踏み留まって小刻みに震えた。
「チッ……ナマイキな。ちょっと弱ぇところ見たからって調子に乗りやがって……」
行き場を失った拳を力なく下ろす。
「たぶん自分の子どもとかにもすごく優しいパパだったんだろうな~って、アタシもうわかってるんだからね~?」
「チッ……好きに言ってろ。調子の狂う小娘だよお前は」
「あいあい~」
加奈子はわざとらしく口を開いた笑みを備前に向けていた。
「ところでさ~? なんか今、ボロアパートの前に公用っぽい車が来てるけど、CWさんの訪問にしてはウチに来ないねぇ」
加奈子は窓の外に見えるボロアパート前に駐車された軽自動車を見て言った。
「あれは俺が呼んだ。地域包括支援センターの人間だ」
「地域包括支援センター……福祉事務所とも社会福祉協議会とも違う、生活困難な高齢者の相談全般を受けてる機関、で合ってる?」
「そうだ。勉強してんじゃねーか」
備前は嬉しそうに加奈子の頭をグシャグシャと撫でた。
「日常生活の心配ごと、金銭問題、虐待など、高齢者の相談窓口の入口なんだよね。相談者自ら相談する場合のほか、近隣住民からあの人ヤバくね? って相談があっても対応してくれる地域に根ざした機関!」
「小娘の説明口調とは……目の錯覚と幻聴を疑うレベルだな……」
「酷過ぎワロタ」
「まぁでも合ってるよ。ついでに言うと、ほとんどの自治体で相談は無料。福祉事務所や社会福祉協議会とも密接に連携もできる、地域になくてはならん機関だな」
「ただ、参考書の文字で読んだだけだと具体的に何をしてるかイメージしにくいんだよ~」
「簡単だ。例えば買い物や家事ができない独居老人から相談があれば、介護認定などの手続きを代行し、ホームヘルパー等の支援を受けられるようにしてやったりする」
「ほうほう」
「ほかにも有料老人ホームや養護老人ホーム入所に繋いでくれたりもするし、場合によっては生活保護の相談にも繋げたりするな」
「なんでも屋さんみたいだね」
「その代わり介護認定調査の結果、ある程度以上の重い結果が出れば地域包括支援センターは担当を外れ、新たにケアマネと呼ばれる担当に引き継がれる」
「本当に相談の入口って感じなんだね」
「そうだな。要介護度ってのは軽い順に要支援1、要支援2、要介護1~5と七段階あるんだが、地域包括はそのうち……」
「知ってる。地域包括は要支援2までの人が担当範囲なんだよね」
「お、おう……やるじゃないか」
備前は少し驚いた顔をした。
「じゃあ今、ボロアパートに地域包括の人が来てるってことは、入居者さんに相談が必要な人がいるって訳だね?」
「そうだ」
「パパが呼んだってことは、お年寄りを助けてあげようってこと? あ! アタシわかった! 介護認定調査とかの手続きを代行してもらえるように声をかけてあげたんだ! パパにしては優しいじゃん!」
加奈子は喜々として言うが、備前は反対に顔をしかめた。
「アホか。俺はクソジジィを追い出すために呼んだんだよ」
「うえっ!? な、なんでそんな酷いことを……?」
「酷いのは家賃を払わねぇクソジジィのほうだ……佳代への家賃滞納は100万円を超えるんだぞ」
「うげぇ……完全に開き直った滞納額じゃん」
「しかも、あの佳代に満足な取り立てができると思うか……?」
「あ~……佳代さん、優しそうだからなぁ」
加奈子は苦笑いした。
「そのくせギリギリ生活保護にならない程度の年金収入があるから手に負えねぇ……つまり払えるのに払わねぇんだ。そんな金にならんクソジジィに部屋を使わせておくくらいなら、締め出して新しく生活保護者でも入れたほうがマシなんだよ」
「そっか……そんなに家賃払わなかったんだから自業自得だね」
そこで加奈子はしみじみと言った。
「もちろん有料老人ホームなんて贅沢なところに入れてやる気はねーよ? 養護老人ホームって施設に『措置』って方法で金をかけずに突っ込んでやるつもりだ」
「そ、措置……? たしか生活苦や虐待で自治体が緊急的に保護したりする制度なんじゃあ……?」
「そうだが?」
「な、なんでなんなことになってんの……?」
「さぁなぁ……? 最近、近所に怖いお兄さんでも住み始めたからじゃねぇかなぁ……? 俺には良くわからんが」
「げ……それ明らかに亜人に何かやらせてんじゃん……」
「措置ってのは、本人が希望すれば申請できるんだよ。かわいそうに、よっぽど怖い思いをしたんだろうなぁ……」
「ひ、他人事みたいに……」
「本来、措置ってのは申請しても却下される可能性がある。裏事情とすると公費で賄われる施設費が予算を圧迫するため自治体が嫌がるからだ。例えば生活保護なら保護費の四分の三は国から補助金が出るが、措置費の持ち出しぶんは百パーセントその自治体の負担だ……自治体としてはどっちが嫌かな?」
「あ〜……あまり措置したくならないかも」
「まぁ一応はかかった費用を本人や扶養義務者などから徴収できるようにはなってるんだがな……身寄りがなかったり、扶養どころか不要とされた老人もいるんだよなぁ」
「そんな老害を養うために若者に負担を押し付けないでほしいなぁ」
「しかも費用徴収は収入に応じて決まるところがほとんどだが、メチャクチャ安いんだ。収入が少きゃ無料ですら入れる。その分、自治体は負担がデカいよなぁ」
「なるほどぉ。支出だけで言えば生活保護よりも嫌なケースもあるってこと……? でも、それなら余計に却下されちゃうんじゃないの?」
「大丈夫だ……現に家賃滞納があって嫌がらせを受けてるんだからよ。日に日に青アザが増えてくのに役所が見逃せるとでも……?」
「あ、亜人が捕まっちゃうよ!」
「何言ってんだ。捕まったってノーダメージなんだよ、俺ら無敵の人間はな。たしかに逮捕勾留中は保護廃止になるが出たら即申請すればいいだけの話だ」
「……あ、悪魔だった。やっぱりパパは悪魔だったんだ。お年寄りを助けようだなんてちっとも思ってやしない!」
「ははは……さらに生活費がほぼ不要になったところで金銭管理からの滞納家賃回収までがセットで行われるってとこだな」
「さらに追い打ちぃ……」
加奈子はガックリと肩を落とした。
「そういう訳なんでな。ボロアパートにまた空き部屋が増えたんだ、どんどん養分を突っ込んでいこうぜ」
備前は悪意を含んだような笑みを浮かべていた。そんな様子を見て加奈子はふと気づいたように言う。
「あ……アタシ今、パパのこと何かわかったかも」
「あ?」
「パパきっと、ボロアパートに生活保護者ばっかり突っ込んでるの、佳代さんのためなんだ」
「なんだそれ」
「だってパパ、あと5年で死ぬ~なんて言ってるから。そのあとも佳代さんが生活に困らないように、確実に家賃回収できる保護者を集めてるんだよ……だから老い先短いクソジジィを締め出して、まだ長く生きられそうな亜人やキモオジを入れたんだ!」
「……偶然だな」
「嘘つけ。本当は照れ臭いんだな?」
「……どうやらゲンコツがほしいようだな」
「やだよっ! でも、いつものパパなら言う前にゲンコツが飛んできた! だから今のは図星だった……って、いったぁい!」
「余計なことを言ってんじゃねぇ……俺は悪魔でもいいんだよ」
「でもアタシ知ってるもん……パパ、本当は優しい人なんだよ?」
加奈子はゲンコツの落ちた頭を両手で押さえながら、涙目で備前を見ていた。
「ふん……最初から言ってんだろ。動物愛護の精神くらいなら持ってんだよ」
備前は加奈子の視線から逃げるように窓の外に顔を向けた。
「ふぅん……パパ、素直じゃないね? 子どもみたい」
「うるせぇ……とっとと出てけ。ここは俺の家だぞ」
「はぁい」
そう言って踵を返しかけた加奈子は思い出したように言う。
「そうだ。アタシ本の続きを借りに来たの忘れてた!」
「ったく、調子の狂う小娘だよ……」
備前は苦笑しながら腰を上げる。
「ちょっと待ってろ、適当に見繕ってやる」
「ありがとパパ!」
加奈子は明るく返事をしたあと、小さな声で呟く。
「アタシさ。今ちょっと、パパのこと助けてあげたいなって思った」
「あ? なんか言ったか小娘」
「ん~ん? なんでもなぁい」
ゆっくりと自室の書棚に向かう備前の背中を、加奈子は穏やかな表情で見つめていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ここで前章を終えます。
ここからはオムニバス部分で、特に読み飛ばして貰っても構わないような内容でダラダラと書き足していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。







