加奈子(回想1)
昼前の駅の片隅にうずくまる加奈子の前に備前の影が落ちた。
加奈子は気だるげに顔を上げて言った。
「おじさん、私を飼いたい?」
「買う? 売春のことか?」
「違うよ。私を飼育したいかってこと」
加奈子は諦めたようにため息をひとつ吐いた。
「……ま、それも仕方ないかな」
「家出か」
「そーだよ」
「いくつだ」
「18。サバは読んでないよ」
「いつからこうしてるんだ」
「今日から。お金なくなっちゃった」
「家はどこだ」
「神奈川」
「ずいぶん遠くまで来たな」
「帰る気なんかないからね。……帰るお金もないけど」
加奈子は自嘲気味に笑った。
「で? おじさんは私を飼いたいの?」
「買われたいのか?」
「そんなわけないじゃん。お金があったらこんなこと」
「そういうことなら当てがないわけじゃない」
「ウソくさ。そんなこと言って、結局はいかがわしいことなんでしょ?」
「どうかな? 国がやってるんだから少しはマシなんじゃないか?」
「国が? なにそれ?」
「生活保護だよ。憲法第25条くらい知ってるだろ」
「知らなぁい」
「義務教育でやっただろ。全て国民は健康で文化的な最低限度の生活……」
「あ~。アタシ、バカだから」
備前はため息をひとつついた。
「まぁいい。頭数にはなる」
「あ! おじさん何その言い方ひっど!」
「そうか? 見てみぬふりの奴らよりよっぽど親切に思わないのか?」
加奈子は朝から自分の目の前を通り過ぎて行った多くの人間たちのことを思った。
「……助けてくれるの?」
「見返りはもらうがな」
加奈子は胸元を手で覆い隠した。
「やっぱりそういう目的?」
「ガキが。そんなもんは要らん。金だけでいい」
「アタシ、お金ないって言ったじゃん」
「だからそれを国から貰うんだよ。生活保護でな。そしてその一部を俺に流してもらう」
「うわ、おじさん悪人だ」
「何か問題あるのか?」
「ないかも……」
加奈子の不思議そうな顔を見て備前は不敵な笑みを浮かべた。
「いいか小娘。良く覚えておけ。バカを見るのはバカだけだ。ちっぽけなプライドや見栄、正義感のために得られて当然のものを捨てるのがそんなに美徳か?」
「よくわかんないよ」
「お前は今、自分を売り渡そうとしたな。それはそんなに美しい行為か?」
「そうは思ってないけど……もう仕方ないかもって……」
「仕方なくねぇよ。そうならないで済む道なら残っているんだからな。小娘が知らねぇからバカを見ようとしているだけだ」
「……」
「生活保護ってのは悪人が使うものじゃねぇよ。むしろ合法だ。そして俺はそれをお前に受けさせてやる。お前は俺に感謝をし、その気持ちを金で払う。ただのビジネスだろう。どこに悪人の要素がある?」
「アタシは……どうしたらいいの?」
「知るか。乗るか降りるかはお前が決めろ」
「そんなぁ……そんなすぐには決められないよぉ。だってアタシ、なんにも知らないんだもん」
備前は不敵に笑った。全ては計算のうえだ。
掛けてやった梯子に手を伸ばそうとしたところで外してやる。
貧困に陥った人間の転がし方など備前にとっては赤子の手を捻るより簡単なことだった。
「何も知らない、か。まぁ小娘だから仕方ない。だが、そのまま何もせずバカを見るかはお前次第だ。知らないなら、知ればいいだけの話なんだからな」
「……どうやって?」
「俺が教えてやってもいいが……あいにく、俺もそんなに暇じゃないんでな。お前にその気がないならそれまでだ。じゃあな」
備前はそれだけ言って淡々と踵を返した。
「待って! 待ってよ!」
加奈子は備前の背中を呼び止めた。
かかった! 加奈子に見せない備前の表情は悪意に満ちていた。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
振り返る備前の顔には表情がない。
「教えて。アタシは何をしたらいいのか教えてよ!」
「……いい心構えだ。その気があるならついてこい。まずは詳しい話を聞いてからだ」