備前の息子(2)
その日、備前の帰りが遅くなったのは新たな養分の獲得に動いていたためだった。
上手く話がまとまって機嫌良くアパートまで戻って来た備前であったが、門のところで敷地内から出て来た青年と鉢合わせをした。
「優也? 優也か?」
「父さん……」
ふたりの間には微妙な間があった。
まずは久しぶりの再開を喜ぶ態度を見せるための顔。
そして相手が自分のことをどこまで知っているのかを探るような訝しみと疑いの顔。
それを悟られぬためのはにかんだような笑顔。
ふたりの表情は様々に変化した。
「大学の調子はどうだ?」
「ぼちぼち」
「ちゃんとメシは食ってるか?」
「そりゃあ、母さんがいるからね」
「そうか」
二人は淡々と言葉を交わした。
「彼女とかはできたのか?」
「ううん?」
「なんだ……お前も大学生になったんだ、彼女くらい作ればいいだろう? 親バカのつもりはないが、俺から見てもイケメンだぞ、優也は」
「父さんは?」
「ん?」
「父さんは……彼女とかできた?」
「はは、今さらそんなことはないだろう」
「佳代さんとか、いいと思うけどな」
「どうだろうな」
二人の間には微妙な空気があった。
「母さんから聞いたよ。父さん、市役所を辞めたんだって?」
「そうだな……でも安心しろ。ちゃんと優也と美羽の学費は取っておいてあるからな」
「うん……ありがと」
「どうした? 歯切れが悪いな」
「うん……」
「……もっとほかにも美幸から聞いたことがあるんじゃないのか?」
「うん……」
優也は表情に暗い影を落とした。
「父さんが、生活保護になって……悪いことをしてるって……」
「美幸がそう言ったのか?」
「うん……僕にはとても信じられなかった」
「だから確かめに来た……のか?」
「うん……だって、僕は父さんのことをとても尊敬していたんだ。優しくて、なんでも知っていて、真面目で……曲がったことは許さない。……そういう人だと、思ってた」
「そうか」
否定しない備前を見て、優也は悲しそうに視線を落とした。
「そういえば、俺も同じくらいの歳だったよ。自分の親を、同じ一人の人間だったんだと認識したのは」
備前は淡々と続ける。
「それまでは無条件に立派ですごい人物だと思えていた自分の親が妙に人間染みて思えるタイミングが誰にでもある……俺もそうだった。それからは、自分と同じ人間なんだって、並んだ立場で見えるようになった」
「ガッカリした?」
「そういう思いがまったくなかったと言えば嘘になる。が、尊重し、納得した」
「そっか……」
「父さんにも、どうしようもない苦しみがある。でも、できることなら、こんな姿を自分の子どもには知られたくなかったよ」
「僕も、どうしたらいいかわからなくて……来たんだ」
「ごめんな……嫌な思いをさせてしまって」
「……うん」
「全部納得して飲み込んでほしいとは言えない。失望するなとも言えない。だが、優也が美幸から聞いた話は……たぶん本当の話だ」
「母さんは、この話は父さんにするなって言ってた」
「それは公務員として、職務上で知り得た情報を優也に漏らしたことになるからな……だが安心しろ、それで美幸にまで危害を加えることまでは考えてはいないさ」
「大丈夫。母さんも、そこは父さんを信用しているとは言ってた」
「そうか……」
「ねぇ。どうして父さんは母さんと離婚しちゃったの?」
備前は少しの間、返答に困ったようだった。
「隠したいわけじゃない。でも、たぶんまだ優也には難しい」
「そっか……でも、これだけは教えて? 父さんも母さんも、どっちかが悪いわけじゃないんだよね?」
「悪い……か。たしかにどちらかが決定的な要因を作った訳じゃない。だが、それでも強いて言うなら悪いのは俺だろうな」
「母さんも、職場で父さんの話を聞いてきた日、泣いてた」
「そうか……」
「でも大丈夫だよ。母さんはちゃんと僕が支えていくから」
「大人になったな」
「でも、僕が心配なのは父さんだよ」
「……父さんは平気さ」
「本当に? ちゃんと話ができる人、いる?」
「ああ……大丈夫だよ」
「そう……」
優也の影は消えなかった。
「今日は父さんの顔が見れて安心したよ……また来ていい?」
「もちろんだ」
「うん……それじゃあ、また来るね」
「ああ」
二人ははにかんだような微妙な笑顔を向け合った。それから優也は振り切るように踵を返すと、そこから一気に駆けて備前の前から立ち去った。
備前が帰宅したことを察した加奈子が備前の部屋に来た。
「パパ? さっき息子さんが来てたみたいだけど入れ違い?」
「いや、さっきそこでちょうど会った」
「そう? 良かった」
「パパの息子さん、イケメンだねぇ」
「小娘にはやらんぞ」
「娘はやらんみたいでワロタ」
「生活保護者ごときに大事な息子をやれるか」
顔の筋肉を引き攣らせつつ言う備前の顔を覗き込むように加奈子は言う。
「安定の酷さ……と思ったけど、どったのパパ? 今日はちょっとツラそうだよ?」
「……外が暑かったからな」
「あ~……まだまだ暑い日があるよね~」
「そうだな」
二人の会話は微妙に止まった。
「またちょっと買い物にでも行ってくる」
「若い娘でも買いに行くの?」
「まだ真っ昼間だろうがよ」
「あ、夜なら買うんだ」
加奈子は苦笑いした。
「じゃあ何を買いに行くの?」
「酒とつまみだよ」
「酒っ!?」
「なんだ、小娘も飲みてぇのか?」
「アタシまだ二十歳になってないよ」
「はは。そんなところで真面目かよ」
「アタシ、いい子になるもん」
「今は悪い子の自覚があんだな」
「それはそうだけどぉ……」
加奈子はふてくされた顔をするが、一瞬のうちに切り替えて言う。
「そんなことより、パパってお酒飲むの? 今まで一度も見たことないけど」
「普段は飲まねぇから家には置いてねぇんだよ」
「あ、そっか~」
加奈子はどうでも良さげに言った。
「じゃあパパはこれからスーパー?」
「そうだな」
「アタシもついて行っていい?」
「あ? 奢らね~ぞ?」
「そうじゃないよ~。食材を選ぶところからお料理を教えてもらいたいな~って」
「なんだぁ? 小娘、料理にでも目覚める気か?」
「えっ!? あはは~、そうみたい。なんか色々覚えたくなってきたかも……」
「ほう……? 感心だな。じゃあ今日は何を作ってみたいんだ?」
「えっと……パパのおつまみとか」
「なんだ小娘。変に気をきかすじゃねーか」
「あはは……うん。なんかパパの好みでも調べ尽くしてやろっかな~と思ってさ」
「ハハッ。まぁいいんじゃねーの? 将来の彼氏様のためにも無駄にはならんだろうさ」
「そ、そーなんだよ! あはは……」
「……なら、今日はお願いしようとするかな」
珍しくしおらしい備前の様子に加奈子は首を傾げた。
「なんか今日、パパ変くない? 元気ないね?」
「いや、そんなことは……」
「い~や。いつもだったらパパ、底辺は底辺とくっついて失敗しがちだから男には気をつけろよ。とか言いそうな場面だったのに……」
備前は意外そうな顔をした。
「そうかもしれんな」
加奈子は心配そうな表情を振り払うように明るい笑顔を向けた。
「じゃあさ! 今日はアタシがおつまみ作り頑張ったげるから、パパは美味しいお酒を楽しんでね!」
「そのつまみの作り方を教えるのは俺なんだがな」
「う!」
「だが……悪いな小娘、気を遣わせる」
「うん……」
加奈子はさらに備前を心配そうに見た。
いつもお読みいただきありがとうございます。
実際にケースワーカーさんの話を伺うと、生活保護手帳の内容を覚えるのも大事ですが、実践経験を積むほうが大事と考えていらっしゃる方が多いように感じます。
なので本に書いていないような、でも大事で実用的な部分を作品を通じてお届けできればと考えています。
係全体で保護者をバカにするような言葉を外国語でプリントしたTシャツを着たりする「実例」はやりすぎにしても、そんな扱いの実態が一部自治体の特別ではないことくらい想像にかたくないです。
どうせポ○モンとかドラ○エのモンスターに例えて隠語のように呼んでるんでしょ?
全国のCWさん?
「図鑑ナンバー287のナマケ○がさぁ~(笑)」
いや! うちはアンパ○マンのキャラだ! とかいうツッコミは大歓迎ですよ?
「おい~。また窓口で天丼パンが騒いでるよ~(笑)」
まぁ、私は関係ないから別にどっちでもいいんですけどね。







