備前の息子(1)
ある晴れた日のお昼頃、勉強に疲れた加奈子が気分転換の散歩から帰ると、備前の部屋の玄関前に一人の青年が立っていた。
「うわ、イケメンだ……」
加奈子は一瞬足を止めるも、何事もなかったかのように青年に近づいた。
「こんにちは~」
加奈子が一礼をしてその脇を通ろうとすると青年も慌てて一礼をする。
「あっ、こんにちは」
加奈子は笑顔で会釈して通り過ぎるが、自室の鍵を開けたところでふと気づいたように言う。
「もしかしてパ……備前さんのお知り合いの方ですか?」
青年は一瞬驚いた表情をするも、はにかんだ笑みを浮かべて答える。
「あ、はい。お隣さんでしょうか。父がいつもお世話になっております」
「ちえっ!?」
加奈子は奇妙な声を発して鍵を落とした。
「パ……備前さんの、息子さん?」
「はい。息子の備前優也と申します」
優也はニッコリと笑みを向けた。
「コ、コレハコレハご丁寧に……備前さんには、むしろアタシのほうがお世話になっております……あ、アタシは隣の笹石加奈子と申しますです」
加奈子は硬くなって深々と頭を下げた。
「はは、どうか緊張なさらずに」
優也の微笑みを直視できない加奈子は顔を背けたまま聞こえぬよう呟く。
「うそぉ……パパがあと20年若かったら、とか言ってたら、ガチで20年前のパパが現れちゃったんだが……!? しかもあの悪魔からこの天使みたいなイケメンとか、意表を突かれすぎて完全にやられちゃうんだが……!?」
「?」
優也は加奈子の様子に首を傾げる。
「あ、あの。備前さんがお戻りになるまで、良かったらアタシの家で待っていませんか?」
加奈子は少し食い気味に優也に迫った。
「いえ、ご迷惑をお掛けするわけには……」
「いやいや、いつも備前さんにはお世話になりすぎてるんでっ! こういうときに少しでもお返ししておかないと逆に心苦しいっていうかっ!」
「そ、そうなんですか?」
「それはもう! 備前さんもすぐに戻って来ると思うし!」
「それでは……少しの間、お邪魔してもよろしいでしょうか」
「はいっ! どうぞお上がりください!」
加奈子は舞い上がって自室に優也を招き入れた。
リビングの小テーブル前に優也を座らせて、加奈子は冷蔵庫の中からプラスチック容器に入った麦茶を取り出す。
「備前さん……は、お茶とコーヒー、どちらがよろしいでしょうか?」
「できれば冷たいお茶をいただけると助かります……まだまだ外が暑い季節ですね」
「そうですね~」
加奈子は2つ並べたグラスに麦茶を注ぐ。
「あと、僕のことは優也でいいですよ。備前だと、父と同じで呼びにくいでしょうから」
「あ、ではアタシも加奈子でお願いします、優也さん」
「あはは、よろしくお願いしますね、加奈子さん」
加奈子はカウンターを挟んで見えないように呟く。
「ど、どうしよ。イケメン過ぎてヤベェ……でも良く考えてみれば、あのパパの息子だし……ダメだ、騙されるわけにはいかん……」
加奈子は平静を装ってお盆にグラスを乗せ、優也の前まで運んで、自分はその対面に座る。
「僕たちって、けっこう歳が近いですよね? 僕は二十歳の大学生なんですけど、加奈子さんはおいくつなんですか?」
「アタシは今年で19になる歳です」
「では僕のほうが1つ上の学年になるんですね。失礼ながら机の上の参考書が見えてしまったんですが、加奈子さんは学校か何かでお一人暮らしなんですか?」
「あ、えっ~と……そうですね、ひとり暮らしです」
「うわぁ。その歳で親元を離れてすごいなぁ」
「い、いやぁ。そんなことは……」
加奈子は顔を背けて零す。
「やっば……。思ってた以上に生活保護ですとか、人に言いにくいんだな……」
加奈子は冷や汗を流しながら優也との会話を合わせた。
時間の流れが遅い。
なかなか帰って来ない備前を待ちながら、時刻はお昼を回って久しかった。
「すみません。父も帰りが遅いようですし、加奈子さんの勉強を邪魔してしまうわけにもいきませんから、僕はこのあたりでおいとまさせてもらいますね」
ふたりの会話はそれなりに弾んではいたが、優也からそれは切り出された。
「あの! お昼どきに引き止めちゃったのはアタシだし、何かお昼でも食べてってください」
加奈子は咄嗟に言い返していた。
気まずいのに、引き止めたい。
そんな気持ちに加奈子は自分でも困惑していた。
「その間に備前さんが帰って来るかも知れないし、どうせアタシもこれからお昼なので……」
「えっ? もしかして加奈子さん、お料理とかもできるんですか?」
「えっ!?」
「あ、すみません! 決して疑ったとかじゃないんですよ! すごいなぁ、僕より若いのにひとり暮らしでお料理まで」
「いやぁ、あはは……ちょっと待っててくださいね~」
そう言って加奈子はキッチンに向かう。
「や、や、ヤババ……カップラーメンとか出そうとしたら、まさかの展開に……どうしよアタシ、パパから教わったしょうが焼きと味噌汁くらいしか……って、待てよ? それで良くね?」
加奈子は冷凍庫を開く。そこには冷凍された豚こま肉が。そして戸棚の中にも玉ねぎが1つ残っていたのを確認する。
「豚こま肉だけど……たぶん同じ要領で作ればイケるんじゃね?」
そうして加奈子のドキドキ、クッキングタイムが始まった。
たったひとつだけ教わっていた料理を自分なりに練習していた成果もあって、結果的に加奈子の料理は大成功した。
それでも緊張の様子で食卓にご飯や味噌汁、できたてのしょうが焼きを並べると、優也はとても驚いた顔をした。
「加奈子さん、すごいなぁ! メッチャ美味しそうじゃないですか!」
「ごめんなさいぃ……実はお肉は豚こま肉だし、冷凍してたものなので、もしかしたらお口に合わないかも……」
「いや、逆に材料をやり繰りしてる感が家庭的すぎてビックリなんですが……僕こそすみません。実は失礼ながら見た目から加奈子さんのことを完全に誤解してました」
「お料理できなそう……ですよね、あはは」
「とんでもない! あの、早速食べてみてもいいですか?」
「どうぞどうぞ、お召し上がりください」
加奈子は緊張の面持ちで優也が箸を運ぶのを待った。
「うまっ!? 加奈子さん。これ、メッチャ上手いんですけどっ!?」
加奈子は胸を撫で下ろす。
「よ、良かったです……」
「なんか懐かしい味って言うか、メッチャ安心する味です~」
加奈子は照れたように下を向いて言う。
「そりゃあ、あなたのパパのレシピだからなぁ……」
そんな加奈子の様子に気づいたふうもなく、優也は笑顔で昼食を平らげた。
そして昼食を終えた優也は食器をシンクまで運び、水に浸ける。
「あの、加奈子さん。流しにあるスポンジと洗剤、使ってもいいですか?」
「あっ! いえいえ! 洗い物ならアタシが全部するんで!」
「いやいや。ご馳走になるならせめて後片づけくらいするよう、父にも言われてるんですよ」
そう言えば自分も言われたな、と加奈子は思い出す。
「さ、さすがはパ……備前さん。しっかりしていらっしゃる」
「こんなに美味しいご飯をご馳走になって、洗い物だけなんて申し訳ないんですけど。あはは」
優也は楽しそうに笑い、加奈子もそれに釣られるように笑い返す。
お互いに初めて会ったにしては親しみが芽生えつつあるような雰囲気になっていた。
結局その後も会話は弾み、いつの間にか2時間ほど経過したところで備前が帰宅しないことから優也は一度帰ることになった。
「あ、あの! もし次に来るときは連絡を貰えれば備前さんが在宅かどうかアタシが確かめますから!」
加奈子はそんなふうに打診していた。
「ありがとうございます。でも、僕も次は父に直接連絡してから来ることにするので大丈夫ですよ」
「あ……そ、そうですよね。ご家族ですもんね、連絡先くらい知らない訳が……何言ってんだろアタシ。バカだな~」
優也の返答によって表情に影を落とす加奈子。だが、そんな様子を見て優也もまた慌てた様子でスマホを取り出した。
「で、でも。良かったら僕も加奈子さんの連絡先、教えてもらえたら嬉しいかもです」
「ホント!?」
加奈子の目は輝く。
「その……加奈子さん、明るくて話しやすいし、父を訪ねて来ただけの僕にも優しくしてくれるし、お料理も上手だし……とってもいい人だなって思って……」
「は、恥ずかしいです……」
「また、僕から連絡してもいいですか?」
「も、もちろんです!」
「良かった! じゃあ、今日はもう帰りますね! ありがとうございました!」
そう言って大きく手を振って去っていく優也を、加奈子は少し呆けた表情で小さく手を振りながら見つめていた。
優也は一度、アパートの敷地を出る前に振り返り、まだ加奈子の姿が残っていることを確認すると再度大きく手を振って去っていった。
優也の姿がアパートの門の向こうに消えて完全に見えなくなったあと、加奈子は大きなため息をついた。
「や、やっべぇ……なんだあの爽やかイケメンは……詐欺師か? 詐欺師なんだな? そう簡単には騙されんぞ、あの女誑しの息子め~」
加奈子は胸のトキメキに戸惑っていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
前回投稿から数ヶ月経過してしまいましたが、備前の背景に少しだけ触れて前章を終えます。
ちょっとまだ忙しく、本再開まで時間がかかりそうなところです。
よろしくお願いします。







