ホームレス(5)
社協でのつなぎ資金貸付申請は、ちょうど経理上のタイミングが良かったためか、僅か4日で3万円が支給されることになった。
それまでの間は食料支援で水を入れれば食べられる非常食のアルファ米や乾パンなどが支給され、坂下自身も無駄な行動をすることもなく自室で大人しく糊口を凌いでいた。
そして坂下が生活保護申請をしてから4日、つなぎ資金が支給される日を迎えた。
「あれ? おっちゃん今日は出掛けたのかな~?」
備前と加奈子が坂下の部屋を訪ねたが、坂下は不在だった。
「大丈夫か小娘。今日はつなぎ資金が支給される日だろう?」
「そうなんだけど……散歩にでも行ったのかなぁ」
「大丈夫か? ホームレスだったゴミを信用してもよ」
「なんかまずい流れの可能性がある?」
「わからねぇ。犬や猫の行動原理がわからねぇようにな。バカはバカって点においてのみ、常人の考えが及ばないバカな考えをするもんだ」
備前は少し間を置いて言った。
「そう言えば、前に社協の貸付の説明で言うのをやめてたことがあったっけな」
「そう言えば……あれはなんだったの?」
「坂下の前では言わないほうがいいと感じたからなんだが……社協の貸付な。いくら福祉事務所と社協の間で直接やり取りをするからと言っても、100パーセント回収できるとは限らねぇんだよ」
「えっ!? なんで!?」
「一つは保護申請が却下になった場合などで保護費自体が出ないケースだ。大体は財産が見つかった場合なので、その財産から回収すればいいだけなんだが……なぜかそれを返し渋るクズもいるんだ、信じられんことにな」
備前は鼻で笑った。それを聞いて加奈子は不安を募らせた表情で問う。
「ほ、他のケースは……?」
「他のケースか? くっくっく……」
備前は声を押し殺して笑っていった。
「例えばつなぎ資金の貸付を受けた瞬間な。現金を握ってハイになっちまうのか、そのままドロンと消えちまうんだ。目先の利益しか頭にねぇんだろうよ、大人しくしてりゃあ永続的に保護費が入るとか、そういうのが計算できねぇんだ。本当に何を考えてんのか俺にはサッパリわからん」
備前は笑うが、加奈子は青くなる。
「や、ヤバいかも知れない……探しに行かないと……」
「バカか小娘、どこを探すって言うんだ。仮に見つかっても、この先いついかなるときも見張ってる訳にもいかんのだぞ?」
「ど、どうしようパパ……」
「まだ慌てるところじゃねぇ。本当にただの散歩かも知れねぇしな」
「実は昨日の夜にも時間合わせしておいたんだよ……それなのにいないってことはぁ……」
「ははっ。小娘がちゃんと躾をしとかねぇからだ。もしかすると、小娘は一杯食わされたのかもな」
備前は高らかに笑うが加奈子は蒼白になっていく。
「パパ、笑ってないで助けてよぉ!」
「何言ってんだ、いい勉強じゃねぇか。別に小娘が損する訳でもねぇし」
「損するよっ! だってアタシがお願いした安岡さんや社協の人に迷惑かけちゃう!」
「殊勝な考え方だが、今さら言っても仕方なかろう。まずは落ち着いてできることを考えるんだな……例えば社協に電話して、坂下が来たかどうか確認するとかな」
「そ、そうだね! おっちゃんが来たら待っててもらえば!」
加奈子は急いで社協に電話を掛けるが、そのときにはすでに坂下は貸付金を受け取って退所したあとであり、そしてそのまま、ボロアパートにも戻って来ることはなかった。
加奈子は坂下を探して近所の公園などに足を運んだりしたが、それでも結局、坂下の姿が見つかることはなかった。
そしていつもは明るい加奈子が、口数が少なく自室に閉じこもるようになった。
坂下がボロアパートに帰って来たのは失踪から2日が過ぎた日だった。
どこに行っていたのかは語らず、貸付を受けた3万円は僅か2日で使い切り、食べるものがないからと、それだけの理由で悪びれもなく助けを求めてきたものだった。
ボロアパートの前で、迎えた備前と加奈子に気遣うことなく坂下は軽く言った。
「いやぁ負けちまった……すまないが嬢ちゃん、またちょっと助けてくれよ~」
加奈子は呆れるよりも失望した表情で備前の影に隠れ、服の袖を摘んだ。
「パパ。もうコイツ無理……力を貸して」
備前は鼻で笑った。
「勉強になったか?」
問われた加奈子は重く頷く。
「パパの言ったとおりだった……人間じゃなかったんだよ、こんなやつ」
「……そうだ。いい顔になったじゃねーか小娘よ」
「やっぱ、聞いたことと体験したことじゃ違うんだね」
「良く覚えておけ小娘。天は人の上に人を造らずなんて言葉は、その後の言い分まで含めて全部が綺麗事だ……もしくは賞味期限切れか」
備前は呆れた目で坂下を見る。
「天は人の中に例外を造り、人の中に偽物も混ぜた」
「ならコイツは人間の偽物だよ、パパ」
加奈子も冷たい視線を坂下に向ける。
「……ここからは俺が引き継ぐ」
備前は一歩前に出て財布を取り出した。
「坂下。俺はお前が自分の金をどう使おうが文句は言わん。だが使っちまった分は自分で稼がねばならんな?」
そう言って備前は千円札を1枚差し出した。
「お前を拾った公園の自販機にしか売ってないラムネがあるんだ。釣りはやるから1本買ってきてくれないか? これができたら、また次の頼みごとを考える」
「旦那、ありがてぇ」
坂下は迷いもなく備前から千円札を受け取って踵を返し、公園へ向けて歩き出した。
それを送り出す加奈子は心配そうに備前の顔を見上げる。
「パパ? どうしてあんな奴に……」
言いかけた加奈子は備前の表情を見て言葉を止める。
「パパ……怒ってる? ちょっと恐いよ……?」
備前は不自然に緩い笑みになって加奈子を見る。
「はは、そんなんじゃねぇよ……ただ、坂下にどんな仕事ができるもんかと考えててな」
「仕事……? あんなやつにできるの?」
「いや? 逆に俺なんかにゃあ、とてもできねぇ立派な仕事になるだろうな」
そう言って備前はスマホを取り出し、石田に電話を掛けた。
「おぅ亜人、俺だ。実はお前に一つ頼みがあってな。依頼料は弾むぞ?」
電話口の向こう、石田の返答は実に明朗だ。
「先日の坂下が近くの公園に向かった。お前は顔を隠して襲撃し、二度と歯向かう気が起きねぇようにボコボコにしろ。……そうだな、最低でも足の1本は折ってやれ」
そして電話を終えた備前は加奈子に振り返る。
「躾には色々な方法があるが、やはりシンプルで強力なのは暴力ってことだな」
「でも、それを亜人にさせるってことは、パパは何か他のことをするつもりなんでしょ?」
「ん? ははは、そうだな」
備前は軽く笑う。
「さて、俺たちはノンビリ準備してから向かうとするか。とりあえずドライバーくらいなら部屋にあるが……スケッチブックは買ってから行くか」
備前を見上げる加奈子は冷や汗を垂らす。
「パ、パパ……? やっぱりメッチャ恐い顔してるよ……?」
「そうか? 小娘は良くそういうのが見てわかるよな」
「い、いったい何をする気なんだよ~」
「言ったろ? 俺たちは何もしねぇよ。ただ仕事を斡旋するだけだ」
そう言って備前は歩き出した。







