ホームレス(1)
心療内科を受診した加奈子は、結果的に備前の指導どおりに淡々と役割を演じ、うつ病の診断書を手に入れた。
その帰り道で加奈子はスキップをするように跳ねて備前の隣を歩いていた。
「いやぁ、センセに脳波検査をするって言われたときは嘘がバレるって焦ったよぉ。さすがに脳みその状態までは偽れないじゃん」
「ああそれな。脳波検査やCT検査は鑑別診断っていって、他の病気の可能性を消すための検査だから、別にそれで詐病がバレるとか気にする必要はないぞ」
「なぁんだ。それなら最初に言っておいてよパパ〜」
「ただ、そこで脳萎縮だとか別の問題が見つかることもあるからな」
「こわっ!」
引きつった表情の加奈子を見て備前はニヤリと笑った。
「小娘に伝えるべきか迷ったんだが、あとから俺にだけ告げられた本当の結果があるんだ……どうする? 聞くか?」
「え!? アタシどっか頭が悪いの!?」
「あ、うん。頭は悪そうだな」
備前は口をついて出た自分の言葉をなかったことにし、気を取り直して言い直す。
「ショックを受けると思うなら聞かないほうがいいかも知れん」
「き、聞くよそんなのっ! 知らないほうが恐いぢぁん!」
「そうか……じゃあ心して聞けよ? 実は……」
ゴクリと唾を飲み込んで言葉を待つ加奈子。
「お前、脳みそが入ってなかったってよ」
「え……?」
しばし呆然とする加奈子。
「ひっど! ウソじゃんよぉ~っ!」
ポカポカと備前を殴り始める加奈子。
「ははは。めでたくうつ病と診断された小娘を励まそうと思ってだな」
「ウソだウソだ! アタシをからかってるんだっ! 絶対に許さないからな〜!」
「まぁいいじゃないか。これで働かなくて済む言い訳ができたことだし……祝いに寿司でも食って帰るか?」
「寿司っ!? ぃやったぁ! パパ大好きぃ!」
「ほらカラッポじゃねぇか」
「あっ! パパひっど! このやろ〜!」
帰り道の盛り上がりようは家族のじゃれ合いのようですらあった。
「でも真面目な話、やったねパパ。これでアタシも生活保護費の加算が貰えるの?」
「いや、そう簡単にはいかねぇ。障害者加算には条件もあってな。たとえば精神障害者手帳なんかも加算対象になるんだが、その手帳の申請には、初診日から半年以上経過した時点での医師の診断書が必要なんだ」
「なぁんだ、すぐってわけにはいかないんだ」
「ま、気長に待とうや」
そんなふうに住宅街を自宅に向けて並んで歩いている。
そんななか、道の脇に小さな段ボール箱が置かれているのに二人は気づいた。
「もしかして捨て猫かなぁ?」
加奈子は段ボールに近寄って覗き込む。
「わっ! ホントに猫ちゃんだ! かぁあいぃ〜!」
加奈子の表情はとろけそうなほど綻び、落ちるような速さで腰を降ろす。
「おい小娘やめとけ、関わるな」
「えぇ〜!? でもかぁいぃぢぁん!」
備前はため息とともに首を振る。
「そういや、なぜか生活保護者にも一定数いるんだよな、猫を無限回収するバカが」
「そうなの?」
「大体は獣臭や糞尿臭が合わさって家の外にも漏れていて、近所迷惑で有名になってやがる」
「あ〜……なんかアタシの地元にもそんなのいたかも」
「そういう奴に限ってかわいそうだから面倒見ているなどと言うが、去勢手術できる資力もねぇくせに何言ってんだって感じだな」
「増えすぎちゃってヤバいよね〜」
「家の中で管理しきれず室内に糞尿が散らばってる家もあるし、中には戸建賃貸の部屋を猫に乗っ取られて自分は外のプレハブに住んでるなんてバカもいた」
「うは! 猫のほうが立場が上なんだ、さすがは動物の鑑だね!」
「そういう奴らが提出してくる書類がまた染みだらけだったりして汚ぇんだ」
「やっぱ動物愛護の精神が大事なんだね〜。パパの前の職場!」
「あぁ。だから責任持って飼えないなら動物を飼うなんて言うなよ。ただでさえ人間は社会全体で人権持ったお荷物動物を飼ってんだから」
「あ〜……なんか子どもの頃に猫飼いたいって言って、両親に反対されたとき以上の説得力でワロタ」
そう言って屈み込んでいた加奈子は立ち上がる。
「ごめんね猫ちゃん。アタシ、飼えないんだ」
辛そうに言う加奈子に再び歩き出した背中を見せて備前は言う。
「良し、聞き分けのいい子だ」
「うん。パパの教えがいいからだよ〜」
加奈子はパタパタと駆けて再び備前の隣に並んだ。
しばらくして二人が公園の前に差しかかると、そこでもまた段ボールが目についた。
しかし先ほどの捨て猫と違うのは、その段ボールは人為的に組み合わせられたものであることだった。
「もしかしてホームレスかなぁ?」
「だろうな。汚ぇし、素性が知れねぇから俺は拾わねぇが」
「ホームレスは生活保護申請できないの?」
「いや、そんなことはないぞ。現在地申請って言ってな。たとえそこに住民登録されてなくても今いるところで申請は可能だ」
「住む場所がなくても?」
「そうだな。大体そういう場合は救護施設ってところに入所するように話が進む」
「へぇ〜。そういう施設もあるんだねぇ」
「本当は強制入所できるような施設じゃねぇんだが、多くの福祉事務所ではまるで申請するための条件のように言うし、実際に俺も言ってきた」
「パパが言うなら実際問題としては必要なことなんだろね」
「じゃあ住む場所はどうすんだって話に結局はなるからな。断っても構わんが、その場合は居住実態がないとして却下されても文句言うなよって感じだ」
「福祉事務所の言うことは聞かないくせに自分の主張ばかりすんなよってこと?」
「だな。しかも手間かけて救護施設に入れても脱走するケースが意外と多い。無駄な労力を使うのもアホらしいし、正直、好きでホームレスやってる奴らなんか放っておきゃいいんだ。死んでも誰も困らんだろ。それを酷いだなんて無責任に言う奴はそいつが面倒を見りゃあいいんだよ」
「人間のゴミだね」
加奈子は憐れみの視線を段ボールハウスに向けた。
「でもな〜。せっかくの養分候補を捨てておくのもなんかもったいない気がするなぁ」
「やめとけやめとけ。そーいうのは大抵会話が成立しない状態だったり、自称神さまだったりするんだぞ」
「それでもちゃんと鎖で縛りつけておけば養分にはなるしぃ……」
「小娘お前、ちゃんと面倒見れんのかよ」
「こう見えて昔は、カブトムシとか1カ月くらい長生きさせたから、アタシ」
加奈子は胸を張って答える。
「カブトムシか。普通は3カ月くらい保つんだがな。途中でエサやりダルくなったんだろ」
「う……」
「ま、さすがに虫よりは頑丈だろうし、大丈夫か」
「そーだよそーだよ。それに死んだら死んだでいいじゃん、カブトムシなんて」
加奈子はケラケラと笑う。
「ねぇパパお願い。アタシ、猫ちゃんは諦めるけど、ホームレス飼っちゃダメ?」
「まったく、仕方のない奴だなぁ……ちゃんと最低限の管理くらいはしろよ」
「うんっ! ありがとパパ!」
まるで捨て猫を拾うホームドラマのようにほのぼのとした雰囲気の二人だった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
作品の雰囲気とキャラクターの都合上、言葉が汚くなるので少し気にしています。
それでもリアリティを求めて実際に周りで聞いた言葉などを使ってるんですが、もうちょっとソフトにすべきかどうか迷いどころです。
要は、そのうち炎上すんのとちゃうやろか?
とおっかなびっくりで、改めて作者の主義主張ではないと申し上げつつ、それでも現実的にみんなハラの中で思ってることを見聞きしているので、大人の態度や綺麗事で目を逸らしても仕方がないし、いずれこういう問題と向き合うときが来ますよ、ということは伝えていきたいと思っています。







