パパと助手
加奈子が本格的に備前の下で社会勉強を始めてから数日が経過した。
その日も加奈子は備前の部屋で昼食をともにしていた。
「野菜の大きさがバラバラだな」
味噌汁の中からイチョウ切りになった人参を箸で摘み上げて備前は言った。
「だって包丁なんて慣れてないんだもん」
加奈子は口を尖らせて言う。
「今日はいきなり小娘も料理を覚えろ、だもんなぁ〜」
「最初は急がなくていいから丁寧にやれ。野菜は大きさが違うと火の通り方が変わってくる」
「はぁい」
「味は……まあまあだ」
「そりゃあパパが見てたからね」
「しょうが焼きのほうも無難にできたな」
「パパのレシピどおりにやれば簡単簡単!」
「混ぜて焼くだけの簡単なものから始めたってだけだ、調子に乗るな」
「はぁい」
加奈子は叱られながらもご飯と一緒にお肉を頬張る。
「うまっ! これホントにアタシが作ったのかっ!?」
「自分で作れば、ひとしおだろう」
「うん! まさかアタシでもこんなに美味しいお料理ができるだなんて思わなかった!」
「この先、生きるために何が役に立つのかなんてわからないんだ。なんでも自分から覚える積極性を身につけろ」
「うん! アタシ、お料理も上手になりたい!」
「いいぞ。自炊が上手くなれば食費の節約にもなるし、生活にもハリが出る」
「生活のハリ?」
「あぁ。生活保護者には料理すらできない奴らが結構な割合でいてな。菓子パンやインスタント食品、スーパーの弁当ばっか食ってやがる」
「別に悪いことじゃなくない?」
「だがな。時間ばかり余る生活のくせに、小さな手間まで惜しみだしたら、そんな人生ただの虚無だろう?」
「そうだね」
「そういう奴らは、たとえ気づいても時間の無意味な浪費を辞められなくなる。そしていつの間にか取り返しがつかない程に無意味に過ぎてしまった時間、人生を悔いるようになる」
「病みそう」
「実際に保護者の精神疾患割合は高いぞ。そうでなくても日本の入院理由の原因ナンバーワンは男女とも年代別に見てもほぼ全年齢層で精神疾患だしな」
「アタシそれを聞いてうつになりそうだよ」
「生活保護者のなかでも自堕落に暮らすゴミは、次第に行動意欲が削がれていき、好きだった趣味等も楽しめなくなり、徐々に部屋も身体も荒んでいき、何もできないウンコ製造機と呼ばれる存在になり下がる」
「ウ、ウンコ製造機って、それはなくない?」
「実際に俺もたくさん見てきた。ゴミ屋敷の中にウンコが垂れ流しっぱなしの家をな」
「た、たくさんて……マヂ?」
「なかには家中がすでにウンコ塗れだからと野外排泄をし、それを見た通行人に手に持ったウンコを投げつける奴もいたな。二階から通行人に投げる奴もいた」
「テロリストかよっ!」
「人間を人間たらしめているのは精神だ。それが壊れた存在はそれ以外の何かだ。ウンコ製造機なんて言葉が作られる訳だよ」
備前はそう淡々と話を締めくくった。
「おっと、せっかく小娘がメシを作ってくれたのに冷めちまうな。すまん、早く食おう」
だが加奈子は呆然と箸を止めておかずをじっと見つめて言った。
「食事どきにウンコの話、酷すぎぃ……アタシが初めて一生懸命に作ったご飯がぁ……ぐすん」
備前は悪戯な顔で言う。
「今日の味噌汁はちゃんと味噌で作ったか?」
「や〜め〜ろ〜!」
食卓の会話内容はともかく盛り上がった。
昼食を終えた備前と加奈子はリビングのソファーでのんびりと休んでいた。
「そういや小娘。こないだの母子家庭の保護申請は上手くいったのか?」
「うん! 万事オッケー! あとは結果待ちだよん」
「ということは転居も上手くいったみたいだな」
「そうみたい。こないだ隣の市営住宅に荷物を運び込んでるのを見たよ」
「同居予定の彼氏の方はどうなった?」
「う〜ん、それがね。ふたりの間で別々の世帯のまま生活保護費を貰ったがお得って話がでたみたい」
「それも悪くない判断だと思うぞ」
「でも一緒にも暮らしたいみたいで」
「バレるまで彼氏の登録住所を移さずに、身体だけ一緒に住めばいいだろう?」
「そんなことできるの?」
「駄目だがバレなきゃOKだ。バレたらバレたときに考えればいい。そんな後ろめたい事情を抱えた奴らばっかだよ」
「そういえばパパだって何か隠してるもんね」
「そういうことだ」
備前はふと思い出したように言う。
「そうだ。もし仮にその彼氏が引っ越しをするときは俺にも声をかけろ。それもまた稼ぎのチャンスだ」
「えっ? そうなの?」
「保護費は色々な名目で支出されるからな、知らなきゃ損することばかりだ」
「教えて教えて」
「例えば、条件はあるものの住宅維持費として退去費用が出る場合もあるし、移送費として引越し代が出る場合がある」
「それがどうしてアタシたちの得になるの?」
「知人の業者等を使えば上限まで中抜きし放題だからだ。もちろん自分でできることは自分でやって丸々儲けたっていい」
「別の業者にしなさいって怒られないの?」
「3社くらい見積りを取らせて一番安く済む業者を使わせるところもあるが、そんなもの俺、亜人、隆史で見積りを作っちまえば突破できるだろ」
「そういうズルってバレない?」
「法人格のない屋号で行政の仕事を請け負ってる業者なんか腐るほどある。さらに土地の使用料等と違って支払調書なんか発行されないから税金関係からもバレる要素はないな……もちろん振込口座を自分の口座にすると収入とみなされるから工夫はいるがな」
「よ、よくわかんないけど、パパがそう言うんだから大丈夫なんだろうね……」
「そういうことだ。もちろんこれに限らず生活保護者ってのはとにかく金になる。ほとんど野生動物や思考停止してる奴らばかりだからな」
「下手な貧乏人より生活保護者のほうがお金を良く使ってくれそうだよね~」
「だから医者でも、大家でも、施設でも、小売業だって養分として見ている場合もある」
「闇が深そぉ……」
「こないだもあったよな、大手のメガネショップが上限ギリギリまで水増しして請求してたケースがよ。そういう悪徳業者なんか調べりゃ名前もすぐ出てくるぞ」
「パパはつかまんないでね?」
「大丈夫だ。仮に捕まっても今の俺はノーダメージだからな」
「アタシが困るよっ!」
「ははは、小娘に心配されるようじゃ、俺もいよいよ底辺が板についてきたな」
「人がせっかく心配してるのにぃ〜」
加奈子は不満げに言った。
「なんかさ。知れば知るほど生活保護ってガバガバだよね」
「もう何十年も変わってねぇ法律をツギハギで運用してるようなもんだからな。色々とボロが出るだろ」
「何十年も?」
「そうだ。例えば家賃の基準を見ても、1〜2級地で月額1万3000円、3級地なら月額8000円が基本なんだぞ? 今どきそんな家賃で住む場所が探せるかって話だ。ほとんどの自治体があとから独自基準を定めて運用してんのが現状なんだ。法律が如何に現状とかけ離れているかがバカでもわかる」
「色々おかしいよ〜」
「ま、そう思うなら若者が声を上げてなんとかしてくれや。俺はもう諦めて利用させてもらう側になることにした」
「なんか、パパの気持ちもわかっちゃうな〜」
加奈子は呟くように言って一度身体を伸ばすと、勢い良くソファーから立ち上がった。
「なんだ小娘。今日は出てけと言われる前に出て行くのか」
加奈子ははにかんで答える。
「アタシだって、少しは勉強しなきゃなって思うようにはなったんだよ」
「感心だな。貸してやった本でちゃんと勉強してんのか」
「うん。なんかさ、最近パパの話を聞けば聞くほど、もっと世の中のことを知らなきゃな〜って思うからね」
「わかんねーところがあったら聞きに来い。特別に教えてやっから」
「あっは。勉強始めたら逆にパパに呼ばれるようになってワロタ」
「やる気のある奴は嫌いじゃねーんだ」
「ありがと! じゃあ躓いたら教えてもらいに来るね〜」
そう言って加奈子は軽やかな足取りで備前の部屋を出て行った。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ちょっとブラックな話、この作品を氷河期世代への応援と銘打っておきつつ、一方でボロクソ言ってる属性。これから氷河期世代の申請が増えるだろう予測を踏まえると、その応援対象の方々がその属性を持つということになって……どうなんだ?(笑)







