バカな子の挑戦(4)
加奈子が備前に助言を求めた数日後。
「パパありがとぉ〜! もうアタシ、パパ大好きぃ〜!」
備前の部屋に飛び込んできた加奈子はソファで読書をしていた備前に飛びつき、その頬にキスをした。
「うわっ! テメェ小娘! いきなり何しやがる汚ぇ!」
備前はそれを振り払い、袖口で頬を拭う。
「ひっど! こんなに可愛い子がキスしてあげたのに汚いとかサイテーすぎてワロタぁ!」
しかし加奈子にもめげた様子はなかった。
「調子に乗りやがって……なんなんだ、そのバカげたテンションは」
「聞いて聞いて! 相談者さんが市営住宅の抽選、当たったんだよ〜っ!」
「ほう。やってのけたか……小娘も意外と光るものを持っているな」
「うんっ! パパのおかげだよぉ〜!」
「俺は助言しただけだ。良くやったな小娘。達成感もひとしおだろう」
「うんっ! 嬉しい! こんなアタシでも誰かの役に立てるんだぁ~!」
「待て待て安心するな。まだ肝心の保護申請は済んじゃいないんだろ?」
「うん。でも、もうパパに聞いたとおりにできるよ! もう安岡さんにも事前相談を済ませてあるんだ〜!」
「手際がいいな」
「パパのおかげっ! パパ大好きぃ!」
「相談者との財産管理委任契約はどうだ?」
「うん! 思ったよりいい条件で納得してもらえた!」
「どれ見せてみろ」
「はい、これが契約書!」
手渡された契約書に目を通し、備前は関心したように頷く。
「思ってた以上の成果だ。バカっぽいから信じ難いが、もしかしたら小娘には交渉の才能もあるのかも知れん」
「バカっぽいは余計すぎぃ!」
「しかしまぁ母子家庭4人に、母がうつの障害者加算、子どもの教育扶助まで加わるとなると月の保護費は家賃込みで余裕の20万円オーバーか」
「すっごいいっぱいもらえるよねー」
「そうだよな。逆に言えば、この金額以下で働いている母子世帯なんか全世帯が生活保護の対象になるってことだからな」
「マジ? パートとかだと絶対そんな金額いかなくない?」
「そうだぞ。月に十数万のパート収入しかないなら、金額も多くて働かずに済む生活保護のほうがマシだと俺は思う」
「で、でも母子世帯は元夫とかから養育費とかもらえるんだよね」
「だが養育費は収入認定されるからな。養育費を貰っても貰わなくても生活保護費で調整されるから手元に残る金額は同じだ」
「え? それじゃあ養育費を貰わないほうがその分、元夫の手元にお金が残るってこと?」
「そうだ。だから一番賢いのは養育費を打ち切られたことにして保護費を全額もらうことだ。養育費の支払いがなくなった分、元夫も余裕ができるから子どもの将来の学費などに貯めておいてもらえばいい。何も元夫を巻き込んで不幸になる必要はあるまい」
「でも、信用できないとか養育費がもらえないとか騒ぐ女性って多そう」
「女は感情論で生きるバカが多いからな。養育費を貰わなければ二世帯で考えたときの収入が増えるのに、無駄に元夫に負担をさせたいとか、搾り取ってやりたいとかの感情論が先行して合理的判断ができねーんだ。結果、元夫どころか子どもに回す金が減るのにな」
「女って本当にバカだねぇ」
「保護なら教材費や通学費はもちろん、部活の費用も出るからな。運動系の部活は何かと金がかかるとか嘆くくらいなら、もう少し合理的判断をしてやれよって思うがね」
「ホント、バカを見るのはバカだけだねー」
「ま、ほとんどの母子世帯が実は保護対象になりえるってのは色々ヤベーから黙ってろよ」
「はぁい」
加奈子は素直に頷いた。
「しかしまぁ、児童手当系が引かれるとは言え、世帯で貰える保護費が大きい分ある程度は絞り易いと思っていたが……良くこの内容で納得させられたもんだ」
「うん! アタシが頑張ってくれたからって言ってくれたんだよ!」
「なるほど。小娘は何より真剣さが前面に出ているから見てるほうは信頼できるのかもな」
備前は関心したように言う。
「しかも、時期を定めて徐々にピンハネ金額を下げていくのも相手の心理的負担を考えれば悪くない」
「子どもが大きくなれば色々お金もかかるかと思ったからね〜」
「なんだ、ずいぶんと気を利かせるじゃねーか」
「パパが悪魔すぎるだけだって〜」
加奈子はケラケラと笑う。
「いや、しかし見事なもんだ。養分を自分から見つけてきて、それを結果に結びつけた。しかも養分からの信頼感もついてきた。これは小娘が考えている以上に大きいぞ」
備前は真面目な表情で加奈子を見た。
加奈子はその視線に顔を赤らめる。
「な、なぁにパパ? そんなに見つめて。アタシってば、そんなに可愛い?」
「いや? コイツはもしかしたら本当に化けるかも知れないと思ってな……」
「ひどっ! 可愛いどころか化け物かよっ!?」
「化け物じゃねーよ。いい意味で成長するかもって意味だ!」
「ど、どういうこと……?」
「養分にしておくのがもったいない、そんな気がしてきたところだ」
「ホントっ!?」
「あぁ。このまま養分として若い芽を摘み取るよりも、小娘の能力を活かす方向に舵を切るべきなのか……悩みどころだ」
「アタシ頑張るよ? バカだけど、パパが教えてくれるなら頑張って色々覚えるから!」
「ほう……その言葉に偽りはないな?」
「え……? やっぱりパパに念を押されるとちょっと恐いぃ……」
「やめとくか?」
「頑張りたいけどぉ……」
「なんだ、何が心配なんだ?」
加奈子は身を捩りながら言う。
「え、Hなことはあんまりしないでね?」
「しねぇよボケ!」
加奈子に備前のゲンコツが落ちる。
「いったぁい!」
備前はフンと鼻息を荒げた。
「だがまぁ、それ以外はOKだと受け取っておこう……って、なんか前にもこんなやり取りを小娘とした気がするな」
「うん、覚えてるよ。パパと初めて会ったときだよね」
「そうだったな」
「アタシは忘れないよ? あのとき、パパに出会えてなかったら、アタシたぶん、今頃ずっと辛い目にあってたと思うから」
そう言って加奈子は少し備前に身体を寄せた。
「バカを見るのはバカだけだ。パパが言っていたことも少しわかるようになった」
加奈子は真剣に備前を見た。
「だからアタシ、今はバカを辞めたいって思ってるんだ」
「いい心がけだな」
「パパの隣なら、頑張れると思ったの」
「そうか」
「わかってるよ? パパがなんの得もしないのにアタシに何かしてくれるような、いい人じゃないことくらいはね」
「そりゃあそうだ」
「だからね? アタシも何かパパのお役に立てることを見つけて、その代わりに色々教えてもらおうと思ったんだ」
「ほう……小娘にいったい何ができるんだ?」
そう問われた加奈子は少し言葉をつぐみ、それでも気持ちごと声を絞り出すように答えた。
「パパのお仕事を、ちゃんとお手伝いさせてください」
備前は少し返答に時間がかかった。
「悪ぃことだって、わかってんのか」
「うん。わかってる」
「って言うよりむしろ、俺のは仕事ですらねぇから無職だぞ。カッコ悪ぃな」
「わかってる。でも、世間知らずに育ってきたアタシが知るべきことを誰よりも知っている人だと思った」
「悪人を信用すんな、バカを見るぞ」
「バカを見ないために、パパを信用するんだよ」
加奈子の視線が少しもブレないことに備前は困惑していた。
「人が親切に忠告してやりゃあクソガキめ……それなら小娘が嫌がるHなことをさせるかも知れねぇぞ?」
「うぅ……。そ、それはちょっとだけでお願いします」
「嘘だよしねーよバカ! ガキが簡単に身体を許してんじゃねぇ」
「チュ、チューぐらいで許してください。ほっぺに」
「いらん!」
備前は頭を掻きむしった。
「お前、碌な人間にならんぞ?」
「大丈夫です。良いことも悪いことも全部知ったうえで、自分で納得した道を行ける人間になりたいです」
「世の中、綺麗事だけで済むならそのほうが幸せかも知れんぞ?」
「綺麗事とか、マヂ糞くらえです」
その真剣な眼差しに備前は深くため息をついた。
「わかった、そこまで言うんだ。特別に俺と小娘の養分契約は破棄してやるよ。その代わり、助手としてボロ雑巾のようにコキ使ってやるからな、無理だと思ったらすぐ言えよ」
「はい! わっかりました!」
加奈子は飛び上がるように直立し、備前に向かって敬礼をした。
「良し。じゃあまず、お前は圧倒的に不足する知識を補うために関連法の勉強をしろ。俺の部屋の参考書はなんでも貸してやるから」
「どんな内容から始めればいいのかなぁ?」
「そうだなぁ……例えば、生活保護のCWになるためには社会福祉主事の資格が必要になるんだが……基本的なことだから小娘にも必要になるだろう。まずはその参考書から貸してやるから、しっかりと頭に叩き込めよ」
「うん! わかった! アタシ頑張る!」
この日から、加奈子の強い意志による勉強が本格的に始まった。
この加奈子の努力がのちに加奈子本人のみならず、備前の人生にも大きく影響をもたらすことになるのだが、このときはまだ、二人はそれを想像すらしていなかった。







