バカな子の挑戦(2)
「助けてよぉ、パパえも〜ん」
ある日、備前の部屋を加奈子が訪ねてきた。
「誰がパパえもんだ。張っ倒すぞ」
「ごめんごめ〜ん。でもちょっとパパに教えてほしいことがあってさ〜?」
「駄目だ」
「えぇ〜? 新しい養分になるかも知れない件だよ〜?」
「なんだ、それなら話せ」
「パパ現金すぎぃ」
加奈子は呆れつつ靴を放り捨てるように脱いで備前の部屋に上がり込む。すでに遠慮も何もない慣れきった動作である。
「で? 新しい養分とはなんだ?」
「こないだアタシ、SNSとかネットで困った人がいないか当たってみるって言ったじゃん」
「ああ、あれか。何か進展があったのか?」
「うん。市内の母子家庭の人でさ〜。一応、話を聞くには聞いたんだけど、実家暮らしだと両親の収入が多くて却下されちゃうんだって」
「ほう? 小娘ひとりで話を聞いてきたのか」
備前は珍しく興味を示した。
「うん。意味がわからなかったこともちゃんと聞こえたとおりにノートに書いたよ」
「どれ、見せてみろ」
備前は加奈子からノートを受け取り、しばらくそれを見ていたが、やがてパタンと音を立ててそのノートを閉じた。
「これ、本当に小娘がひとりで聞いてきたのか?」
「そうだけど……あれ? パパいつもみたいにフンって笑わないの?」
「いや、正直に言うと驚いている。大事なポイントを的確に聞き取れているんでな……どうしてこんなことができた?」
「それはアタシがパパに色々聞かれたときのことを思い出して、同じことを聞いたんだ。それに亜人やキモオジのときも立ち会ったし〜」
備前は驚きの目で加奈子を見た。
「小娘お前、バカだが意外と頭は悪くないヤツなのかも知れないな」
「パパぁ? それバカにしてない?」
「正直、関心してんだよ。たかだか数回立ち会ったくらいで、よもやここまでとはな」
「わ。パパが私を褒めた……なにこれチョー嬉し〜」
「俺も多くのCWを育ててきたがな、小娘より覚えの悪い奴らもたくさんいたくらいだ」
「え? 公務員ってそれなりに頭が良くないとなれなくない? アタシみたいなバカとは比べものにならないんじゃあ……?」
「簡単に言うと、学校のお勉強だけ得意でも駄目だってことだ。その点、小娘は知識がないだけで意外と頭は悪くないのかも知れん」
「ほんと?」
「案外お前、ちゃんと勉強すれば化けるかも知れんな」
「パパ? ちょっと褒めすぎくない?」
「おっと、そうだったな。これでも最近まで人材を育てる立場だったもんでな、褒めて伸ばすクセがついてんだ」
「あ〜……そういうことかぁ」
「だがな、今たしかに、俺も小娘に対する見方を改めたのも事実だ。伸ばせるものは伸ばしてやったほうがいいとも思えてきた」
「ホント?」
「この先、養分としてだけでなく俺の役に立つなら大歓迎だからな」
「あ〜……やっぱりパパはサイアクだ〜……」
加奈子は少し肩を落とした。
「で? 小娘はこのケースについて、どうすればスムーズに生活保護申請を通せるのか自分でも考えてみたのか?」
「うん。アタシのときと同じように、佳代さんに頼んで空き部屋を貸してもらえれば通ると思ったんだ〜」
「正解だ。……だが、その様子だと上手くいかなかったんだな?」
「うん。さすがにあのボロアパートだと、住むのは嫌だって言われちゃって……」
「なるほど……それで俺に知恵を借りに来たって訳か」
「うん。なんとかしてよ、パパえも〜ん」
「調子に乗んな」
加奈子に備前のゲンコツが落ちた。
「いったぁ〜い!」
涙目になった加奈子は恨めしげに備前を見返した。
「だが、小娘にとってこれはいい機会になるかも知れんな……やる気があるなら自分でやってみるか? 助言はしてやるから」
「ありがとうパパ! アタシ頑張ってみたい!」
「良しわかった。もちろんこの案件はお前の養分にしていいからな。ただし、欲をかきすぎるなよ? 反抗されると面倒だ、相手を見て条件は調整しろ」
「わかった! ちなみに、これがパパの真似をして作ってみた養分契約書なんだけど……どうかな?」
「なになに……? 財産管理委任契約……ほう。ちゃんとできてるじゃないか。やるな」
「良かったぁ〜」
「ちなみにこの契約について、小娘も本来の意味を勘違いしているだろうから補足しておくぞ?」
「本来の意味?」
「そうだ。財産管理委任契約とは、本来は相手を養分化する契約じゃねぇ。むしろ相手を助けるための契約なんだ」
「ええっ!? そうだったのっ!?」
「たまにニュースでも福祉事務所が外部団体と契約を結ばせて金銭を制約し、あたかも被保護者に不利益を与えてるかのような報道をするけどな、あれは実際の現場を知らないから言えるだけの綺麗事なんだよ」
「……つまりどういうこと?」
「世の中にはな、想像を超えるバカがいるってことだ。それも同じ人類だとは思えないような考え方をするバカが意外と多い……だから俺は現役時代、多くの保護者を野生動物のように認識していた」
「そ、そこまで?」
「実際そのほうが精神衛生上いいんだ。同じ人間目線で仕事をして精神を病むCWを見てきたくらいだ……何を言われても野良犬に吠えられたくらいに考えておいたほうがいい」
「だ、だからパパは被保護者を人間扱いしないんだね……?」
「最初から言っているだろう? それでも動物愛護の精神くらいは持っていると」
「そういえば……って! アタシのときも! ひっど! アタシも動物扱いなんだっ!」
加奈子は備前の肩をポカポカと叩く。
「ははは……だが、今は小娘に対する考え方を改めたと言ったろう? 喜べ。小娘は今、俺に人間として認識された」
「あうぅ……嬉しいような、悔しいような……」
加奈子は複雑な表情をした。
「で、だ。例えば野生の犬や猿に現金を渡して、自分で生活しろと放置したらどうなると思う?」
「お金なんて使えないから……死んじゃうよ」
「だろ? だから適切に金銭管理をしてやることが助けになる奴もいるのが実際の現場なんだ。つまり財産管理委任契約を綺麗事でひとくくりに悪と決めつけると、死ぬ奴が大勢出る」
「すごい世界なんだね……」
「財産管理委任契約は酷い扱いだなんて言う奴は、敢えて社会保障費を減らすために生活保護者なんぞ死ぬべきだと暗に主張したいのかも知れないな」
備前は鼻で笑って言った。
「本来、この契約は社会福祉協議会などが無償で行ってることが多い。そして身元引受人がいない等の条件で受けられない場合には、民間団体にある程度の取り分を持たせて代行させているのが現状だな」
「なるほど……その取り分を悪く思う人もいるってことだね?」
「そうだ。中には月々の報酬を受け取らない代わりに、身元引受人契約を同時に結んでおき、死んだら残った財産を回収する方法もある……つまりは死亡待ち、早く死んでくれたほうがありがたいって方法だ」
「ひっど……同じ人間なのに」
「本当に酷いと思うのか? そういう団体がなければ放置される奴があとを断たないんだぞ? 親族にすら捨てられたゴミや動物をいったい誰が面倒見てると思ってんだ。慈善事業じゃねーんだ」
「必要なこと、なんだね?」
「少なくとも俺はそう思っている」
「……アタシ、そんな世界があること、考えたこともなかった」
加奈子は神妙に言った。
「小娘も両親が公務員だ、ある程度は恵まれた環境で育ってきただろうし、仕方のない部分もある……底辺の世界など知るはずもない」
「うん……駄目だね、知らないってことは」
「そう思えるだけ小娘はまだマトモだよ」
備前は加奈子の頭に手を乗せてそう締めくくった。
加奈子は自分の頭に手を置いたときの備前の緩んだ表情に気づき、少し頬を赤らめた。
「さてと、話が脱線してしまったな……ま、養分契約についてはこのくらいの内容で問題はないだろう」
「うん」
「あとはこの母子世帯に生活保護を受けさせる方法だったな」
「うん。なかなか家賃上限内で綺麗な物件となると探すのが難しくって」
「だろうな」
「パパ、何かいい案はない?」
「あるぞ」
「えっ!? なになに? 教えて!」
「う〜ん、そうだなぁ」
そう言ったきり、備前は視線を窓の外に向けて言葉を発さなくなった。
「? どうしたのパパ?」
「いや、小娘にもある程度は自分で考えてみてほしいと思ってな……」
そう言って備前は窓の外を見たままだ。
加奈子はそんな備前の態度に首を傾げながらつられるように視線を窓の外に向けた。
「窓の外に何かあるの……?」
そして。
「あっ! アタシわかった!」
加奈子は嬉しそうに声を上げた。







