8050問題(3)
老婆の有料老人ホーム送りと家屋売却の件がまとまって備前はひと息ついた。
「では、最後は息子さんの件ですね」
老婆は重く頷く。
「息子さんはいつ頃からひきこもり始めたんですか?」
「もう20年ほど……25歳の頃でしたでしょうか、急に仕事を辞めてきて、それ以来ずっと」
「辞めた理由はご存知ですか?」
老婆は首を横に振る。
「就職氷河期なんて言われて、何十社も面接を受けましたが内定を貰えず、とても苦しんでいたのを近くで見てきましたが、ようやく決まったと喜んでいたのをつい最近のことのように思い出します」
「辞めてからの様子はどうでしたか? 家族との会話は?」
「もしかしたらパソコンやらゲームなどを買うために、一時的にアルバイトなどをしていた時期もあったかも知れません。ですが、負い目を感じているのか、会話も減ってしまって、たまに出かけて行くことはあっても、それがどんな外出なのか、わからないのです」
「出かける頻度は?」
「もう最近はほとんど……二〜三カ月に一度くらいでしょうか」
「食事は?」
「私が毎日ドアの前に……ですから、あの子が自分ひとりで生活していけるだなんて、とてもじゃないですが考えられなくて」
「ですが、いずれ親のほうが先に死ぬんですよ?」
「わかってます……わかってます……だから、ここで備前さんにお願いするしか、もう……」
備前はため息をついた。
「暴力は? 言葉や力を問わず」
「……ありません」
「本当に?」
老婆は悔しそうに口を噤んだ。
「あなたの息子さんはモンスターです」
「返す言葉もありません」
「あなたもこれから施設に入って経済的に自由のない生活を送ることになるでしょうが、それもモンスターを世に産み落とした罰だと思って耐えてほしいところですね」
「……はい」
「さて、そんなモンスターを部屋から叩き出そうというんだ……場合によっては少し荒っぽくなるかも知れませんが、構いませんよね?」
老婆は黙って頷く。
「わかりました。では、まずは私たちだけで行ってみましょう」
そう言って備前は立ち上がった。
備前と加奈子はその家の二階にある息子の部屋の前で呼吸を整えた。
その扉をノックする前に、備前は少し逡巡した様子だった。
しかしすぐにそれを振り切り、意を決したように表情を引き締めてノックする。
「隆史、俺だ。備前正義だ」
それを聞いて隣の加奈子は驚いた顔をする。
「久しぶりだな、少し顔を見せてくれないか」
そんな備前の服の袖を少し引っ張って加奈子は小声で言う。
「パパ、息子さんのこと知ってたの?」
「同級生だ、実はな」
「マジ? それって類トモじゃん」
「あ?」
「だってパパもこの息子さんもクズじゃん! ……って、いったぁい!」
加奈子の頭にゲンコツが落ちていた。
しかしそうしている間にも部屋からの反応はなかった。
備前はもう一度ノックして言う。
「隆史、入るぞ?」
そしてドアノブに手を掛けるも案の定、鍵がかかっていた。
「どうするパパ?」
加奈子が心配そうに尋ねる。備前は呆れたようにため息をついた。
「あのな隆史。俺がどうしてここへ来たかわかるか?」
備前はドアに向かって語り掛ける。
「別に今さらお前を説得しに来た訳じゃないんだ……わかるよな? いつまでもこの状態が続くものじゃないってことくらい」
部屋からの反応はない。
「ハッキリ言おう。お前の両親は施設に入り、この家は売ることになった……もうお前がここに居座ることはできない」
部屋の中でガタッと何かが床に落ちる音がした。
「開けてくれ。でないと、このドアを叩き割ってお前を力ずくで引きずり出すしかなくなる」
備前がそう言って少ししたあとに、ようやく鍵の開く音がした。そしてゆっくりと、少しだけドアが開き、その隙間から外を伺うように隆史の顔が現れた。
「よぉ、久しぶりだな」
備前は笑顔を作って言った。
「うん……」
隆史は気まずそうな表情で答えた。
「中に入れてくれ。話をしよう」
「……わかった」
隆史は長く考えたあと、観念したようにドアを開いた。そしてそこでようやく加奈子の存在に気づいた。
「び、備前くん。その子は?」
「俺の連れだ」
「え? あ、ちょっと待って……」
そう言って一度ドアを閉めようとする隆史をドアごと突き飛ばすように備前は部屋を開け放った。
「もう今さらおせーよ」
「あっ!」
隆史は無理にドアを開けられて体勢を崩し、数歩うしろにあとずさる。その拍子に部屋の様子は加奈子にも隠しようがないほど明らかになった。
「これは酷いな」
備前は言った。
壁に貼られたアニメのポスター、床には成人誌。散乱するゴミにペットボトル飲料、カップラーメンの容器。
ついたままのゲーム画面に積み上げられたゲームソフトや漫画本。
「くさっ! なんか変な臭いする!」
加奈子も遠慮せずに言う。
「ねぇパパ。アタシもここ入らなきゃダメ?」
「……さすがにこれは無理にとは言えん」
「じゃあここで待ってる」
「ドアは開けておくから良く見ておけ。中年ニートの実態ってヤツをな」
そう言って備前は隆史に視線を送る。隆史は忸怩たる様子で俯いていた。
「パパ?」
「なんだ?」
「さっきまでパパ、中年童貞ニートって言ってなかった? 童貞って」
「お前……やめろ、同級生なんだ。俺なりに気を遣ったんだよ」
「どうして童貞を抜いたのさ?」
「バカ娘が! 童貞かどうかなんてわからねぇだろうが」
「え? 童貞に決まってるよ、こんなキモオジ。ちゃんと中年童貞ニートって言いなよ」
「ああ! もういい、小娘は黙ってろ」
「はぁい」
そんな屈辱的な会話を目の前でされた隆史は赤くなって小刻みに震えていた。
「その、なんだ。悪かったな……この小娘が言いたい放題言っちまって」
備前は申し訳なさげに言った。
「仕方ないかな……自分でもわかってるし」
隆史は自虐的な笑いとともに答えた。
備前は真面目な顔に戻って問う。
「じゃあこのあと、自分がどうなるか、わかるか?」
「わからない……死ぬしか、ないかも」
「死にたいのか?」
「わからない……でも、死んでもいいと思ってはいる」
「なら死んでやれよ……さっきお前の母親と話をしたが、お前のことで泣き出しちまったぞ」
「……知らないよ。こっちは産んでくれなんて頼んでない」
「ははっ。その歳でそれが言えるんじゃ大したもんだ。普通なら自分の子どもがいる歳だぞ」
「ガキくさ〜」
備前が笑うとすかさず加奈子のヤジが入る。
「お前、まさかそれを理由に親にまで暴力振るうのか?」
「違う。別に好きでやってる訳じゃない」
「ふぅん。ま、家でしかデカい顔できないもんな。一歩外に出りゃあお前以下の存在を探すほうが難しい……だからそこの小娘に何を言われようが立場を弁えて何も言い返せない」
「やーいやーい」
「……うるさいな」
「両親も報われないよな。お前のせいで穏やかな老後がパァになっちまったんだから」
「全部、俺のせいだって言うのかよ」
「少なくともお前の母親は俺にお前をなんとかしてくれと頼み、その結果、自分は施設で不自由な暮らしを迫られ、この家を手放すことになった」
「……そんな」
「ま、母親にも年金を掛けなかったことやゴミを産んだ自己責任があるがな。本人もそれを認めて、先の短い人生は俺の養分として我慢するとさ」
「……人の母親をなんだと思ってるんだ」
「ははっ、お前のサンドバッグなんだろ?」
「うわ、パパそれエグいて」
加奈子はケラケラと無邪気に笑っている。
「お前が死んだら、お前の両親は喜ぶんだろうな」
「うわああああぁっ!」
すると隆史は突如として奇声を発した。
「な、なにっ!? どうしたのこの人っ!? こわっ!」
加奈子は隆史の意味不明な叫びに動揺するが、それを目の前で聞いていた備前はまったく動じない。
「気にするな小娘。子どものまま歳だけ取っちまって、叫ぶ以外の抵抗ができないんだ」
「あ〜。良く子どもがバリバリ君買って買ってぇ〜! とか大声で駄々こねるヤツ?」
「それだ」
「うっわ、ダッサ〜……」
「ははっ。隆史お前、もう少し大人の対応しないとこんな小娘にも笑われてるぞ?」
「うるさいな! ……もういいだろ? いい加減出てってくれよ!」
「何言ってんだお前。出ていくのはお前だ。この家はもう売るんだよ」
「出てけ〜! クソニート〜!」
加奈子は応援するように手を上げて馬鹿にしている。
「ううぅ……! ううぅ〜……!」
もはや自分の怒りさえ言語化できない状態であろう隆史は動物のような呻き声を上げていた。
そこまで隆史の感情を乱したところで、備前の表情はとたんに柔らかくなる。
「安心しろ、俺がお前の居場所を作ってやる。悔しかろうが、恥の上塗りは避けられるだろ? お前、そうでもしないと自分で生きていけないんだから」
「ああそうだよ! 無理だよ! 俺には何もできないよ! ……もう、どうすりゃいいんだよぉ」
備前は隆史の肩に手を置く。
「俺に任せろよ。住む部屋も与えてやる。生活保護も受けさせてやる。そうすればお前の両親も少しは安心できるってもんだろう?」
「大丈夫。パパは優しい人だよ〜?」
加奈子にも優しい声を掛けられて、隆史の表情はいくぶん和らいだ。しかしそれでも不安は払拭しきれない様子だった。
「でも……いきなりじゃ……」
「だが、いつならいいって訳でもないんだろう? だったら今日からだ」
「明日やろうはバカやろうだねっ!」
「だけど……」
そう言って煮えきらない態度の隆史の首に備前は腕を回して、今度は低い声で言う。
「そうやって優柔不断にしてきた結果がこれだ。わかってんのか?」
「う……」
「言っとくがお前に拒否権はねーぞ? 自分で歩いて出るのか、ボコボコにされて出るのかの違いだけだ」
それを聞いて隆史の呼吸は荒くなる。
備前の態度の乱高下に隆史は目を回しているようである。
「ハイかイエスで答えろ。今すぐでいいよな?」
備前の脅しのような言葉に、隆史はおそるおそるだが頷くしかない。
「大丈夫。お前の大事なエロゲはあとで運んでやるからよ」
備前は優しく微笑むが、隆史は底知れぬ恐怖に囚われている様子だった。







