8050問題(2)
老婆から語られたのは典型的な8050問題による将来への不安だった。
夫婦は二人三脚で自営業をしてきたが、最近になって夫が施設入所、年金では精一杯だ。
年金は夫にしか掛けてこなかったため、残された妻とひきこもりの息子が無収入になったという良くあるパターンだ。
「息子を、なんとかしてください」
老婆はそう言って頭を下げた。
「では、私からあなた方への提案をしましょう」
話を聞いた備前は淡々と言った。
「すでにこのような事態となっていますから、痛みを伴わない解決は図れませんよ? その覚悟はありますか?」
老婆は唇を噛んで頷いた。
「まずは、あなた方は今の自分たちの価値を知る必要がある」
「私たちの価値、ですか?」
「ええ。こんなに立派な家まで建てて、自営業でそれなりにやってきたプライドもお持ちでしょう」
「……そうですね、若い頃は苦労もしました」
老婆は昔を思い出すように誇らしげに答えた。だが備前がそれを言わせたのはその誇りを圧し折るためだった。
「ですが結果を見れば、今やあなたも息子も無収入。生きれば生きるほど社会に負担を掛ける存在と成り果てた……言わば死んだほうが周りに喜ばれるマイナス価値の存在です」
「……耳が痛い話です」
「ですが事実。ですのでこれから私が勧める話は、あなた方の人生を全否定したうえで進めます。嫌ならここで話を切っていただいて結構です」
「いいえ……お話を、お願いします」
老婆が重く頷いたのを待って備前は続ける。
「簡単に要点を言えば、この家を処分して、あなたは然るべき施設へ、息子は私が用意したアパートへ、家族バラバラとなって生活をしていただくことになります」
「施設……ですか? ですがそんなお金などウチにはありません」
「そこは生活保護を申請してもらいます。以後の生活は、有料老人ホーム等の施設内で、保護費の中でやりくりしてもらいます」
「ですが、せっかくこの家があるのに……」
「家さえあればメシが食えますか?」
「それは……」
「それに勘違いしてもらっては困ります。社会にはあなた方のような人には死んでほしいと言う人間が沢山いるんですよ?」
老婆は唇を噛んだ。
「社会全体に生かしてもらおうと言うのに、文句や自分勝手な希望だけは言えるとでも?」
備前は何も言えなくなった老婆を睥睨して淡々と言葉を紡ぐ。
「さらに息子さんのような将来への負債をも残していくなんて、まるで社会の足を引っ張るために生まれてきたようなものだ」
「……そこまで言わなくても」
「私が言わなくても、そう言う人はいるという話です。言われたくなければ自分たちで解決すべきでしょう? 解決できるんですか?」
「……できません」
「ならばこれを機に、忸怩たる思いとともに自分たちの価値を再認識し、手助けしてくれる私の話に耳を傾けるのが得策だと思いますが」
すると老婆は泣き出した。
「老い先短い私たちはいいんです。ですが息子は、息子だけでもなんとかなりませんか?」
備前は微笑み掛けた。
「私の話を聞いていただけるのであれば手はあるでしょう」
そして老婆は長い沈黙ののちにひとつ頷いた。
「備前さんに、全てお任せしたく思います」
「わかりました」
備前は抑揚なく頷いた。
そしてその後、備前と老婆で事務的なやり取りがなされた。
「さて、ではあなたについては私が用意する有料老人ホームに入所しますので、以後、生活上の心配はありません。施設利用料の支払いや生活保護費の金銭管理は私が行う契約となります。もし身体の状況が悪化をすれば介護認定などは自由に行っていただいても構いません、それから……」
備前は老婆がその意味を理解していないだろうと承知のうえで質問を許さずひと通りの説明を終えた。
「もちろん金銭管理に係る報酬は保護費の中から私が徴収させていただきますので、通帳類はお預かりさせていただきます」
それは生活保護費から有料老人ホーム利用料を引いた残額ほぼ全てを備前が受け取る自由のない生活を老婆に強要するものだ。
施設に入って安定した暮らしができるようになれば、そこからは長生きする限り搾り取っていける算段である。
現実にはその金銭管理すら施設側が行って限度額いっぱいまで利用料請求する有料老人ホームすら存在する。
要するに老人は金のなる木で、施設がそれを培養する形だ。
「さて、そうなると残る問題は息子さんですね」
備前が言うと老婆はおずおずと尋ねる。
「それなんですが……せめてこの家だけでも、息子のために残してあげることはできませんか?」
備前は顔色ひとつ変えずに答える。
「それが必ずしも息子さんのためにならないことを理解していますか?」
「それは……どういうことでしょう?」
老婆は首を傾げる。
「それが良かれと思っての判断だとしても、息子さんの首を絞めかねないということです。住宅の維持費どころか、自分の生活費すら稼げない息子さんにとっては」
「そうですね……」
「それに持ち家だと生活保護受給の妨げになるでしょう。息子さん、保護が貰えなかったらどうなります?」
ちなみに持ち家だと必ず生活保護が通らないという訳ではないが、備前はそれに脅しを含める都合上で言葉を選んでいる。
息子が無収入で一人世帯となるこのケースでは保護が通る可能性は高い。しかし養分とするべく管理化に置くにはこの家を追い出してしまったほうが備前にとって都合が良いからだ。
「わかりました……売却しましょう」
何も知らない老婆は頷くしかなかった。
「では、この家の売却代金はどうなるのでしょう?」
「名義はたしか旦那さんのままでしたね。なのでまずは旦那さんの了承を貰っていただきます」
「もし夫が売却に納得しない場合は……?」
「この件は白紙に戻します。息子さんの処分も自分たちの責任でどうぞ」
「わ、わかりました……善処します」
「それがいいでしょう。家族がそれぞれ別の生活をなさる以上、もうこの家は役目を終えていますから。ぜひ旦那さんにも息子さんの処分とセットにして考慮してもらってください」
「わかりました……」
老婆の不安げな表情に備前は畳みかける。
「この家は自分たちで売却できますか?」
「近くの不動産屋にでも相談してみようと思いますが……」
そこで備前の目は鋭く光る。
「その不動産屋は、これからあなた方が生活保護を受けようとしていることまで考慮して手続きをしてくれそうですか?」
「え? それはどういう……?」
「いやぁ、例えば、例えばですよ? 売却するまでの間に旦那さんに万が一があった場合、代金は相続人であるあなた方に入ります。するとどうでしょう? 場合によっては今まで支払った生活保護費を返せと福祉事務所に求められることもあるのです。場合によっては保護を止められたりも……」
「そ、それは困ります……」
「でしょう? ただ、普通はそこまで客の背景を考えて動いてくれる不動産屋なんかいませんよ。売買のことしか考えてませんから」
「で、では正直に生活保護を受けるつもりと話して色々教えてもらっては……?」
「おっと、それは一番まずい。足元を見てくれと言っているようなものではないですか」
「それでは、いったいどうすれば……?」
「もしご希望とあれば、私が代理人として上手く立ち回っても良いのですが……もちろん手数料はそれなりにいただきますがね?」
老婆は項垂れた。
「わかりました……備前さんに何もかも、お任せいたします」
「はい。何から何まで、全てお任せください」
備前はほくそ笑んだ。







