支給開始と医療扶助
■■細かいので省略して良い事前説明(始め)■■
生活保護が開始されると、被保護者は国民健康保険等の資格を失うことになる。つまりは保険証がなくなる。(社会保険や介護保険等の一部は除く)
なので代わりに福祉事務所から診療依頼書のような紙を貰って病院へ持っていく。
診療依頼書とは、生活保護者の保険証のようなものだと考えても差し支えない。
病院に通うのにわざわざ窓口で①傷病届を出して、②診療依頼書を貰って、③病院へ、と面倒だと言われるが、大体の場合、継続受診なら最初の1回目だけ病院の窓口に出せば良い。
最近までコロナ禍で接触をさけるため電話連絡で済んでいたのが収束によってまた元に戻りつつある自治体もある。
また、受診する病院も指定医療機関である必要があり、要するに『生活保護者お断り』の医療機関もある。
生活保護者を診察した医療機関へは、後日福祉事務所から医療券と呼ばれる書類が届き、医療機関はそれを用いて医療費を請求することになる。薬局も大体同じ。
医療費は医療扶助として、全額が生活保護費で賄われるから被保護者は医療機関を受診し放題なわけである。
■■細かいので省略して良い事前説明部分(終わり)■■
I市福祉事務所の窓口で備前は腰をさすりながら言った。
「悪いね安岡君……ついうっかり腰を痛めてしまってね」
両脇には付き添いとして加奈子と佳代を伴っている。先日のギックリ腰がどうにも辛くて備前は病院に通うべく窓口を訪れていたのだった。
生活保護受給者が医療機関で受診するための手順としては、まず福祉事務所に傷病届を提出することになっている。そうすると代わりに診療依頼書という書類が貰えるので、これを病院に持って行けばお金を払わずに受診できるという訳だ。
「両手に花で羨ましいですね備前さん」
そう言う安岡の言葉には明らかな皮肉が含まれているが、備前はまったく意に介さない。
「備前さんのことだから、てっきりマッサージを受けさせろとか言うのかと思いました」
備前本人、加奈子に続いて先日は石田までもを連れ込んで生活保護申請をさせたものだから担当となる安岡の目は疑いに満ちている。
「でも、その様子では本当に腰をやっちゃったみたいですね」
生活保護制度では柔道整復やマッサージの類は簡単には認められない。要は最低生活をすべき生活保護者が贅沢を言うなという訳だ。
「歳は取りたくないものだね……ちゃんと整形外科にでも行くことにしたよ」
「わかりました。ちょっと待ってて下さいね。すぐに診療依頼書を出して来ますから」
「すまないね。俺のような人間など治療する価値もないのに忸怩たる思いがあるよ」
「……またまたそんなことを」
「本当さ。保護者なんか誰ひとり養ってくれない、言わば家族からも不要の烙印を押された存在だからねぇ。そんなのに医療扶助なんか出すのは惜しいだろう?」
「そんなこと、俺が肯定する訳がないでしょう」
そう言って安岡は一度窓口を離れ、少しして書類を一枚持ってきた。
それを受け取って備前は軽く微笑む。
「ありがとう安岡君……それから、ついでに聞くけど、俺の財産は見つかったかい?」
少し挑発を含む備前の表情を見て安岡は少し悔しそうにした。
「いえ、今のところは」
「そうだろうねぇ……で? 結果はいつ出るのかな? 調査期間を30日まで延長するつもりかい? なんなら、生活保護法第28条第1項の規定により立ち入り調査をしてくれても構わないよ?」
備前は余裕の表情で安岡を煽っていた。
「そんなことをしても、どうせ何も出てこないんでしょうね……いったいどうやって財産を隠したんですか?」
「さぁてねぇ……その方法は俺だけが知ってればいいんだよ」
安岡は項垂れた。
「実は、甚だ不本意ではありますが、先日のケース会議にて備前さんの保護開始が決定されました」
備前は鼻で笑って言う。
「まぁ、嘘だとわかってても拒む理由がなければ仕方ないだろうねぇ」
「俺の力が及ばないばかりに残念です……でも、備前さんの財産調査はこれからも継続して、特に念入りにするよう上からも言われました……覚悟しておいてくださいね」
「ははは、楽しみだよ」
備前は余裕の態度で笑っていた。
そしてそこで一度備前への対応は置くことになり、安岡は隣の加奈子に向けて言う。
「それから、同時に笹石加奈子さんの保護開始も決定されましたのでお話しておきます。おふたりとも正式な書類は追って郵送しますが、初回の支給日はこちらの日となります」
安岡はカウンター備え付けの卓上カレンダーに丸をつけて支給日を示した。
「備前さんがいるので不必要とは思いますが、保護開始にあたっての説明事項や聞取り事項などがありますので初回は現金支給とさせていただき、窓口で交付します。ぜひお時間に余裕を持って来所してください」
「わっかりました!」
加奈子はわかっていなそうに元気に答えた。
「さて、では本日のご要件はこれで済みましたか?」
最後に安岡は三人にそう尋ねた。
「ああ。時間を取らせて悪かったね」
そう言って腰をさすりながら立ち上がる備前を両脇から支えるようにふたりの美女も席を立つ。
「お大事にしてくださいね」
そんな様子を複雑な表情で見つめながら、言葉だけは心配を込めて安岡も立ち上がった。
これで備前たちが歩きだせば応接終了、そんな顔が安岡に見れてとれたときだった。
「おっと忘れるとこだった。実は大家から石田の入居費用請求書を預かって来たんだ」
その大家が隣にいる佳代であることを敢えて言わぬまま差し出された請求書。
安岡は言われるがままにそれを手に取った。
「安岡君。悪いけど、それも頼むよ」
当然のように規定の上限額ピッタリの請求書を見て安岡はさらに肩を落としたのだった。







