佳代(6)
生命の危機ですらある状況を前に、心の芯から泣き喚いて見えるふたりの大人を見て、備前は少し矛先を見失いかけた。
「本当に低能だな、お前らは」
ひとつ大きくため息をついたあと、困ったように言った。
「そんなふうに綺麗にまとめようとしたところで、現実はそんなに甘くねぇんだよ。大体、今ですら金に困ってる最底辺の男が、今から心を入れ替えればどうにかなるだなんて本当にそう思ってんのか」
「「それは……」」
佳代と石田はともに言葉を失った。
「世の中にはな、死んだほうが救われる命もあんだよ」
備前は石田を睥睨して言った。
「お前のように人間になりきれなかった亜人はな。自分のためにも社会のためにも死んだほうがいいんだ」
「はい……それはもう、十分にわかりました……」
石田はもう、備前に逆らう気概がまるでなくなっていた。
「これから先どうやって生きていけばいいのか、イメージできんのか?」
「それは、まぁ……なんとか働いていきますから……」
石田が視線を泳がす様子を備前は決して見逃さなかった。
「じゃあその方法を具体的に言ってみろ」
「え? ……それは……これから探して……」
「ほらな、その程度の認識じゃねぇか。俺はお前のような亜人を多く見てきた。大した能力も職歴もなく、前科もある……ハッキリ言ってやろう。まともになれる職なんかねぇんだよ。そもそも社会から必要とされてねぇんだ」
「……そう、でしょうね」
「だからここでお前を生かして帰しても、結局はまた金に困って誰かに迷惑をかける。亜人は死ぬのが一番社会のためになるんだ」
「……やっぱり、俺はここで死んだほうがいいんですね」
「そうだ。……だが、たったひとつだけ、お前の命に価値を持たせる方法がある」
「そ、それは……お願いします! それを俺に教えてください!」
備前は口の端を吊り上げて邪悪な笑みを浮かべた。
「簡単だ。俺の養分になればいい」
「養、分……?」
「詳しいことはあとで教えてやるが……要はお前は生活保護を貰って、その一部を俺に流せばいいんだよ……今日の件でお前は俺に大きすぎる借りができた……その謝罪と感謝の気持ちを金額で示せばいいんだよ、これから一生、余計なことは考えずに……安いもんだろう? ここで死んだと考えればよぅ」
「あ……あ……は、はい……」
「よし。ならまず契約をしようじゃないか……そうすればお前を解放してやってもいい。変な気は起こすなよ? また殺しに行くぞ?」
「は、はい! 二度と! 二度とアニキには逆らいません!」
「よぉし、それでいい……安心しろ? これでも俺は身内には優しいんだ、なあ佳代」
「う、うん。マー君、本当はとてもいい人だから……亜希人も安心していいよ」
「わ、わかった……黙って従います……」
石田は緊張の面持ちで唾を飲み込んだ。
「大丈夫だ。そう固くなるな……良く考えてみろ。今でさえお荷物であるお前のような亜人が、この先さらに老いていく一方だというのに自力で生活していけるのか? それだったら贅沢はできなくても安定した収入が保障されるほうがいいんじゃないのか? 生活保護ってのは国の制度だぞ? 安心できるぞぉ……?」
備前はここぞとばかりに石田の心の隙間に誘惑を流し込む。
「で、でもいいんですか? これでも、簡単な肉体作業くらいなら、まだ俺でも……」
「いいんだよ……いくらこの国が慢性的に人材不足だとは言っても、不足しているのは『普通の人間』だけなんだ、亜人じゃない。亜人はな、職場にも社会にもいるだけで迷惑なんだ。だから多少の金を渡して黙って大人しくしておけって言うのが、この制度の本質なんだよ……だから、亜人は働かないほうがいいんだよ」
備前は石田を悪の道にそそのかすよう邪悪に語りかける。
「で、でも……」
「なぁに……社会全体で飼っているペットだと思えばいい。お前は小学校の頃、ウサギ小屋のウサギを働かせていたのか? 常に廊下をウロチョロされたらと思うとどうだ?」
「……いないほうが、いいです」
「そうだ……そして、それが今のお前の価値なんだ。だが大丈夫だ。この俺がその価値を最大限に使ってやるんだからな。もちろん、お前にもエサはやるぞ……?」
「は、はい……ありがとう、ございます」
「よぉし……それじゃあ、この契約を以て、お前も俺の身内だよ。大丈夫、これからは俺が守ってやるからなぁ……」
「は、い……ありがとうございます、アニキ……」
アメとムチを駆使して対象を精神的に支配する方法は思いのほか多い。一般的な生活を送っている人間からすれば想像もつかないような世界だろう。だがむしろ、貧困ビジネスと呼ばれる業界では当たり前のように存在している手法だ。
備前はこうして子分のような新たな養分、石田亜希人を獲得した。その取り分は加奈子よりも遥かに大きな金額である。
その後、石田は飼い殺し部屋として佳代のアパートの古くなった一室を与えられ、後日、備前に伴われてI市福祉事務所の相談窓口に赴くことになるのであった。
「マー君、これで良かったんだよね?」
石田をボロアパートに突っ込んだあと、佳代は備前に問うた。
「もちろん。迫真の演技だったな。佳代には驚かされたよ」
「私は亜希人が窒息死してたらと思って気が気じゃなかったよぉ……」
「そしたらそのまま埋めるしかなかったな」
「あ~……やっぱりマー君ならそう言うよねぇ」
そう言って佳代はケラケラと笑った。
「佳代も元夫が殺されかけたのに軽いもんだな」
「それはまぁ……マー君の手を汚したくなかっただけで、本当は死んでほしいくらいだし」
備前はそんな様子を見て鼻で笑った。
「しかしまったく、小娘の奴がとんでもねぇことしやがるから大変な目に合ったよ」
「まぁまぁ。加奈子ちゃんもマー君を心配してやったことなんだから」
「スコップの鋭角面でフルスイングとか、どうなってんだアイツは」
「あ、それマー君が言っちゃうんだ」
「俺はいいんだよ。クズであることを認めているからな」
「私も、どーしてクズにばっか惹かれちゃうかなぁ……」
「そりゃあ佳代もクズだからだな」
「私たち、クズしかいねーのかよ!」
そう言ってふたりは笑い合った。
「でも結果的に、あの人を追い返すどころか養分にしちゃったねぇ」
「まぁな。殴られた価値があったってもんだ。あの亜人からはこれからボロ雑巾のように搾り取ってやるつもりだ」
「あ、あんまり絞り過ぎて、また私のところに来ないか心配だよ……」
「あの様子じゃあ、もう俺に逆らう気も起きねぇだろう。ま、念のためあとで釘を刺しておいてやるよ」
「ありがとマー君!」
佳代は嬉しそうに備前に笑顔を向けたあと、思い出したように言った。
「あれ? でも、あの人がここに住みついたら、私とマー君はずっと付き合ってるってことにしないといけないのかな?」
「ぐあ……」
備前は露骨に嫌な顔をした。
「そんなに嫌な顔しないでよ~……。私のほうは本当にマー君のこと好きなんだから……」
「面倒くせぇ……本当に面倒くせぇ……」
「ごめんねマー君。あの人に怪しまれるといけないから、今度から私、マー君の部屋にお泊まりに行くね? だからマー君も、たまには私の家にお泊りに来てね?」
「お、俺の日常をなんだと思ってんだ……」
「ふふ~ん!」
佳代は可愛げに微笑んで備前の腕に飛びついた。
備前は心底、嫌そうな顔をした。
お読みいただきありがとうございます。
当作品の本筋では備前やその家族を取巻くヒューマンドラマも考えてますが、個人的にはダラダラとオムニバスのように養分獲得ケースを展開していきたいと思ってます。
みなさんの生活保護制度に対する考え方も教えてもらえると嬉しいです。
気が向いたら地文の肉付けもしようと考えていた自分向けの備忘録も兼ねて。