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黒髪の少女

Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ

A:???

「お、おはよう」


 不意に声を掛けられ、黒髪の少女は振り向いた。早朝の澄んだ冷たい空気が頬を撫でる。どこか落ち着かない様子で勇者は視線をさ迷わせている。黒髪の少女は驚きを顔に示した。心外そうに勇者は口を尖らせる。


「何を驚く」


 驚きを表してしまったことに気付き、黒髪の少女は表情を消して息を整え、勇者に向かって頭を下げた。


「申し訳ありません。貴方が誰かにあいさつをする姿を初めて見たもので」

「俺だってあいさつくらいする」


 渋面になり、どこか気まずそうに勇者は視線を逸らせた。黒髪の少女は「それは失礼を」と再び頭を下げる。勇者の顔が不機嫌なものに変わり、二人の間に居心地の悪い沈黙が流れた。


「このような時間に、何を?」


 沈黙を破ったのは少女のほうだった。少女は勇者に意味のない問いを投げかける。それは沈黙を厭うての問いであり、問いへの返答を期待したものではない。少女の視線がさりげなく足元に向かう。これから干さねばならない洗濯物が足元のカゴの中にあった。


「……お前を、捜していた」


 口をもごもごとさせて言った不明瞭なその言葉に、黒髪の少女は意味を捉えかねたように眉を寄せた。訝しげな視線は勇者をさらに不機嫌にしたようだ。勇者は視線を逸らせたまま、やや早口にまくしたてた。


「今日は出掛ける。お前も来い。どこがいい? 海か、山か、湖もいいぞ」


 黒髪の少女は戸惑いを隠せない様子で勇者を見る。


「しかし、私はこれから仕事が」

「そんなものは他の誰かにやらせておけ!」


 少女の言葉を苛立たしげな怒声で遮り、勇者はすぐに後悔を顔に滲ませた。怒鳴るつもりはなかったのだろう。だが後悔はしても謝ることはない。謝ることで失うものがあるのではないかと怖れるのは成熟できていない精神の現れだろうか。

 怒声に驚き、黒髪の少女は思わず胸の前で手を握った。勇者は無言で少女に手を伸ばす。勇者の手が少女の手に触れ、弾かれたように手を引き、再び手を伸ばして、勇者は強引に少女の手を掴んだ。


「来い!」


 手を掴んだまま、勇者は早足で歩き始める。残された洗濯物を何度も振り返りながら、黒髪の少女は行き先も分からぬまま、勇者に連れていかれることとなった。




 町には町に住まう者が、森には森に住まう者が、海辺には海辺に住まう者がいるように、山には山に住まう者がいる。獣を狩り、山菜を採り、草木で布を染め、山の恵みによって生きる者たち。勇者が現れ、王に力を示すよう求められて吹き飛ばした山にも小さな山村があり、慎ましやかに暮らす人々がいた。不意に襲った『勇者』という名の災厄は彼らの生きた場所も、痕跡すらも消し去り、もはや誰も彼らのことを憶えていない。災厄を偶然にも生き延びた六人を除いて。


 一人は狩人。山深くに獲物を追い、隣の山まで踏み入っていた。

 一人は戦士。村を離れ傭兵として、戦いの場に身を置いていた。

 一人は魔法使い。神童と呼ばれ、都の魔法学院の学び舎にいた。

 一人は料理人。豪商の邸宅に呼ばれ、料理を振る舞っていた。

 一人は村娘。祖母の薬をもらうために山を下り、薬師を訪ねていた。

 一人は教師。王宮に招聘され、その知恵を授けるよう乞われていた。


「どうして、こんなことを――?」


 何もなくなった故郷が六人を引き合わせる。夫を、妻を、子を、親を奪われた理不尽が六人を一つの目的へと集約させた。


『勇者に報いを』


 その言葉は誓いとなり、各々の胸に深く刻まれている。




 湖が夕日を反射して輝いている。その美しさを水晶にたとえられる湖のほとりに、勇者は黒髪の少女と共に立っていた。山か海か湖か、と聞きながら、結局勇者は少女の回答を待たず、この湖に連れてきていた。


「きれいだろう?」


 なぜか誇らしげに勇者は言った。名も知らぬ鳥が遠くで鳴いている。黒髪の少女は「はい」と答えた。その言葉が偽りでないことを証明するように、少女は湖をじっと見つめている。


「……故郷に、よく似た湖がある」


 ぽつり、と勇者がつぶやいた。少女は勇者の横顔に視線を移した。勇者はまぶしそうに湖を見ている。


「貴方の故郷も、こんなふうに美しいのですね」


 少女の言葉に「うん」と幼く答え、勇者は飽きることもなく湖を見ていた。夕日が沈み、天の星々を湖が写し取って、深く濃い闇に無数の小さな光が瞬いていた。




 薄暗い廃屋に二人の人物の姿がある。一人は丸眼鏡に白髪交じりの初老の男。憔悴し頬のこけたその男は、もう一人――黒髪の少女と向かい合っている。黒髪の少女が仮面のような無表情で、しかしその瞳だけは強く光を宿しているのに対し、初老の男は苦く迷いをその表情に示していた。


「……残っているのは君だけだ」


 うめくように、重く澱むものを吐き出すように、初老の男が言った。黒髪の少女は小さくうなずく。


「分かっています」

「いや、分かっていない!」


 血走った目で初老の男は叫んだ。


「残っているのが君だけだということは、君が今、やめたとしても誰からも責められはしないということだ! 皆がそれぞれに役割を果たし、死んだ! だが、その死に意味はあったのか!? 私は――」


 両手で顔を覆い、初老の男は床に膝をついた。


「――私は、皆に、復讐以外の道を示すべきではなかったのか?」


 黒髪の少女は初老の男の肩に右手を置く。


「最初におっしゃったでしょう? 我らは死人となったと。もはや惜しむべき命も、望む未来も私には無い」


 初老の男は無言のまま、かすかに肩を震わせている。


「自分の策を信じて、先生。大丈夫、決して無意味じゃない。みんなの死は間違いなく勇者の心を揺らしている」


 祈るように目を閉じ、黒髪の少女は胸の前で両手を握った。


「今、私は誰よりも勇者の近くにいる。その確信がある。間違いなく勇者は殺せます。私が――」


 黒髪の少女は目を開いた。未来を打ち棄てた虚ろな決意がその瞳の奥にあった。


「――必ず、勇者を殺します」


 床に額が付くほどに身体を折り曲げ、すまない、と繰り返す初老の男のすすり泣く声が、廃屋に響いている。




 穏やかな陽光が部屋の窓から射しこんでくる。勇者は窓辺からぼんやりと外の景色を眺めていた。黒髪の少女はテーブルでリンゴの皮をむいている。シャリシャリという音だけが聞こえる。


 少女を湖に連れて行った日から後、まるで憑き物が落ちたように、勇者の『災厄』は鳴りを潜めた。理不尽な要求は減り、気に入らぬからという理由で他者を殺すこともなくなり、人々はいつ元に戻るかもしれぬと思いながらもようやく訪れた平穏に安堵している。

 もはや勇者は黒髪の少女と共に在る日々だけを望んでいるようだった。世界の全てを蔑むような瞳も、あらゆる人間を無価値と断ずる表情も消え、欲のままに力を振りかざしていた時よりもはるかに心穏やかに過ごしている。黒髪の少女が勇者を変えたのだと人々は噂し、彼女を天が遣わした精霊ではないかと言う者まで現れている。


 皮をむき終え、八等分して芯を切り離し、リンゴを皿に並べると、黒髪の少女は懐にナイフを仕舞った。立ち上がり、皿を勇者の許へと運ぶ。


「どうぞ」


 勇者は振り返り、皿からリンゴを一切れつまみ上げる。


「ありがとう」


 勇者が微笑み、黒髪の少女もまた、微笑みを返す。外から風か吹き込んでカーテンを揺らせた。窓辺に小鳥が止まり、チチチと鳴く。勇者が小鳥に視線を移して笑った。穏やかな、穏やかな午後――


 少女がリンゴの乗った皿を手放す。皿が床に落ちて割れ、リンゴが散らばる。勇者がハッと少女を振り返る。少女が懐に手を入れる。ナイフの柄を握り、少女は勇者に向かって踏み込んだ。明確な殺意に反応した『加護』の光が少女を貫く。


「どう、して――」


 勇者は呆然と少女を見つめる。少女の握るナイフの柄に刃はない。


「……ああ、これで、ようやく――」


 かすれた声でそうつぶやき、少女はそっと両手を勇者の頬に添えた。慈母の如く微笑み、血の味のくちづけを残して、少女の身体は崩れ落ちた。膝をついて勇者は少女の亡骸に触れる。


「あ、ああ――」


 見開かれた両の目から、ぽたり、ぽたりと涙がこぼれる。声にならぬ絶叫を上げ、勇者は泣いた。勇者の身体から『加護』の光が放たれ、それは刃の形を取って、勇者の心臓を貫いた。

Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ

A:無敵の勇者の力で殺す


正解

自ら望んで自らの存在を否定したとき、無敵の勇者は死ぬ。

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