魔法使い
Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ
A:魔法で殺す
王都にほど近い小さな山村は奇妙な緊張に包まれていた。特に見るべきものもない山奥のごく普通のこの村を、何を血迷ったか勇者が訪れるという。無論この村が目的地のはずはなく、どこか別の場所に向かう際の途上にこの村がある、というだけのことなのだが、村長は近隣の村を駆けずりまわって金を集め、勇者を歓待する準備を整えねばならなかった。勇者は少しでも気に障ることがあれば簡単に殺すと聞く。何か一つ失敗すれば、この村が地図から消滅しかねないのだ。
借財を重ねてどうにか金を工面した村長は、息を吐く暇もなく次の難題に取り掛かる。それは、村を訪れた勇者を笑顔で出迎え、歓迎の花束を渡す娘を選定することだった。この小さな村に年頃の娘は数えるほどしかおらず、その誰もが泣いて拒んだ。勇者の噂は誰もが知っている。今や勇者は村人にとって、人食い鬼よりも怖ろしい化け物なのだ。ほとほと困り果てた村長は、偶然村に立ち寄った旅人に相談を持ち掛ける。期待もせずにしたその相談に、意外にもその旅人は一つの解決策を提示した。
「知り合いにちょうどよい年頃の娘がいます。私から頼んでみましょうか?」
丸眼鏡に白髪交じりの旅人は、人の好さそうな笑顔を浮かべる。村長は一も二もなく飛びついた。
勇者と呼ばれるようになった若者は、各地を巡って魔物を殲滅し、人々を救ったという。彼は最初から最後まで仲間を作らず、魔王との最後の戦いに臨んでさえ、他者の協力を拒んだ。当時の人々はそれを他者を犠牲にせず己だけで全てを背負っているのだと讃えたが、現在においてその評価は否定されている。勇者は独りで全てを背負ったのではなく、単に他者を信用していなかったのだと、当時勇者を讃えた人々は今、口をそろえる。
勇者を出迎えるため、村人たちは村の入り口に集められる。勇者が来れば全員で地に額を付けて歓迎の意を表さねばならない。勇者の機嫌を損ねないことだけが彼らの生き延びる道だ。村人たちの顔は強い緊張に強張っている。
そんな中で一人、金色の髪の少女だけが、ひどく平静な様子で背筋を伸ばし、勇者が来るであろう方向を見つめている。この少女が、あの人の好さそうな旅人が連れてきた『ちょうどよい年頃の娘』だった。年の頃は十二、三といったところか。村長が想像していたよりも少し若いが、そんなものは些細なことだ。重要なのは村の娘が勇者の目に留まらぬこと。そして勇者が機嫌よく村を出て行ってくれることだ。それさえ果たされればよそ者であるこの娘が仮にどうなろうとも、こちらの関知するところではない。
「どうか、よろしくお頼み申します」
村長が憐れむように媚びるように頭を下げる。軽く首を振り、誰にも聞こえぬほどの大きさで「……ごめんなさい」とつぶやいて、金髪の少女は目を閉じた。
勇者と呼ばれる若者が魔王を討ち、世界から魔物が消えて、人々は喜びに沸いた。しかし歓声はすぐに悲鳴と怨嗟に変わった。魔王討伐の褒賞を問われた勇者は世界の王の座を要求し、拒否した各国の王を次々に殺した。逆らう者に容赦はなく、村を、町を、国を滅ぼし、世界は勇者に膝を折った。魔王にすら為す術を持たなかった世界が、独りで魔王を滅ぼした勇者に勝てるはずもないのだ。ようやく勇者の本性を悟り、人々は後悔と共につぶやく。「こんなことなら魔王の方がマシだった」と。
村へと続く山道を、普段にない人数の気配が登ってくる。馬の蹄が連れてくる不吉な運命を感じたのか、村人たちの顔から血の気が引いた。村長の合図で皆が一斉に地に伏し、勇者を出迎える。
「面を上げよ」
側近らしき男が村人たちに尊大な口調で告げ、村長たちは顔を上げた。勇者は馬を降り、周囲を見渡して、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ようこそわが村へ! 勇者様に行幸を賜りますことはこの上なき誉れと存じます。何もない山村ではございますが、できる限りのおもてなしをさせていただきます。どうぞごゆるりとお過ごしくださいますよう」
あからさまな追従を浮かべ、にこやかに笑う村長の声はわずかに震えている。村長は目で村人に促し、村人は金の髪の少女に花束を手渡した。少女は花束を大切そうに抱え、花がほころんだような笑顔で勇者の目の前に立つ。
「この日を心待ちにしておりました。感謝いたします、勇者さま。ようこそ――」
少女は花束を勇者に差し出す。その手から白い光が溢れた。
「――私に殺されに」
勇者の目が驚いたように見開かれる。光は膨れ上がり、次の瞬間、耳をつんざくような轟音と共に爆発を起こした。爆風が村人を、勇者に随行する騎士たちを吹き飛ばし、木造の家屋をなぎ倒す。光が晴れたときそこにあったのは、四散した少女の遺骸と、不運な数名の死体と、数多の怪我人の呻き声と、無傷の勇者の姿だった。勇者は強く奥歯を噛み、思いがけぬ動揺を見せる。
「お前如きが命を懸けたところで、俺を殺すことはできん! なぜそれが分からない!」
勇者は怯えるように少女の遺骸に手をかざした。勇者を覆う淡い光が遺骸に流れ込み、塵へと変えていく。ひどく青白い顔をして、勇者は独り、逃げるように村を後にした。
勇者の世話を命じられてしばらくの時が経ち、黒髪の少女は淡々と業務をこなしている。その時間が教えてくれたのは、勇者が定期的に『荒れる』ことだった。普段の、この世の全てを馬鹿にしたような態度が消え、癇癪を起こしたように暴れ、壊し、女を抱く。その様子は、怯え、不安に押しつぶされそうな自分をごまかしているようだった。
――バンッ
乱暴に扉が開かれ、勇者が無言で部屋に入ってくる。その表情は強張り、顔色は悪い。おそらくは今日が『荒れる』日なのだろう。外出の予定があったはずだから、外出先で何か気に障ることでもあったのかもしれない。
勇者は部屋を見渡し、黒髪の少女を視界に捉えた。呼吸は荒く目は血走っている。勇者はまっすぐに少女に近付き、彼女の右の手首を掴んだ。少女がわずかに恐怖を示し、身を硬くする。今まで勇者が少女に触れたことは一度もなかった。
「お前は――!」
勇者はなぜかひどく傷ついたように顔を歪めた。少女の手首を掴む手に力がこもる。
「お前たちは偽物だ! 紛い物だ! なのに心があるみたいな顔をするな! 傷付いた振りをするな! しょせん作り物なんだろう! 誰かが作った人形だろう! それなのに、生きているみたいな顔をするな!!」
手の跡が付くほどに強い力で勇者は手首を握り締める。少女の顔が痛みに歪んだ。
「魔法も、魔王も、魔物も勇者も! 全部馬鹿げてる! そんなもの実在するはずがないんだ! こんな世界は実在するはずがないんだ! ふざけるな! お前ら全員、安っぽくて薄っぺらいモブだろうが!」
「……仰っている意味が、分かりません」
少女はかろうじてそう答えた。勇者はうなり声を上げて少女を突き飛ばすと、拒絶を示すように背を向けて言った。
「出ていけ! 今すぐここから出ていけ!!」
怯えて毛を逆立てる猫のように、勇者の身体がかすかに震えている。少女は勇者の背を見つめ、そして、
「……失礼いたします」
部屋を出て行った。
Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ
A:魔法で殺す
不正解
無敵の勇者を魔法で殺すことはできない