狩人
Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ
A:弓で殺す
雨が、降っていた。霧のように細かい雨。煙る視界は未来への見通しを遮る。誰の未来を、かは分からないが。
近隣に時刻を告げる教会の鐘撞き堂は、この付近では最も高い建物だ。雨さえなければここからは街道を行き交う人々の様子がよく見える。というよりも、街道を通る人々に教会の威信を知らしめるためにここに鐘撞き堂を建てた、というほうが正解だろうか。信仰厚き者たちは旅の加護を願い、そうでない者たちは旅程の現在位置を測る目印として、ある種の敬意をこの建物は集めているようだった。
鐘撞き堂の鐘は絡繰り仕掛けで、下からレバーを引けば歯車が回って鐘を揺らし自動的に鳴る。ゆえに鐘が吊り下げられている屋上に人が出入りすることはない。しかし今、そこには一人の女が座り、街道をぼんやりと見つめていた。身体を丸めてフード付きマントにくるまり、彼女は時を待っている。もうすぐ、この街道を一台の馬車が通る。勇者を乗せた豪華な馬車が。手許の弓を引き寄せた女の吐く息が白く丸まり、すぐに消えた。
勇者がいったい何者なのか、はっきりとしたことは分かっていない。王や大臣のような地位にある者なら知っているのかもしれないが、少なくとも一般に知られている限りにおいて、勇者に関わる情報はひどく少ない。分かっていることと言えば、若い男であること、誰も適わぬほどに強い力を持っていること、独りで魔王を滅ぼしたこと、そして、極めて残忍であること。その生い立ちも、縁者の存在も、魔王と戦うまではどこで何をしていたのかさえ、定かではない。
女の耳がかすかな車輪の音を捉える。何度も聞いて体に覚え込ませた、勇者専用の吐き気がするような豪奢な馬車の音だ。雨で視界が遮られようとも、その音さえ聞けば正確に勇者の喉を射抜くことができる。女にはその自信があった。だから今日を選んだのだ。雨が視界を遮るのは相手も同じ。勇者がこちらの存在に気付く前に、この弓で勇者を殺す。
「……もうすぐだ。もうすぐあの男を地獄に送ってやるから、力を貸しておくれ」
弓に語り掛け、女は目を瞑る。目を開いた時、女の瞳には獲物を狩る肉食獣の鋭い光が宿っていた。
勇者が姿を現わしたのは、二年ほど前のことだった。当時世界は、自らを魔王と名乗る異形の侵略者によって崩壊の危機に瀕していた。魔物と呼ぶにふさわしい姿のものどもを従えた魔王に諸国は為すすべなく敗れ、人は魔王に隷属するほか生き延びる道はないと誰もが諦めかけた時、その若者はいずこからともなく現れ、魔物を蟻を踏む如くに殲滅していった。人々は若者を勇者と称えた。その本性に気付かないまま。笑いながら魔物を殺戮する、その本性に気付かないまま。
馬車の音が徐々に近づいて来る。姿はまだ見えない。女は立ち上がり、雨に濡れたマントを脱ぎ去った。矢筒から矢を取り出し、気を整え、弓を引き絞る。音が、近付く。確かな殺意を乗せ、女は矢を放った。
(殺った!)
矢は大気を引き裂き、霧雨に煙る街道の向こうへと消えた。手応えを感じているように女は強く拳を握り、街道を凝視する。馬車の音は変わらず近付いて来る。女が眉をひそめ――
――ヒュッ
女が放った矢は、その軌道を正確になぞって女の元へと返ってきた。女が目を見開く。矢は女の喉を貫き、教会の鐘を穿った。
――カラーン、カラーン
女の身体が崩れ落ち、鐘撞き堂に血溜まりが広がる。馬車は霧雨の向こうから姿を現わし、何事もなかったかのように走り去っていった。雨脚は強まり、やがて叩きつけるように降り注ぐ。
――カラーン、カラーン
矢に打たれた鐘が揺れる。定刻を告げぬその鐘の音は、弔いのように周囲に響き渡った。
城に帰還した勇者を、臣下が頭を垂れて出迎える。その強大な力に比して不釣り合いなほど勇者は他者に不寛容であり、わずかでも己が軽んじられたと思えばそれが誰であれ容赦なく処刑した。勇者の機嫌を損ねぬように、城の人々はただそれだけを考え、怯え暮らしている。そして勇者は、そうした者たちに侮蔑の眼差しを向けていた。
「見ない顔だな」
私室へと続く廊下でふと立ち止まり、勇者は傅く年若い一人のメイドに目を向けた。黒い髪を肩口で揃えたその少女は、顔を上げて勇者を見つめる。その瞳に怯えの色はなく、むしろ倦み疲れ、虚無に捕らわれた諦念があった。
「本日、城に上がったばかりの見習いでございます。何か御無礼がございましたか?」
メイド長が焦ったように勇者に近付く。勇者はメイド長を無視し、黒髪の少女に言った。
「後で部屋に来い」
メイド長の顔が青ざめ、何かを言おうと試みて、何も言えずに視線を落とした。黒髪の少女は、勇者の言葉の意味を理解しているのか判断しかねる無表情で、ただ「はい」とだけ答えた。勇者はその答えに反応を示さず、興味を失ったかのように顔を上げ、無言のまま私室へと消えた。
Q:無敵の勇者を殺す方法を答えよ
A:弓で殺す
不正解
無敵の勇者を弓で殺すことはできない




