6.夜這(よば)いしますか? #空蝉
6.夜這いしますか? #空蝉
月明かりのなか、廊下を二人歩いていた。
正面がベイヴィルで、その左後ろにぼくという立ち位置だった。
「火の精霊よ。いざ我の身姿を隠し賜わん」
歩きながら光学迷彩の呪文を唱えるベイヴィルだけれど、静寂の魔法をかけているので声が他にもれることはない。
霧に紛れるようにベイヴィルが消えた。
ぼくは脳裏でベイヴィルの呪文を文字に起こした。簡潔な文章だけれど、二重になっていた。呪文は音楽でもあるけれど、その音楽データにファイルを隠しているような感じだった。つまり、安全な仮想環境で Windows を起動して〈DeepSound〉を使って〝AES-256〟で暗号化したファイルをCD−ROMに焼いた音楽CDといえば分かりやすいかしら。
分かりにくい? どう見ても白ラベルの自作CDで再生しても音楽が聞こえるだけだけれど、PCで解凍すればファイルにアクセスできるということ。
同じように、魔術師はそれにアクセスできる。非術者が正式な呪文を唱えても迂闊に起動しない。もちろん、アクセス権がない者には隠れていて〝みえない〟ので使えない。
「炎よ。いざ我の身姿を隠し賜わん」
解析が終わったぼくも呪文を口にした。
(光学迷彩なんだから光に頼むほうがいいような気もするけれど……あっ赤外線か。なるほど。だとする静かにするのにどうして火の精霊に頼むのかしら……)
「マスター、どこですか?」
「ここにいるよ。気配は感じるから、問題ない」
「ふつうはお互い〝みえる〟はずなんですが……」
「ぼくは精霊を利用していないからね」
「確かに〈異邦人〉ですね。このままパスライお嬢さまの部屋に向かいますか? それとも?」
「パスライが先だよ。君が〝死んだ〟ことを教えてあげないと」
「あのう、マスター?」
「なあに?」
「イザルトも助けてほしいのですが……」
「善処する。けれど、約束はできない」
「それでいいです。――こちらがパスライお嬢さまの部屋です」
「護衛は?」
「自宅ですよ? いる訳がありません」
「(従者二人が裏切っている事実から推察するに)覚悟を決めているんだろうな。……どうせ君たち二人が先走って、捕まって、パスライを助けるために――」
「――それ以上言ったら殺す」
ベイヴィルが睨んだ。
「これはぼくの予想だけれど――」
「――誰?」
パスライが室内から声をかけた。
(やはり監視魔術がかけられていましたね)
「……ベイヴィルです。パスライお嬢さま」
「少し待ちなさい」
パスライは用件を聞かなかった。深夜に自室に来るほどの大事だと予想できたからだろう。それに〝廊下〟に聞かせる訳にはいかない。
「どうぞ。開けたわ」
衣の音がしたあと、声をかけられた。
「失礼します」
光学迷彩で消えたままのベイヴィルとぼくが入室した。
南東の角部屋で月の明かりが美しい。
ネグリジェに上着をかけたパスライの顔は逆光で見えなかった。
ぼくがドアを閉めると、同時に光学迷彩が解除された。警護魔術の一種だろう。
(けっこう構造が複雑だな……)
「〈異邦人の魔術師〉……。ベイヴィルに何をした?」
ベイヴィルを見たパスライの横顔が美しかった。
ソースコードを解析していたぼくは不意に見蕩れていた。言葉がない。
「パスライお嬢さま」
「あなたは黙っていなさい」
「はい……」
一歩踏み出したベイヴィルが下がった。
「問題は、ディアナ辺境伯ですよね? パスライ」
結論から先に述べた。
「その名を口にすることを許した覚えはない。……どこまで知っている?〈異邦人〉」
「ミス・リヴャンテリは覚悟している」
「えっ何を?」
「あなたは黙っていなさい」
「はい……」
好奇心で前に出ようとしたベイヴィルが踏みとどまった。
「まずは、その前に。ベイヴィル、扉を守れ」
ぼくはテラスを背に命令した。
「はい」
「月よ。彼のものたちの姿を照らせ」
ぼくは月に「命令」した。単なる物理法則に頼んでも意味がないと考えたからだ。
刹那、大小二つの月が部屋にいたものたちを二重に照らした。
パスライ、ベイヴィル。それにあと二人。
「何をした?」
悪役が大きく見開きながら聞いた。
イザルトがグラディウスを構えた。
「仮説をもって質問するのが貴族の礼儀だよ。ザイザル」
ザイザルが微笑んだ。
「ダメ! その名を言えば金縛りに……え?」
ベイヴィルが警告したが、倒れたのはザイザルのほうだった。心臓を押さえている。
「〈異邦人の魔術師〉……どうやったんだ? 魔法錠か?」
パスライがぼくの敬称を口にしたあと、質問した。
「反作用魔術。使われた魔法を自動で相手に返しただけ」
「解け! 貴族の拘束は犯罪だぞ」
ザイザルが脅迫した。転がりながら言っているので緊張感はまったくない。
「そうなの?」
「はい。そもそもあの名……は真名でもないのにどうして拘束できるのか不思議です」
ベイヴィルに聞くと答えてくれた。
「ああそれは、ぼくの国には〈呪詛返し〉があるから。偽名でも返せる」
暴行の現行犯逮捕なら問題なく拘束できる。
「くっ苦しい……早く……」
「解いてやれ」
パスライが目を伏せながら、ぼくに言った。
「と言われても、鍵が何かを知らないんだ」
鏡のように無自覚で反射させたので、ソースコードを〝みて〟いない。
「教える。こっちに来てくれ。他の者には聞かせたくない。……早く解いてくれ! でないと――」
(あーコレ、パスって刺されるパターンだわ……)
「ベイヴィルもアレされたんだろう?」
「はい。もっと苦しみました」
笑顔のベイヴィルは美しかった。