5.魔術を理解するには? #ソースコード
5.魔術を理解するには? #ソースコード
一瞬で目覚めた感覚だったけれど、四時間以上は眠っていたらしい。
二つの天の川によって、夜空が二分されていた。
下弦の月が東の空にのぼっていた。今は半円の弦が上にあるけれど、昼の十二時に沈むころには茶碗をひっくり返した形になる。
その月も大小二つあった。大きな月の軌跡に小さな月が続いていた。
「ロッシュ限界……」
ふつうあれだけ近距離にあれば、双方の潮汐力で破壊されるはずだが、どうにか存在しているのは小さい衛星がラグランジュ点にあるからだろう。
さっき月は出ていなかったから、L5だとすると六〇度差があるから四時間という計算になる。
「ロッシュリミット? 何が限界なの?」
ベッドの上で膝枕をしていたベイヴィルが、ぼくの上から声をかけた。
「潮汐力。簡単な物理学さ」
「あなた、高等教育を受けているの?」
「いちおう修士だ。物理学ではないけれどね――痛い」
身体を起こすが、寝違えたらしい。
修士といってもボストンで飛び級しただけだ。良い成績を修めるのは大変だけれど、単位だけを取るなら最低の〈C〉でもできる。
「――我が名はディアナ辺境伯伴臣エンデュミオン男爵が第三子ソフィア・ベイヴィル・エピセレネである」
向かい合うと、貴族として挨拶した。ベッドの上だったけれど。
「とすると、君を従者にしているパスライもディアナ伯爵の伴臣か……」
ベイヴィルの記憶によるとそうなる。
「パスライが求めているリヴャンテリ子爵――父親は暗殺されたんだろうな」
「どうしてそれを!」
「君の記憶を見た。断片的だが――ああ自分からペラペラ話すなよ。ぼくならマヌケな罠を仕掛ける。真犯人の名前を言うだけで〝自殺させられる〟とかね」
「悪魔……」
「知の始まりはそもそも悪だよ。――それと、ぼくの名前は〈異邦人〉でいい」
「真名を知られるからですか?」
「いいや、ただ単に君に発音できないだけ」
「あなたを、なんと呼びます?」
ベイヴィルが三白眼で聞いた。
「ハニーでもマイ・スイートでもお好きに」
「人が下手に出ていればイイ気になって、殺されたいのか?」
ベイヴィルが美しい眉を上げた。
「君ならサディスティックな女王様になれるよ?」
「何ですって? ……まあいいわ。マスターでいい?」
「問題ない。さて、姫君に会いに行きますか」
ぼくは立ち上がって、靴下と革靴を履いた。
(何かの習慣なのかしら?)
靴はわかるとしても、靴下まで脱がせる理由がわからなかった。
「無理よ。貴族の魔法錠はSクラスでしか解除できない。それに――」
「――無理に空けると警報が鳴る?」
「そういうこと」
だんだんベイヴィルも理解できてきたらしい。
ドア横の木材の壁を軽く叩いてみた。
鈍い音がする。補強されているのだろう。
「隣の部屋は?」
「両方とも客間よ。ここと同じ結界で出られない。あなたを信じられなかったから」
「信じなくてもいい。――この壁を物理的に壊せるか?」
「言ったでしょう。結界があるって」
「試してくれないか。――見たものしか信じないタイプなんでね」
ベイヴィルが床に落ちていた(ぼくが投げた)グラディウスを拾うと、壁に投げつけた。
壁に当たる前に、グラディウスが向きを反転させて同じ力でベイヴィルに迫った。
体を躱して柄を手にすると、右に佩刀した。
「魔術か……。反転させて……力を増幅、いや違うな。元の状態にさせているだけか。シンプルだ」
「何をしているの?」
壁を見つめているぼくに、ベイヴィルが声をかけた。
「魔術のソースコードを〝みて〟いる」
コンピュータプログラムを閲覧するように、起動した魔術のソースコードを〝みて〟いた。
簡単な構文で作られた高度なソースコードだった。
ぼくはそれを画像記憶すると、床にチョークで書きだした。
「ドアを開けてくれないか」
書き終えたぼくがベイヴィルに頼んだ。
同じようにベイヴィルが今度はナイフを投げて、受け取った。
記憶したソースコードをさきほどの隣に書いて比較した。
「ここがこうなって、ここがいっしょで……」
「呪文を書きだしているの?」
ふつうは聞いて覚える。ベイヴィルも幼いころからそうして学んできた。初めは水の錬成からだ。空気中の水分を集めてグラスに注ぐ。高度になれば、別に大気に左右されない。呪文を書けば自動で起動するが、不用意に用いると危険なのだ。愚かなものは水のない研究室で溺死したり、人体発火させて焼死することもある。鋭利に風を切れば首が飛びかねないし、泥人形の粘土に埋もれかねない。
「できた」
書き直した呪文を画像記憶したあと、濡れたタオルで消した。#証拠隠滅
「開け胡麻」
自動でゆっくりとドアが開いた。
「え?」
「面目躍如」
「どうやって……」
「惚れるなよ? ベイヴィル」
絶句していた美女にぼくが声をかけた。
「誰が!」