3.判決はどうしますか? #フリュネ
3.判決はどうしますか? #フリュネ
秘密裁判だったが貴族衆人のなか、粗末な一枚の布を着せられたぼくが膝をついていた。
多くの罪人が膝をついたのだろう。点滴岩を穿つ冷たさがあった。
右隣には着替えた少女が立っていた。ダークブラウンの革靴にカーキ色の綿のスラックス、青色の麻のジャケット姿だった。一般的な兵士の私服だろう。髪は左にサイドテールで留めていた。左腰に儀礼用の小剣があった。紋章があるので、地位を剥奪されてはいないらしい。日本でいうところの守刀かしら。
「もう一度、問う。お前は何者で、どこから来て、どこに行くのか?」
ぼくを詰問する判事はポール・ゴーギャンを知らないらしい。
裁判官はいたが、弁護士はいなかった。前時代にもほどがある。
「口が聞けないというのは本当らしいな。――では、被告人ソフィア・パスライ・リヴャンテリ=レオンハートに再度、問おう。この者は誰なのだ?」
「リヴャンテリ。ミス・リヴャンテリです、閣下」
貴族は基本「敬称+氏」で呼ばれる。あえて、リヴャンテリ家の人間だと言うことは、レオンハート家内で確執があるということになる。なお、子爵の娘の敬称は「ミス」で、まったく何も期待されていない。
(かかわりたくないな)
というのが本心だった。
「ソフィア……。いい加減認めたらどうかね。〝異教徒〟を使ったと」
裁判長が小声で提案した。
「わたくしはコカトリスを討った。よって、リヴャンテリ子爵としての栄誉を賜りたい。それだけです」
「しかし、儀式に〝異教徒〟を使うなど言語道断ではないか」
「それは本件とは無関係です。まず、コカトリス討伐の審議を願いたい」
平行線だった。ソフィアのコカトリス討伐には議会(たぶんこの裁判と同じ連中だろう)の承認が必要で、議会としては儀式に〝異教徒〟が混じっている時点で認められない。だが、実際にコカトリスの討伐は為しており、その栄誉の一部たりとも〝異教徒〟に与えたくないというのが議会だった。
(一番簡単なのは、あの時ぼくの首を刎ねていればよかったのにな)
そうソフィアの顔を覗くと、睨み返された。
(ある意味、コカトリスより恐ろしいな)
ぼくの存在を秘匿する意見も議会にあったけれど、広場で血まみれのぼくを見た人間が何人もいる。
「この者はミス・レオンハートの従者ではないのか?」
もう一度最初の質問に戻った。騎士の従者が討ってもそれは騎士の名誉となる。従者に人権はない。前の時代、貴族の他は人間扱いされない。
「ですから、無関係ですと何度も申し上げました」
その割には、ぼくが蛇尾の頭を割ったことを述べていない。
(嘘は言っていない。――それにしてもどうして英語なんだ?)
異世界まで英語とは……。ここは日本語ではないのだろうか。
三回目の質問の前に、ぼくが手を上げた。
「何かね」
ぼくはペンで書く仕草をした。
「……文字が書けるのか?」
裁判官に手を差し出した。
「言葉が分かるのか? ……チョークを」
端にいた秘書(見習い)が白墨をぼくに手渡した。
(黒板は?)
なかった。
手枷のまま、石床にコカトリスを描いた。
ぼくは記憶していた画像をそのままトレースした。
「これは……」
ソフィアがコカトリスを討った絵だった。ぼくが返り血を浴びている。尾の蛇はそれに隠れている。
コカトリスの顔を半分描いたところで、筆を置いた。
目がこちらを睨んでいた。
気分がすぐれなくなった男性が席を移動するが、視線が追ってきた。
そこにあるのは恐怖だった。
聴衆は、初めて恐怖映画を見た子供のようだった。
「魔術師」
目を離せなくなった一人がそう呟くと、もう一人が「コカトリス殺し」と声にした。
「子爵。リヴャンテリ子爵」
「コカトリス殺し」
「コカトリス殺し!」
「リヴャンテリ子爵!」
「わたくしはコカトリスを討った。よって、リヴャンテリ子爵としての栄誉を賜りたい」
喚声のなか、ソフィアが意見を述べた。
もう誰も反対することはできなかった。
あの絵は、妙心寺の法堂の天井に描かれた狩野探幽の雲龍図は八方睨みを真似している。どの方向からでも睨んでいるように見える。別に魔法でもなんでもなく単なる技術だが、この世界の人には異様だったのだろう。
リヴャンテリ子爵の危機に偶然遭遇した〈異邦人の魔術師〉が今のぼくの身分だった。
リヴャンテリ子爵(仮)の屋敷の奥を間借りしている。
衣服は戻されたが、スマートフォンなど機材は没収されたままだ。魔道具だと思ったらしい。
まだぼくは一言も口を開いていない。
というのも前の時代の思想そのままならソドミー法があるはずだから。同性愛は悪魔の所業なので問答無用で処刑されます。
なお、ぼくの場合はバイセクシャルなので、両方から攻撃されかねない。
ノックが四回。かなり上のクラスの人が扉の前にいるらしい。この場合「入っていいですか」ではなく「今から入るぞ」である。
思わず「どうぞ」と言いかけた。
(危ない)
同じだけ、テーブルを軽く叩いた。
入ってきたのは、当主のリヴャンテリ子爵だった。ダークブラウンの革靴は昼と同じだったが、スラックスは綿のオフホワイト、ジャケットは青絹だった。左腰の儀礼刀とは別に、右腰にグラディウスを佩いていた。
後ろに女騎士二人が続いた。こちらはソフィアが裁判で着ていたものと同じ材質のカーキ綿のスラックスと青麻のジャケット姿だった。右腰のグラディウスは同じだが、それより長い剣を左腰に帯びていた。
「お前は何者なのだ?」
左の女騎士が燭台を手にすると、部屋の四隅の蝋燭に火を灯した。
「火の精霊よ。いざ静寂を賜わん」
(ラテン語じゃあないのか……)
簡単な魔術だった。ワイヤレスノイズキャンセリングイヤフォンを使ったように静かになった。
「ありがとう。ベイヴィル、イザルト。下がっていいわ」
ベイヴィルの名前の意味は知らなかったが、イザルトの由来は『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデだろう。
(アイルランド系? 意味は「氷と戦い」を意味していたはず……。するとベイヴィルは「火」かしら?)
「ここは結界の中よ。誰も、私たちの他は誰も聞いていない」
(そんなことはない)
と考えるのが普通だろう。主人が「二人にせよ」と言っても、主人の身を案ずるあの二人が黙って従うとは考えにくい。
「あなたには二日後、審議官の前でコカトリスを討伐してもらう。もちろん私がバックアップする。生き残れば今度こそ私は子爵に、あなたは……どういった意図があれ、その望みを叶えてやろう」
(再試合ですか……サファイア……)
これは仮説だがリヴャンテリ子爵のサファイア――青色が、コカトリスの赤い目と対になっているのだろう。
ぼくはチョークを手にすると石床に、子爵の青玉を描いた。シルバーのチェーンも。
ソフィアが宝石を取り出した。そのチェーンの端は鋭利な刃物で切られていた。
「あなたは、これを切ったのが誰か知っているのね」
(知りません)
濡れタオルで絵を消すと、ぼくはベッドに潜り込んだ。