18.月が美しいですか?「口説いています」
18.月が美しいですか?「口説いています」
深夜リヴャンテリの別邸で、ぼくは目覚めた。
口の中が胡麻の香りでいっぱいだった。
食堂で塩をひと摘みして、歯を磨いた。
考えてみれば、二十一世紀の生活とはかけ離れている。
庭にでて、夜空を見上げた。
屋根はないがポーチにテーブルと椅子があった。外には人っ子一人いないが、認識阻害の魔法が邸にかけられている。
それと、赤ワインを一本。ボストンでバーテンダーをやっていたから、ソムリエとはいかないけれどワインのデキャンタージュはできる。
リヴャンテリの紋章が刻まれたナイフで蝋封を切り、静かにコルクらしきものを抜いた。
二つの月明かりを頼りに、高価なピッチャーにワインを注ぎ入れた。
こうすることで、古いワインの底の澱を除ける。
空けたボトルの沈澱したものは捨てる。もったいないが、美味しくない。
西天の月はやや細くなっていた。
夜空は見ていて飽きない。
地球の人間は夜の星を神の目だと考えていたらしい。#To Live and Die in L.A.
天体の動きは神秘的だ。
天文学は神の御技を探求したのだろうか。
単位を取っておけば良かったと後悔した。
ワインの香りがゆっくりと広がっていた。
たぶん葡萄に似た果実なのだろう。
ワインになる葡萄は食べて美味しいものではない。水捌けのよい気温の寒暖差がある――そう霧がでるような土地がよいとされる。
(もういいだろう)
香りを花にたとえるなら蕾が開いた感じかしら。
ピッチャーから、銀のグラスに注いだ。
背中に視線を感じた。
「構わないか?」
「どうぞ」
立ち上がり、パスライの手を取り隣席に案内した。
「はい。ワイン泥棒にご容赦を」
「赦す。――香りに誘われて、な」
対のグラスを持参していた。笑う。
「あなたがいた世界はどんな夜空なのだ?〈異邦人〉」
ぼくが注いだ。
「銀河が一つだけ。一柱の神が世界の半分を支配しています」
八百万の神や仏教の神仏には触れなかった。
「一つではつまらないのではないか?」
「ぼくがいなくなった遠い未来には二つになります」
そしてまた一つになる……。
パスライがポケットから、枸杞の実のようなものをだして口にした。
風の魔法でテーブルの上に残りを浮かせるとぼくにすすめた。
一つ口にした。アレルギー反応はないようだ。
そういえば、ぼくは生の蛸が食べられない。好物なのだが、食べても消化できないらしくいつも七転八倒するのだが、どうしても旬には食べてしまう。
「半夏生……」
夏至を過ぎた七十二候の一つで、関西では蛸を食べる風習がある。
「ハンゲショウ?」
「季節の一つです。海にいる蛸を食べる風習があるんです」
「あなたは、やはり〝異教徒〟か?」
「いいえ。違います。月の神を信じています」
嘘は言っていない。この世界の人間にしてみれば、異教徒=悪魔崇拝者なのだ。それは地球でも同じか。兄弟が殺し合う宗教を世界の半分の人口が信じている。
(まあ本気で(キリスト教の)神を信じている人は少ないだろうけれど)
神=物理現象に近い思想であることは多い。
「あなたが元の世界に帰えるなら、あれ(ベイヴィル)を連れていってくれ」
パスライが邸のほうに顔をやった。
「あれ(ベイヴィル)のほうがリヴャンテリの血が濃い。生粋の魔法使いなのだ」
「先祖返りですか?」
「ああ。お陰でこれだ」
左足を上に足を組んだ。
「棄ておけと父に言われたよ」
月が美しい。
「若かった?」
「そう言ってくれると嬉しい」
飲み干したグラスに注いだ。
「あれ(ベイヴィル)はあなた――〈異邦人〉を好いている。……ところで、氷結の魔術師の対抗策はあるのか?」
色気のない話。
「図書館で調べてみます。基礎を理解していれば応用はできるでしょうから」
「もう一本盗んでいいぞ」
美麗な貴族が笑みながら立ち上がった。