2.魔女に遭ったんですか? #ミランダ警告
2.魔女に遭ったんですか? #ミランダ警告
魔女に飛ばされた夜。ぼくは酔っていた。
理由はよく覚えている。失恋だ。プロポーズしようとした夜に「結婚するので別れてほしい」と言われたのだ。
その瞬間から、コーサウェイホテルのフルコースディナーの味がまったくしなくなった。
最悪なのが、その相手がぼくの元彼(原文ママ)だったことだ……。
料理の途中で迎えに来た彼女の婚約者の左の薬指にはプラチナのリングがあった。青玉が輝いている。
彼女が立ち上がり、ナプキンをテーブルに置き、純白のグローブを捨てた。同じ色の指輪。
一人残されたぼくは、まったく何も考えられず食事を続けた。
こうした時、ホテルのスタッフは寛容だった。壊れた人は飴細工より繊細だから。彼女の席は片づけられ、ぼく一人が食べていた。
シャンパングラスが一脚。細長いフルートグラスの泡が微細だった。
ラベルは、ヴーヴ・クリコ イエロー・ラベル・ブリュット。味のなくなった酒は甘く苦い炭酸水のようだった。
ポケットからケースを出した。彼女がダイアモンドより好きだと言ったサファイアの指輪。
美しいはずの夜景。美味しいはずの食事。輝いているはずの宝石。
(こんな〝はず〟じゃあなかった)
まあ言っちゃあなんだけど、かわいらしい顔をしているので困ることはない。しかし、本気で恋愛をしようとすると、とても困る。一途なようで嫉妬深い人が苦手だ。
海辺の砂浜で砂をすくっては手から零れていく――そんな感覚だった。
顔を変えようと考えたこともあるけれど、低身長で強面もどうかと友人の医師に言われて諦めた。
やさしく送り出してくれたホテルのスタッフには感謝しかない。
いつの間にか雨になっていた。
(このまま雨に打たれるのもいいか……)
だとしても何も解決できない。
地下街から地下鉄の駅に向った。
通路で人波が合流した。隣の若い女性と目が合った。
微笑んで軽く会釈した。
その見知らぬ美しい女性はやや戸惑いながらも会釈を返した。
ぼくは歩みをゆるやかにした。何か幸せになってはいけないような気がしたからだ。
階段に近づくと、さきほどの女性の後ろに、背の低い女性が張りついた。
(危ない!)
突き飛ばそうとしていた。
ぼくは、背中を押された彼女の手をとった。
(ふう……えっ?)
けれど、笑う加害者がぼくの背中を押していた。
ぼくは加害者の手を引いた。そのまま三人とも階下に落ちる。
加害者の女とぼくをクッションに、女性が助かった。
ぼくは全身を打撲していた。
(気が遠くなる……)
視線を感じて加害者の女を見ると、首がありえない方向に曲がり、目を大きく開いていた。
〝よくも邪魔したな。事象の地平面まで飛ぶがいい〟
脳に直接、邪悪な言葉が届いた。
(魔女め……)
助かった女性が「AED!」と叫んでいた。
服を脱がされる。感覚はもうなかった。
電気ショック。
一瞬、視界が明るくなったが、すぐに闇に消えた。
目覚めると、足下が冷えていた。
何故か革靴を脱がされていた。靴下も。
女騎士が首を傾げながら、ぼくの足の裏を見ていた。
(そういうプレイですか?)
聞いたことがないが、異世界ならではの愛情表現があるのかもしれない。
「お前は〝異教徒〟か?」
(え? 英語?)
美しい女の騎士は英語を話していた。〝異教徒〟だけは日本語だったが。
魔女がぼくを事象の地平面に飛ばしたとしても、英語はありえないだろう。
大樹の枝の向こうに、雨雲が広がっていた。遠くに灰色がかった青い山脈があった。地上は草が茂っていた。幸いぼくが倒れているところは、木陰で雨露をしのいでいた。
兜を脱いだ長い髪の少女と、その横にコカトリスの死骸。
(動いた?)
大きく脹れた腹から嘴が覗いていた。
(コカトリスは雄では?)
雌のバジリスクと対になっていたようにも思う。
ぼくは騎士の右にあった大剣を掴むと、コカトリスに向って突進した。
(目が合えば、石になってしまう。その前に!)
間に合わないと判断したぼくは、大剣を投擲した。刺さる。
マスクにしていたハンカチーフを目隠しにして、そのまま走って大剣を握ると右に左に切った。
切るというより、ぶっ刺したというほうが近いだろう。膾にした。#チタタプ
「もういい」
背後から声をかけられた。
ハンカチーフを取ると、目の前には美しい少女がいるはずだった。
「お前のせいで、継承権がなくなってしまった。どうするんだ?」
七つの大罪に〈憤怒〉がある。それを体現したのが目の前の少女だった。
「お前のせいで、わたくしは子爵になれなくなった。どうするんだ?」
ぼくは黙っていた。
(だとすると、決裁権がこの少女にはない。であるなら、何を言っても無駄になる)
何か余計なことを言えば、この少女の迷惑になる。「魔女に遭ったんです」と正直に言ったとしても、それがこの世界の不法だとしたら即死刑につながる。
(何も言わないほうがこの少女のためなら、黙っているほうがいい。たとえ怨まれても)
彼女のもつサファイアに、コカトリスの血が映っていた。
サファイアが光り出した。青から白く強く。
目を開けていられない。
歓喜の声と、落胆の息が聞こえた。
南面に市街地があった。東西に扇状に城壁まで広がっている。後ろの北には王宮があった。
どこかの王城の広場にぼくと少女がいた。
コカトリスの血にまみれた僕と、返り血のない少女とが。
広場で拘束されたぼくは、手枷足枷されて監房に入れられた。一人だけなので、気楽だったが臭いがキツかった。
前の房の囚人が興味をもってぼくを見たが、睨むと大人しくなった。
「邪眼」
そう聞こえたが、他は訛りが酷くて分からない。英語ではないのかもしれない。
暇だったぼくは、監房の壁に落書きをした。手枷の金具を使う。外れてもいいはずなのだが、どうしても壊れなかった。
(魔法とか?)
ありえない話でもなかった。
日常会話が英語なら、魔法の呪文はラテン語だろうと予測できた。
(大学でラテン語とっとくべきだった……)