12.美しい女魔術師はお好きですよね? #氷結の大魔術師
12.美しい女魔術師はお好きですよね? #氷結の大魔術師
公都にいる若き審議官は仮面の下の汗を拭かなかった。というか拭けない。公務中に素顔を知られては、エイレネ男爵の第三子レオ・ルドマルド・エピパクスだとバレてしまう。平和を司る家のものが天秤を傾けているとあっては恨まれても仕方ない。
「バジリスクだと? ありえん」
ルドマルドはたやすく現実を受け入れる知性はもってはいたが、一体ではなく複数との報告を聞いて絶句した。
リヴャンテリ宮殿の庭に入れるのは、陞爵の時だけだった。それも、リヴャンテリ家の血を引く者だけの特権だった。それ以上なかに入ろうとするものを守護者であるコカトリスが許さなかった。
かつてセレネ王は、リヴャンテリの至宝――二つのサファイアによってコカトリス(バジリスク)を使役していたとされる。その宝石は初代セレネ王が討伐したとされる天空を翔けるブルードラゴンの両目とされており、地龍の青眼では動かされない。
「失夏王」と諡された第三代セレネ王はバジリスクの軍勢で北のミッドガルド王国に攻め入った。寒さに弱いバジリスクは動けず大敗し、失夏王は北伐の地で戦死したと記録されている。部下に暗殺されたとも、バジリスクに喰われたとも伝わっているが真実は知りようがない。
失夏王の幼い末子が元老院によって代王に擁立され、セレネ王国はアルテミス共和国に移行した。皮肉にも北行に断固反対し幽閉させられた東の従属国の人質王子が、後のオーストライヒ皇帝となる。
失夏王の「夏」とは全盛期を意味する。ウェストリア大公国は昔の王国の幻影にしかすぎない。それはオーストライヒ帝国も同様だった。
ルドマルドが、失われたはずのもう一つの至宝を手に入れたのは偶然にすぎない。公都でいっしょに学んだザイザルに話を聞いていたので、失夏王の日記の表紙に飾られたサファイアがそれだと気づいたのだ。
失夏王の日記は自身の性癖をありのままに書いているということは、大公国に住まう者なら誰もが知っておりだからこそ長い年月誰にも読まれなかったのだ。
高価ではあったが地龍のサファイアを用意して至宝と交換し、司書に傷んでいることを申告した。
女司書の光を失った蔑んだ眼差しを、ルドマルドは忘れられなかった。初恋だった。
ルドマルドは友人のザイザルに至宝を渡した。
ザイザルは精巧な泥人形を制作し、本人はリヴャンテリ宮殿でコカトリスを調教した。
ザイザルは聡い。事がバレれば、レオンハート子爵第一子のパスライがリヴャンテリ家の復興を口にするかもしれない。またはアルテミス爵か、あるいはセレネ王国の復活か。
危ない橋を渡りたくないザイザルは、ルドマルドに口止めして今日に至る。
それをよりにもよって、パスライがリヴャンテリ子爵の復活を願った。
コカトリスの調教を見られたのかと冷や汗を隠しながら真意を問い質したが、パスライが臣下になるザイザルに答えることはなかった。
それでイザルトに宝石のチェーンを切るように命じたのだ。
たいていの男はああした想い系の女を好きになれない。ザイザルも同様で、イザルトは扱いにくい。であるからこそ、イザルトにパスライを裏切らせてベイヴィルに心臓を捧げさせた。
背徳は罪悪感を増すはずが、イザルトには餌を与えるようなものだったらしい。ルドマルドと同じ性格にザイザルは背筋が寒くなった。
ルドマルドは直属の上司である中級審議官に、リヴャンテリ宮殿内におけるバジリスクの大量発生の報告をした。
ルドマルドの性癖を嫌う上司は報告を握り潰そうとした。
ルドマルドはその類稀な嗅覚から、上司の仮面の下は絶世の美女であると決めつけていた。
事実そうなのだが、それだけに上司であるディケ伯爵第二子メアリー・ココ・ユスティティアの顔は引き攣っていた。
(仮面があってよかった)
なお、審議官は部下の正体を知っているが、上司の素性を知ることはできない。
ココは受け取った報告を上級審議官に伝え、それは大審議官つまり元老の一人に届けられた。
元老はその杖を落としたと聞いている。
「魔術師を集めよ」
最悪を想定していた。もし、バジリスクが市中に放たれれば大混乱になる。または、コカトリスが東の帝国の領内に入ったら……。
どちらにせよ多くの血が流れるに違いない。
元老院は氷の魔術師を招集した。宮殿ごと氷結魔法で閉じ込めるつもりだった。
終末の煙霧の調査もある。
元老たちは悠久の世に生きている。百年二百年待てばいいという考え方だ。ままそうした考えだからこそ、オーストライヒ皇帝の興国を予測できなかったとも言える。
過去を知る者が未来を知るのが知恵だが、元老たちは今を生きている。
古書によれば「女は過去の過ちで現在を不安にする。男は未来の不安で現在を過ちにする」とある。#マクベス
公都から馬車で四日の道程を、たった半日で掃討隊――凄腕魔術師とその弟子の二人だが二本足の翼竜に乗ってやってきた。
中年のワイバーン使いはあくまでドラゴン使いだと何度も言っていたが、分類的には同じだが、BクラスのワイバーンとSクラスの四本足の翼龍といっしょにする者はいない。
もっともドラゴンは眠っているらしく、ここ百年目撃証言はない。
「これが終末の煙霧ですか……」
宮殿の門前で、Aクラスの女魔術師コンジレイティオがたわわな胸の上で腕を組んだ。
指を動かし、無詠唱のまま霧を凍らせた。
「ただの氷?」
色は付いていたが、呪いは感じられなかった。
「あなた、食べてみて」
「えっぼくがですか?」
緑髪の少年がコンジレイティオの弟子カルランだ。
「たぶん死なないから」
「そういって前に毒茸を食わせましたよね?」
月夜茸はシイタケに似ている。
「すぐに解毒するから問題ない。時間が惜しい。レオンハート卿に会う前に確かめたい」
「……分かりましたよ。用意してくださいね。前みたいなことはゴメンですよ?」
先日カルランが美味しそうに茸鍋を食べていたので、つい食べてしまい二人してのたうち回っていた。コンジレイティオが燃えていた炭を凍らせて、それを食べて毒を吸着させて助かった。
「ヴァーミリオン……ではない?」
カルランの味覚を共有したコンジレイティオが頭を悩ませていた。硫化水銀の銀朱ではなく、朱色の正体は赤い色素でその正体は虫だった。
「嘘?」
その言葉に反応した終末の煙霧が勢いを増した。悪意に反応するらしい。
こうなるとやる事は一つだ。#脱兎
レオンハート邸に着くころには、息も正常に戻っていた。
「心臓に悪いわね」
「ぼくの台詞です!」
「誰だ?」
「何用か?」
門番二人が問い質した。
「ええい控えおろう。ここにおわすは彼の大魔法使いコンジレイティオさまなるぞ」
カルランの言葉に、コンジレイティオが胸を張った。どういった仕掛か、胸に大綬がかけられた。
ふつうであれば平伏するところだが、レオンハート市では見慣れた光景らしく「はいはい」と開門された。
「滑った? やっぱり大魔法使いは拙いのでは?」
大魔術師コンジレイティオの言葉に、カルランが大綬をなおしながら口を開いた。
「言ったもの勝ちです」
魔法は魔の法であり、魔術は魔の術だ。力量が違うし、法則も異なる。
魔術師と魔法使いの違いは、後天的に「魔術を習得した者」が魔術師であるのに対して、先天的に血筋や適性で「魔法を使えてしまう者」が魔法使いだ。魔術師も少しは魔法を使うことはできるが、古典的なものしか使えない。日常使われている低度な魔法ならいざしらず、蘇生魔法や欠損部分を復活させる治療魔法といった高度な魔法は特別な人物(たとえば聖女)にしか使えない。
魔術師が不可能とする魔法が使える道具が魔道具であり、コンジレイティオの指にあるルビィやサファイア、エメラルドがそれだ。ダイアモンドもあるがふだんから見せるものでもない。
「お腹が空いた……」
氷結の大魔術師は昼食のメニューが何かを考えていた。
〈修正履歴〉
前)地竜
後)地龍
ドラゴンを龍、ワイバーンを竜と定義した。




