10.衛生兵はどこですか?「いません」
10.衛生兵はどこですか?「いません」
〈異邦人〉の背中をグラディウスで突いたのは、イザルトだった。
「撤退です! 火の精霊よ。いざ我らの身姿を隠し賜わん」
パスライお嬢さまの手を引きながら、命じられた作戦通りに私は透明の魔法を唱えた。
「ベイヴィル……」
「黙ってください。バレます」
イザルト一人ならまだしも、脱走を手助けした者がこの場にいる。
コカトリスに乗った魔術師――ザイザルだ。
「〝みえている〟ぞ。パスライ」
(公都から戻った? それはありえない。――つまり嘘だ)
泥人形の目を通して、透明になった姿を見ることはできない。
マスターから、ザイザルが泥人形を使って邪魔をするだろうとは聞いていた。
ザイザルがイザルトを解放することも折り込み済だった。
(アレは反則)
マスターに「コカトリスを使役できる魔術師がいるのか?」と聞かれたとき「いない」と答えた自分を呪った。
少なくとも私は知らなかった。ザイザルがコカトリスをテイムできることを。
向かってきたイザルトの胴を横に薙いだ。
(脇があまい)
イザルトは治療魔術を使えるが、そのぶん戦力を削げる。
地上のコカトリスは微動だにしていない。
まだマスターが生きている証拠だった。
マスターが握っていた宝石を受け取り、私は宝石をかかげた。
「ソフィア・パスライ・リヴャンテリを子爵として認めよ。さもなくば、リヴャンテリ宮殿を封印する」
マスターが出した最後の手だ。
「はったりだ!」
審議官は仮面を被っていて誰が誰か分からない。恨まれることを知っていて泥人形でしか対応しないが、公文書には名前が残っている。ただ、私には閲覧許可は下りないだろう。二度と。
「我ソフィア・パスライ・リヴャンテリは、その血をもって、リヴャンテリ宮殿を封印する」
呪文を唱えたパスライお嬢さまの指を、私は少し傷つけた。
血が青いサファイアにかかる。
「まずい!」
「本当にしやがった!」
赤いルビィに窯変した宝玉から、朱色の霧が出てきた。
「終末の煙霧」
倒れた兵士が声に出した。
伝説でしか聞いたことがない魔の霧――神々の黄昏だった。
多くの犠牲を払いながら、リヴャンテリ宮殿の門が閉じられた。
レオンハート邸の応接間で、審議官がテーブルを叩いた。指が砕けて一部が飛び散った。
「貴殿の意向は?」
ゆっくり元の形に戻るのを確認して、荒げた声を落とした。
審議官は(有力者の)交渉人を兼ねている。
「リヴャンテリ家を廃し、家名をレオンハートに戻したく……」
座したザイザルの背にイザルトが立っている。
「それが順当だろう」
パスライが求めたリヴャンテリ家の復興はもはや叶わぬ夢となってしまった。
「封印を解く方法はないのですか?」
ザイザルの言に審議官が重い口を開いた。
「……宮殿の図書室の本棚にある。119104がその番号だ」#夜と霧
鍵を中に入れたまま錠をしてしまった状態だ。
「あとは煙霧の力が弱まるまで待つしかあるまい」
それは何世紀も後のことになるだろう。
「暫定だが……レオンハート子爵が第一子ソフィア・パスライ・リヴャンテリ=レオンハートは故国を裏切り、宮殿を封印した罪により、リヴャンテリ家は廃絶、リヴャンテリ=レオンハート家はレオンハート家とする。レオンハート子爵に罪はないが、管理不行き届きのため第二子レオ・ザイザル・レオンハートに爵位を譲るものとする。――正式な文書は後日となるが概ねこれと変わらぬだろうよ」
異論などなかった。
イザルトが口元を隠したが、笑っていることは明白だった。
審議官に見られ、無表情に戻った。
「それにしても、貴殿がコカトリス使いとはのお……」
「これでもディアナ辺境伯閣下の陪臣ですから」
ザイザルが審議官に見せたのは、もう一つの失われたはずのサファイアだった。
「二つ揃えば、閣下に献上するつもりだったのか……」
危険なことは陪臣にさせるのが貴族だ。
審議官を見送ったザイザルがイザルトの腰に手をまわし、邸内に戻った。
ソファーに深く身を落とした。
溜息の一つもでるだろう。
「悪知恵で敵うものかよ」
ザイザルは泥人形を二体操れる。公都の泥人形は寸分違わない本物に近い偽物で、レオンハート邸のそれは疑いようがない偽物だった。
「二つある一つが明らかな偽物だすると、どうしてももう一つを本物だと思いたくなるものだ」
「ザイザルさま……」
「分かっておる。正妻にはできないが、ずっと我のそばにおいてやるとも」
イザルトはこれからも穢れ仕事をさせられるだろう。だが、夢は叶ったことに満足していた。
隣で眠るザイザルとは対照に、イザルトは寝つけなかった。
ザイザルが魔法鍵をもっていることに不思議はなかったが、公都にいるはずの本人だったことに驚きを隠せなかった。
〈異邦人〉の誤算は、ザイザル本人がコカトリス使いだったことにある。
イザルトは知っていたが、親しいベイヴィルにも教えなかった。
今日一日の出来事を思いだして、目を瞑った。