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陽はとっぷりと暮れていた。これ以上の行軍は危険だろう。しかし、十体のウルフの死体は間違いなく他の魔物を呼ぶ。就寝中はデリアが番犬の魔法をかけてくれるとはいえ、この場所から出来るだけ距離を取るに越したことはない。
しかし、この登山道はクルトのそういう思いに応えてくれるように準備はしてくれていない。広くもない道を巨大な落石が塞いでいる。渡っているうちに更に崩落の危険がある土砂崩れよりましかもしれないけれど、これはこれできつい。
「これだけ大きいと火炎、冷凍、雷光を繰り返し使っても砕けるには相当時間がかかりそうですね。それに陽も沈んだので、音をたてたり、光を出したりすると、魔物に気づかれる危険が出てきますよね」
これはデリアの言う通りだ。では今晩はこの巨石の手前で休息を取るか? いや問題がある。巨石を背にすれば背後に奇襲を受ける心配がないという利点もあるが、逆に言うと逃走路がない。最悪、クルトとミルマが敵の攻撃を防いでいる間にデリアが他の三人を逃がす展開もないとは言えない。そうなるとそれは出来なくなる……と、おや?
気が付けばミルマが巨石を登っている。
「おいおい。大丈夫か? ミルマ。危ないぞ」
「大丈夫……ドワーフは……崖の登り降り……得意」
なんだってえー。
「じゃ、じゃあさ。エフモとカルフとトジュリもこの岩に登れるわけ?」
思わずドワーフ少女たちに問うデリア。
「うん……出来る」
「トジュリも……出来ると……思う」
「ミルマ……兄ちゃんが……先に……登っているのは……崩れやすい……ところがないか……見てくれているの」
「!」
そういうことなのかと思って巨石を振り返るともうミルマはもう頂上にいる。
「大丈夫……こちら側に……崩れやすいところは……ない」
あ、そうなの。
「反対側も……崩れやすいところ……ないか……探してみる……多分……大丈夫」
そう言ったミルマの姿はすぐに見えなくなった。反対側に降りて行っているのだろう。
「クルト君」
あ、デリアに袖口を引かれた。
「こうなるとこの岩を越える能力が一番ないのはデリアとクルト君です。ここはドワーフの子たちの力を借りましょう」
「そうだね」
それがいいでしょう。
「あのねみんな。デリアとクルト君は人間だから、みんなのように上手に岩を登れないの。だからみんなの力を貸してくれないかな?」
「うん……トジュリ……デリアと……クルトを……助ける」
末っ子トジュリが真っ先に口を開く。満面の笑顔だ。他者の役に立てることが嬉しくてたまらないようだ。うーん。末っ子だなあ。
「私たちも……助け……たい」
エフモとカルフも言ってくれた。
「みんなありがとう。じゃあね」
デリアはドワーフ少女たちに微笑みかけながら、ザックの口を開け、ロープを二本取り出す。
「このロープを持って、岩の頂上に登って、反対側の先端を下に垂らしてほしいの」
「分かった」
トジュリはそう言うが早いか、ロープを持ったままするすると岩をよじ登っていく。
さすがに心配になり、エフモとカルフに問う。
「おいおい大丈夫なのかい? あんな速さで登って」
「大丈夫」
「ドワーフの……崖登りでは……速い方……でもない」
うげ。そうなのか。しかし、そうなると人間には人間の。ドワーフにはドワーフの得意技があるということだ。片方が片方を支配するというやり方より協調して公正な取引をした方が長い目で見れば儲かるんじゃないか。
「大丈夫……反対側にも……崩れやすいところは……ない」
あ、ミルマが頂上に戻っている。反対側へいったん降りて、また登ってきたのか。確かに速いわ。
エフモとカルフもロープを持ってするすると岩を登り、あっという間にドワーフの少年少女たちは頂上に立った。
すぐにクルトとデリアの前にロープが垂らされる。僕の前のロープはミルマとカルフが、デリアの前のロープはエフモとトジュリが持っているようだ。
クルトとデリアは顔を見合わせ、頷き合うとロープを握り、岩を登り始める。
頂上ではドワーフの少年少女たちが笑顔で待ってくれている。クルトたちの役にたっていることを嬉しく思ってくれているのなら、本当に良かった。
クルトもデリアもドワーフたちに比べると随分と時間がかかったけれど、何とか登り切った。
「デリア……クルト……時間……かかったね」
トジュリは満面の笑顔だ。末っ子が自分が他より優れたところが見つけられて嬉しいのかな。
さて、ここまでは半道中でしかない。まだ下りが残っている。今度は逆にクルトとデリアが先を行く。やはり頂上でドワーフたちがロープを持って支えてくれている。
支えてくれているドワーフたちの腕の力も無限ではないから、出来るだけ早く降りたいところだけど、ここで慌てて滑落でもしたら、かえって今までのドワーフたちの努力が水泡に帰す。慎重に慎重に。
クルトたちは、しっかりと地面に両足が着いたことを確認すると思い切り頂上に向かって手を振る。
ドワーフたちは頂上でロープを巻き取ると、こちらから見れば凄い速度で岩を降りてくる。
「デリアッ!」
トジュリは降りてくるやいなやデリアに抱きつく。デリアも笑顔で抱きしめ返す。
みな笑顔だ。しかし、もう周りは真っ暗だ。早急に適当なところを見つけよう。巨岩も越えるまでが大変だったが、越えてしまえば魔物に対する障壁になる。今夜のところは巨岩の向こうにある十体のウルフの死体を食べて、満足してくれ。