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「今はちょっと恋愛どころではないんです。実は私はいずれ故郷の村の村長となる身。ここには勉強のため来ているのですよ」
「え? 村長? 勉強のため?」
「私とナターリエさんはここから少し離れたカロッテ村という小さな村の出身なのです。本当に小さな村なので、ロスハイムみたいに街を囲む城壁も商家もありません。私はそこの村長の一人娘なのです。いずれ帰って村長を継がなければならないんです」
「え? でもナターリエさんはここでずっと冒険者やってるけど……」
「ナターリエさんは今の村長である父の一番下の妹なのです。割と自由がきく立場なんですよ。但し、一度飛び出した以上は出戻りは出来ませんが……」
「でも……」
私は次の言葉を出すことに少し逡巡した。だけど、仲良しになったんだと思い直し、次の言葉を出した。
「カトリナちゃんはそれでいいの? その……村長を継がなきゃならないことが嫌だと思ったことはないの?」
「はい」
カトリナちゃんは笑顔だった。
「カロッテ村はロスハイムよりずっと貧しい。限られた時間でもロスハイムで勉強できるだけでも凄く恵まれた立場なんです。他の女の子はみんな十七になると、近隣の村の農家にお嫁に行く。会ったこともない人と知らない土地で暮らしていくんです」
「!」
私は自分のことを思い出していた。そうだ。私だってそうだったのだ。
「でも、私は勉強できる機会をもらえた。それがとても嬉しい。村に帰っても、責任は伴うけど仕事を任せてもらえる。本当に恵まれているんですよ」
「!」
私の脳裏に電撃が走った。そうだ。そうなのだ。ギルドにいて、男勝りの女の人たちを見ていて、忘れていたけど、殆どの女の子は花嫁修業だけさせられて、お嫁に行く。そう決められている。私だって、私だって本当に恵まれているっ!
「カトリナちゃんっ!」
私は思わず駆け寄ると、カトリナちゃんの両手を自分の両手でつかんだ。
「はっ、はひっ」
突然の私の行動にカトリナちゃんはビックリしたようだけど、応えてくれた。
「私はカトリナちゃんに会計業務を教えるっ! 私、不器用だけど、一生懸命、教えるよ。でも、その代わりにね……」
「!」
「カトリナちゃんは私に『魔法』と『武術』を教えてっ!」
「えっ? そっ、それは……」
カトリナちゃんは明らかに当惑している。そりゃそうだ。ギルドの受付で「魔法」や、ましてや「武術」を覚えたがる者など聞いたことがないだろう。クラーラさんやシモーネさんだって、そんなことはやっていない。だけど……
「私もね、カトリナちゃんと話していて思ったんだ。私たちぐらいの女の子で『勉強』が出来るということ自体が凄く恵まれている。だったら、それを生かさなくてどうするのって……」
ここまで聞いてカトリナちゃんは笑顔を見せた。
「そうですか。他ならぬデリアちゃんの頼み。知っていることは教えます。でもね……」
「?」
カトリナちゃんはまた違った笑顔を見せた。
「私の教え方はナターリエさん譲りだからスパルタかも……ですよ」
「のっ、望むところです」
私は胸を張って答えた。会計業務に誤りが許されないように、戦闘は誤りが死を招く。スパルタなのは当然だ。
「よーしっ。ビシビシ鍛えますよ。でも『魔法』は一つも持ってないんですよね。どうします?」
「とりあえず、手持ちのお金で一番安い杖と『火炎』を買うつもり。そこから教えて」
「そうですね。『火炎』は基本中の基本ですから、そこから始めるのがいいでしょう」
「ところで……」
私は最後に声を潜めた。
「カトリナちゃんのお話聞いてると、ナターリエさんは随分自由にやっているように見えるけど……大丈夫なの?」
カトリナちゃんも声を潜めた。
「ああ。ナターリエさんはいろいろな意味で別格ですから。本気で怒らせたらカロッテ村を丸焼きにしかねません。今の村長である父も『あれはカロッテ村でも空前絶後の存在だから』と言っています」
「ふーん。そうなんだ」
夜はすっかり更け、クルト君への告白はどこかに飛んでしまったが、私には得るものがあった。
◇◇◇
次の日からお互いがお互いに教え合うことが始まった。
最初の日は私がカトリナちゃんに会計業務を教える方。
ギルドの受付業務を終了した後、会計確認をしながら教えるのだが、カトリナちゃんの食いつきが凄い。
会計業務は知らない人には分からない独自ルールが多い。
中途半端な知識で「こうだろう」という推論で事務処理すると大失敗を招く。
カトリナちゃんも見当違いの認識が実に多い。
だけど……彼女は素直だ。間違いと分かれば、すぐに軌道修正をする。
これは……思ったより早く受付業務が出来るようになるかもしれない。